恋愛が点から線になったとき
いきなりだけど、私の初恋は小5でした。
同じバスケ部の小6の先輩。
その先輩と掃除場所も一緒になり、「あ、知ってる」とかなんとか言われた。
その後、部活で会えば私の持ってるボールを奪ってきたり、そのままドリブル&シュート対決…みたいなことやってたら、あっという間に好きになった。
いぃ〜思い出です。
でも、小中の自分の恋愛には性的な要素はなかったですね。
私は最近、恋愛って結局性欲と社会的上昇志向、支配欲みたいなのが合わさってるんじゃないかと思ったりしたけど、小中のあのころの気持ちは「好き一色」。
それはなんとも貴重な感情でした。
といっても性への関心は幼い頃からあったほうと思うんですよ。
親が共働きで家にいない時間、サスペンスドラマの再放送をよく見てましたね。
長門裕之が女の入浴中に入ってきてしまうシーンとか、女が中尾彬に乗っかられて重そうに苦しんでるシーンとか。
それを見てたなんてことはもちろん言えない。
性って秘めることというのはなぜか体得していた。
中2のとき、クラスのヤンキーっぽい男子が学校に来なくなったことがあった。
彼は梨元勝に似ていたので、おっさんぽいイメージしか私にはなかったけど、人なつこい性格なので、彼の不登校をみんな気にかけてました。
ある日の午後、彼がいきなり登校してきた。
勝はいくぶん痩せていて、休んでる間に何があったのか不思議に色気が放たれていた。
私はドキドキした。性的なドキドキだったと思う。
「心配」という母性と「登校」という安心感、それに彼の色気に何かが疼いた。
異性に性を感じた目覚めだったかもしれないけど、恋とは違うような。
いや、恋なのかもだけど、ヤンキーで不登校気味な勝を好きになったら破滅が待ってる気がしてブレーキをかけた。
中2でも理性が入ってくるもので。
高校に入学してすぐのころ、仲良くなった女子が私の耳元で言う。
「高1中にA、いや、Cまでいきたいんだよね」
「卒業までには絶対Cしなくちゃ」
絶対、秋元康の影響だろうと思った。
誰かとAとかCなんて想像もしてなかったけど、そういう年齢になったのかと感慨深かったですね。
ちなみにBのリアリティは全くなかった。
彼女との出会いによって、恋愛と性が結びつくほうへ一気に路線が敷かれた気がしました。
彼女は中学時代に大好きだった先輩がいて、付き合いたかったけど頭ポンポンされたのみでフられた思い出を繰り返し聞かされた。
でも「ポンポン」だって、中学時代の自分には思いもよらないこと。
どんな男がたかだか14、5歳で人の頭をポンポンするのか。
妹のいる長男ヅラした男なのか?
超美形同士のビッグカップルができて中学時代に話題になったけど、その2人はただ無言で並んで帰宅するのみ。
それがリアルの恋愛だった中で、「校庭でKとMがキスしてた」という噂も飛び交う。
そのMという女子はのちに「本当よ」と教えてくれた。
確かに高1にして下唇の舐め方が卑猥だった子。
ペロッと高速で水分を補うのではなく、やけにスローモーなやつ。
女の性的発達度の差が急激に開いてくる時期だった。
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これまで恋愛や性は自分の中で「点」でした。
「誰かを想う」という一方性をどうにかする気もなかったというか。
ただ、私の高校は交際率が高かったので、好きな人ができたと友達に言えば「告白しなよ!」と、付き合う流れに乗せられていく。
そんな私も高1の秋にサッカー部員と交際する。
私は彼の部活が終わるのを待って、駅までほとんど無言で帰る。
とはいえ、紡木たくの漫画「瞬きもせず」のかよちゃんと紺野くんみたいで、何気に満足していた。
「し、身長は?」と聞いて「175せんち…」とかいう会話しかできなかったけど。
それを帰ってからファンシーなノートに綴る。
ろくに会話もしないまま4ヶ月後にフられました。
クラスメートに付き合おうと言われ、恋が芽生える前にOKしたのは高2の初夏。
フられた自分を拾ってくれる人がいるなんて!という感動。
チャンスにはどんどん乗っていきたかった。
彼がまた穏やかな聞き上手で、順調に好きになっていけそうな気がした。
が、マイルドだった彼が夕方の公園で強引さを見せてくる。
付き合ってまだ数日とかで、Aの体勢を取り始めた(キスだろって)
ただキスって、相当難しいことじゃないかと思う。
双方が「そのつもり」と、心と体どっちも相手に開いてないとならない。
前に「不意打ちのキスはありえない」という記事も書きましたが、「唇を奪う」ってそんな簡単じゃないはずなんですよ。
ましてや高校生。
強引に相手をキス体勢にしようとすると、「痛い痛い」ということになる。
顔に手を添えられるというのは首を痛めることにもなりやすく、とにかく準備ができてないと心身のどこかしらが苦痛を訴える。
それであの日の私は、「無理無理!」で押し通してしまった。
スーッと彼は立ち上がって無言で帰宅。
ほどなく「別れよう」と言われたのはなんか屈辱的だった。
イモで悪かったな!
そっから築いていくんじゃないのかよ!
そんな気持ちもぶつけず、「はい、そうですか」と退いた。
恋愛というストーリーに「性」の加わる余地を知った最初の体験でしたね。
でも自分の心身でOKが出ないと、強力なブレーキがかかるもので。
その後、自分の身の丈に合った速度の恋愛をするのですが、この恋愛の前半が「純粋に愛着が湧く」ものとしたら、後半は「社会」を意識するものとなる。
「大学卒業したら結婚しよう」と彼に言われた私は「冗談でしょ?」と。
将来の話をするとき、彼はいつも「アメリカ」とか「北海道」とかやたら大地に夢を広げ、具体的な「就職」の話にならない。
子どもっぽいなとか、そんな夢に付き合う自分でいたくないなと思った。
そこからほどなくしてフラれる。
どんだけフられてんだって話ですが、私より年下の純粋そうな子と付き合った彼に、「そういうことか」と感じた。
男はそうやって、まだ社会性のあたりが曖昧な純粋さを求め続けるんだ。
社会性を帯びるにつれ、男と女の世界が変わっていくことを感じた体験だったと思います。
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こんなにダラダラ自分の話をしてしまいました。
恋愛ってなんだろう、いつからやってんだ?と振り返りたくなったのです。
「好き」という気持ちも性への興味も、ずいぶん幼い頃からあるらしいと気づいた。
でも恋と性を合わせた「恋愛」として自分のストーリーを作り上げたいと思うのはずっとあと。
私の高校はカップル率が高かったので、そういう環境にいたから影響を受けた。
とするなら「誰かと恋愛する」って結構、策略的なことなんじゃないか。
それを成立させるための強い意識と目的が必要というか。
20も半ばを過ぎれば「結婚」の要素が入ってきて、ますます「好き一色」じゃいられなくなる。
「自分は誰と結婚するのか?」という人生選択の問題になってきて、「溺れる」みたいな状況はなるべく避けようと理性が働く。
出産を念頭に抱くなら、無責任な人と結びつくなんてリスクに飛び込めませんからね。
思い返して感じたのは、「恋」と「性」と「結婚願望」はそれぞれ別個で独立したものということ。
でも大人になると、それらがパッケージになってるのを手に入れなきゃいけない圧力にさらされる。
恋愛の延長に果てしない線があって、それをたどっていくのが正しさみたいな流れ。
「学生時代から付き合ってる」みたいのって羨ましいです。
まだ社会性を帯びる前の自分を知ってくれる人と人生を歩めるって、大切なものがずっと保存される気がして。
ただ社会性を帯びるとすごく変化はするので、「あんたって本当変わんないのな」ってことにうんざりする可能性もあり。
浮気や不倫が非難されるのは、パッケージ外のことをやってる感じだからなんだろうか。
大人になっても恋愛と性をバラで楽しむことがなんかルーズに見えるというか。
だからいつまでも独身の人を蔑む風潮もあるのかな、と思ったり。
今は、「それを手に入れても自分の幸せにつながるのか?」と考えて踏み込まない・飛び込まない人がすごく増えてるように思う。
それだって自分に合った選択を見極めようとする尊い熟考のはず。
とはいえ今は恋も性も体験するのは難しそうです。
大学生が「出会いがない」と言ったりする。
時代の流れとして、相手を意図的に傷つけるのと、避妊しないとか無責任な行為は建前上にしてもアウトだろうし、支配もそのうちNGになるでしょう。
「距離を保つ」ことも人間関係のみならず親子間のマナーとなりつつある。
人権の要素が隅々に広がっていくのはとてもいいことと思うけど、「傷つけ合う」という要素が濃かった恋愛は、そのうち消滅していくのだろうか。
恋愛とは別の世界線の幸福パッケージなんてのがあればいいんでしょうけどね、ということを思った。
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