仕事と家事育児の両立なんてムリと思った時
今週、友達から突然「仕事を辞めたい」と連絡があった。
初めてその友達と電話で1時間以上話した。
友達は年の近い子どもが2人いて、2人目の育休明けからまだ半年も経っていない。
「仕事ができなさすぎて、毎日自己肯定感がダダ下がり」
友達の悩みを聞いていて「それって私やん」と思った。
なぜ仕事が回らないのか
私も友達も時短勤務をしている。
時短勤務をしていることで家事育児の時間も取らせてもらっているが、仕事は全然終わらない。
時短勤務をしていると、自由に残業することができない。
限られた時間の中で膨大な仕事量。
時にはじっくり考えながらしたい仕事もあるが、そんな考える余裕もなく、どんどん仕事は入ってくる。
前回の記事で、私は「朝めちゃくちゃ早く出社する」と記載した。今週は6時半前に家を出ることもあった。テレワークの際は、10時間ぐらい仕事をした。しかし、それでも限られた時間の範囲で仕事は全然終わらない。自分で言うのもおかしいけど、いつクレームになってもおかしくないレベルである(note書いてる暇があれば休日も仕事しろって?できたら世話ないよ…泣)。
どんどん仕事が入ってくるから、ちょっと考えたり、様々なアクションを要する仕事は全て中途半端のまま、新しい仕事が入ってきて、中途半端な仕事の思考は分断され、中途半端なまま何日もできないとか…。
いやでも、戦略を立ててやることやらないこと分けて効率よくやっていったらさばけるんじゃない?と自分でも思うが、無理である。
私の会社は半年に1回、1週間休みが取れる。いつも、その休みまでに何とか仕事が回るようにしようと思っている。次の休みは3月だ。いくらなんでもそれまでには回っているだろうと思っていた。なのに…。
毎日自分を責める
私も友達も1日の大半を占める仕事がこんな調子。
「自分はなんてできないやつなんだ…」と自己肯定感ダダ下がりだった。
毎日毎日努力すればいつかは仕事が回るようになると思っていた。
ワーママはるさんの著書にある「それぞれの仕事のログをつける」というのもやってみた。
自分の仕事のペースを改善すべき所はあるかもしれない。しかし、そもそもの量が多すぎるし、これ以上ペースを速めないといけないの?と思ってしまった。
仕事は思い返せば、出産して時短勤務になってからずっと回っていない。
おかげで子どもと接する時も疲れ切っていて思うように接することができず、申し訳ないと思うばかり。
このように、仕事が思うようにできないとプライベートまで浸食されて、家事育児も自分の思うレベルまでできず、毎日自分を責めてしまう。
そもそも頑張りすぎなんじゃない?
↑このように思ってから数日後、冒頭の友達から悩み相談を受けた。
電話で話す友達は体調も悪いようで、声も低く、ガラガラで以前の友達ではなかった。
声を聞いているだけで明らかに頑張りすぎなんじゃない?と思った。
テレワークだと時短勤務関係なく仕事をふられるようで、それも文句を言うことなくしていたり、電話で1時間話しているうちに夕食5品作ったと言っていたり…。ご飯、味噌汁、ぶりの照り焼き、卯の花、大根の煮物作ったって言っていた…。いやいや、そんなに疲れているならご飯と味噌汁だけでいいやん!! 卯の花て…。
なんかもう、どれだけ頑張っても時間は限られているし、気力体力も限られている。家事育児をしていると知らず知らずのうちに気力は使われている。それで仕事でもがむしゃらにしていて、私たちワーママは気力体力を100%以上使っているのではないか。
「努力すれば報われる」は半分ウソ
今週はこんな本を読んだ。
この本の冒頭で著者は明石家さんまさんの言葉を引用している。
「努力は必ず報われる」という言葉に対してさんまさんは「その考え方は早くやめた方がええね」とバッサリ。
「好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うとよくない。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」
この言葉を見ただけでこの本を読んだ甲斐があると思った(著者の言葉じゃないけど)。
仕事も家事も育児も私たちは見返りを求めて頑張ってきたのではないか?
それが思うようにいかないから辛くなるのだ。
この本の中で、著者は「間違った努力をしても意味がない」と説く。「努力してもできないものもある」と。
著者は「どんなに私が頑張っても経験も才能もないのに日本で有名なバレーボール選手にはなれない」と書いていて、私は「そりゃそうだ。極端やな」と思った。
でもこういう比喩が度々登場して、「私が目標としている仕事や家事育児も、素人がバレーボール選手になろうとしているとまでは言わなくても、それに近いことなんじゃないか」と思えてきた。
また、「努力は人をスポイルする」とも書かれているが、努力しているという感覚があるだけで、自分がすごい人間になったような錯覚を覚えてしまうとのこと。努力すればなんとかなるのではないか。それはさかのぼれば「神風信仰」に当たると日本の歴史までたどられている。え…神風…?おそろしや…
私や友達はどこかで「努力すれば報われる」と思っていたのではないか。努力しても報われないこともあるのに…。そしてこんなに努力しているのに全然結果は出ないし、人から認められないしと、こんなことを言うと身もふたもないけど、自分で求められていない努力をして、うまくいかなかったらおかしいと憤り、疲れ果てる…。
「好きやからやってまんねん」の精神
これはもう、さんまの言い方で言うと
好きやからやってまんねん
の精神で生きていくのがいいな、と思った。
好きやから仕事をする、好きやから家事をする、好きやから育児をする。
疲れたら好きやから休む。
もう何でも冒頭に「好きやから」をつけたらいいのかと思えてきた。
それぐらいの精神でないと、ともすればやることが膨大すぎて自分で自分の首を絞めることになる。そして上記の本で個人的にめちゃくちゃ引っかかった「神風」になってしまう。これはもう最悪だ。
仕事も家事も育児も全然自分の思うレベルにはいかないが、自分を疲弊させて見失わないために
「好きやからやってまんねん!」
これを口ぐせにして生きていこうと思う。
全然できてないと思っていてもできてる所もある
今週はこんな本も読んだ。
家事の効率化について書いた本である。この本はすごく面白く、一気に読んだ。新しく学んだこともあった。しかし、読んでいて結構な確率で「それやってんで!」と思うこともあった。
結婚して5年以上、出産して3年以上。私は全然できていないと思っていたが、知らず知らずのうちに家事の効率化ができている所があると思った。
私も料理を始め、家事に関する本を読むのが好きで、知らない間に取り入れていて、「これって本に書けることなんだな…」と思った。
だから「努力は報われる」と断定してはいけないが、知らない間に努力していてできていることもあるとわかった。
さんまも
努力と努力だと思っている人は大体間違い
と言っていたようだが(さんまさんまって気安く言うな)、知らない間にできていたことってこの言葉の裏を返せば、「努力と思っていない努力」ではないか。
先日、私は長年溜めに溜めた料理本の大半を捨ててしまった。長年、料理本をだらだら読んでいた時間ももったいないなと思っていた。
でもそれが知らない間に生きていたのだ。
料理本をだらだら読むことは「努力」と思っていなかったが、それが自分を成長させていたんだなと。
だからもう、さんまの言っている言葉は丸暗記するぐらいで日々生きていこうと思った笑。
ワーママが心に留めておきたい言葉
「努力は報われるは半分ウソ」
「好きやからやってまんねん」
「努力を努力と思っている人は大体間違い」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?