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情報とダイエット

日々入る情報と自分を比べる

SNSが普及した今の世の中、日々自分に入ってくる情報は自分の思考や趣味の傾向から選択され、自分にあった情報が放り込まれてくる。それは決して私達が求めていないときでも目に付く位置にあり、自分がその情報を拒絶した方が良い時にそれを見てしまうとそれは私達にとって得たい情報ではなく一つのタスクになってしまう。


トラウマと食生活からなる私のジレンマ

私が今特に悩んでいるのが自分自身の食生活だ。私はどちらかと言えば太って見られるほうではない。BMIの数値的にも標準もしくは少しそれの下くらい。客観的に見ればそれで十分だと思うのに、この自分の体型がとても醜い。もっと細くて華奢で、無駄な肉が無い状態にしなくちゃいけないと常々感じていて、気づけば食べたいものを食べるという習慣が無くなってしまった。だから「今日はブレーキを外そう!」と思った日に、一緒にご飯を食べに行った友人に驚かれるほどモノを食べてしまって、何ならそれでも足りないくらいで怖くなった。

毎日食べるものの糖質や脂質、カロリーを考え、疲れているから今日はカロリー高いものをがっつりたべたい!という気持ちになっても「いやでもそんなもん食べたらそのあとの食事はこのくらいしか食べちゃいけないし…」って考えると結局またダイエット飯みたいな美味しくもないものを食べて満足できずストレスになる。こんな考え方自体がダメなんだと思い、ストレスフリーになるためにちゃんと自分が食べたい好きなものを食べようと気にしないようにしてみたものの、結局食べて太るのが怖くて変なストレスばかりが募り、量ばかり異常なほど食べてしまう。

結局私はどれもこれも人と比べているのだ。そして比べる対象は毎日常に隣にある情報たち。日々入る情報に嫌気がさし、SNSを連絡手段となるもの以外全て消した。Instagramに出てくる可愛い女の子やダイエット情報、「こんな女は捨てられる!」だとか、正直今の私は求めてもいない。なのに出てきたらそれを見て、「こんな風にならなくちゃ」と自分に制限をかけ、それでもなれない自分が不甲斐なく感じ、一向に何も満足できない。

「お前が痩せないのはお前自身の甘えだろ。」と過去に言われたことがある。このことを話すと「本当にありえない」と怒る友人ばかりなのだが、言われた私がそれを気にし続けてしまうのは私自身がその言葉に納得しているからだと思う。納得してしまったからこそその言葉は刃物となり傷となり、私の今も抜けぬトラウマとなった。

私がもっと食欲に我慢できれば痩せれるし、食べてるのは私の意志なのだから食べないことを選択すれば満足できる私になるのかもしれない。だけどそれが出来ない状態にあるのは私がその意思に負けていて、私が甘い証拠だ、と自分の首を絞め続ける。

でも、ふと私は何のために痩せたいのかなと疑問に思う。痩せればもっと綺麗になって、もっと自分のことを好きになれると思うからって私は答えるだろう。だけど、私痩せないと自分のこと好きになれないのかな。今の私じゃダメな理由は何?多分、今のままの私だったら痩せたところでその時の自分に満足しないだろう。その言葉を言ってきた人間から評価されたいのだろうか、いや仮に評価されたところでまたその人のために身を削った感覚に陥り、他人のために自分が消費し承認欲求を満たす自分の精神を今度は嫌いになるのだろう。

結局私は毎日届く情報と自分を比較している。私は私で良いはずなのに、自分と違う誰もが自分より輝いて見えて苦しくて、自分の良い所なんて見つけられない。それを承認欲で満たしているからSNSをやめきれないし、結局この情報の巣窟を選んでいるのは私なのだ。日々入る情報と戦うために、私達が必要なのは承認されることよりも「自己防衛」なのではないだろうか。


情報化社会の中で生きることを強いられた私達

家の中で、鏡にふと映る自分が意外と好きだったりする。自分の顔の形やタイプにあった髪型になってきて、シンプルで飾らない感じがして嬉しくなる。

だけど外に出ると一気にそれを思えなくなる。化粧をしたはずなのにさっきの自分の方が可愛い。家と同じすっぴんで出たときなんかは家の中だと可愛いはずなのに怖くてたまらなくなるからメイクをする。でも化粧をしたところで自分を好きでいられる日とそうでないときがある。これもまた、街を歩く人々を情報として自分をそれと比べているからだろう。

情報に惑わされるのが嫌だからSNSを消したけど、数時間後にはその情報から取り残されるのが嫌でまたアプリを入れていたりする。そんな自分が凄く嫌だ。情報化社会を拒絶して、なにより腹が立っているのに、結局また情報の中で生きることを選択する自分が醜い。

まだ何が正解なのかわからない。痩せたらいいのか、我慢せず食べたらいいのか、それもまた痩せるために考えていることなんじゃないか、自分がどんな自分になりたいのか。だけど、「自分を好きでいること」は何より大切なことなんだろうと私は思う。今はまだ、そのスキになる方法がわからないけど、ちゃんと自分を認めてあげられる人になりたいな。

あなたは誰かに消費されるために存在してるんじゃない。世界に一人しかいないあなたは、ちゃんとあなたを愛するために唯一ある存在なのです。


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