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地域の暮らしと文化 | 島根県江津市・有福温泉

こんにちは。
あっぱれな文化観光推進チーム、株式会社あっぱれの岡部です。

前回、こちらの記事を書きました。

本日は、ツーリズムという経済活動と地域のものがたりを同時に育んでいるひとたちの具体的な事例を、独断と偏見でまとめてみる!ということで、

東京駅から列車でたどり着くのに本州の中で最も時間がかかる(と、かつて高校地理の教科書で紹介されていた)、島根県江津市の有福温泉でおきていることについてまとめてみたいと思います。

私のふるさと、島根県!

岡部奈穂美
島根県出身(隠岐の島生まれ、松江市育ち)。高校卒業後は福岡の大学へ。大学には計5年間通い(理由はお察しください)、その後渡米して約3年間をNYで過ごす。米国公認会計士試験に合格したところ東京の某コンサルファームへの入社が決まり、帰国。計10年間をコンサル業界で過ごし、2021年にフリーランスに。現在は仲間たちとホステルを運営したり、外国人観光客向けの体験コンテンツづくりをしたり、フリーのコンサルとして官民の共創事業のプロマネをしたり、株式会社あっぱれの仕事をしたりしています。ひねくれものの息子(6歳)・お調子者の息子(3歳)・変わり者の夫と、神奈川県三浦市で暮らしています。



有福温泉って、どんなところ?

さてさて、有福温泉について知っている方はどれくらいいるでしょう?

ちなみにこちら、「ありふく」と読みます。
場所は、島根県江津市。聖徳太子の時代、650年頃に発見されて以降1350年以上つづく、山間の温泉街です。

私はこの街にはじめて行ったとき、
一瞬で、その雰囲気と街並みに恋をしました。

山間の斜面に沿った細く曲がりくねった石段の坂道。
長い年月のなかで角がとれてまるまった、石段のしっとりやわらかい色合い。
山の木々が風に揺れる音。ゆらめくやわらかな光。
そこに段々に立ち並ぶ、街のひとたちに愛されてきた共同浴場と、
旅館や民家、そして飲食店。
そして、「神楽」というものに馴染みがない現代人が多いなかで、
街の広場のさも当然のようにちょこんとたたずむ神楽殿。
そこでは、地元の神楽団によって、石見神楽が定期的に上演されています。

古いものと新しいもの。
商業的なものと非商業的なもの。
観光で訪れたひとびとと、そこに暮らすひとびと。

それらが自然にまざりあって、なんとも居心地がよかったのでした。


有福温泉のこれまで

そんな有福温泉。
実はここは、特に山陰地方で観光業に従事しているひとたちの間ではとても有名です。

なぜならば、ドラマチックな復活劇を遂げている真っ最中だから!

有福温泉の入込客は、2000年代初めは10万人を超えていたそう。
それが2010年に起きた火災で複数の旅館が焼け、更に2013年の豪雨災害で客足が遠のき、旅館の廃業が相次ぎ・・・。結果、宿泊施設の数はピーク時の約20軒から3軒にまで減少。2020年の入込客はなんと3万3千人、宿泊者数は6,061人にまで減ってしまったといいます。

このままではまずいと、民間事業者、住民、市役所などが一緒になって取り組んだ再生プロジェクト。

最初に、街の中心に泊食分離のためのセントラルキッチン、イタリアンレストラン「有福BIANCO」が誕生しました。

宿泊施設や体験コンテンツにおいて、食事って、販売価格を上げやすい要素、ではあるのですが、これを経常的に提供するためのオペレーションって、宿泊事業者にとって非常に重いのです。
でも東京のど真ん中とは違って、山里の温泉街では宿泊客に飲食を提供せざるをえません。
気軽に飲み食いできる場所、購入できる場所が限られますから。

泊食分離を効果的に進めることができれば、セントラルキッチン機能を担う飲食店が地域の旅館やホテルに食事を提供することで、宿泊施設側はコスト低減や合理化をすることができる。
その飲食体験が魅力的であれば、顧客の体験価値を担保できるので、宿提供の飲食がなくても価格を落とさずに販売できる。

しかもこの「有福BIANCO」、
レトロな温泉街の中にしっくりなじんで、かっこいいのですよ!

そして同時に、国や県の補助金も活用して、民間事業者が身銭を切って、既存施設の改修や新規出店を進めた結果・・・!

なんと今では、宿泊施設は10軒にまで増加。

これ、インバウンド景気に湧くゴールデンルート直下の一大観光地、とかの話じゃないですからね。
宿泊施設を増やしたって観光客が再び戻ってきてくれるかはわからない、
島根県の、「東京から一番遠い街」とも言われた人口約2万人の江津市の、
ちいさな温泉街でおきていることです。

有福温泉の観光×教育×地域文化

有福温泉で宿泊施設を運営し、さまざまなプロジェクトを仕掛けている、

SUKIMONO株式会社

という会社があります。

設計・建築、家具、ファブリックなどを手掛ける彼らが運営する宿は、
ぶっちぎってかっこいい。
革新的なのに伝統技術がふんだんに取り入れられていて、
そしてその街に、土地に、自然にたたずんでまざりあっている。

彼らを中心に、有福温泉は現在、「教育×観光」に力を入れています。

有福温泉の近く、跡市という場所に、廃校になった小学校があるのですが、
そのフィールドを活かして「森のようちえん(北欧で発祥した、自然環境を利用した幼児教育や子育て支援活動のこと)」を運営する認可保育園「里山子ども園わたぼうし」。
この保育園では、2024年から、キッチハイクが運営する「保育園留学」を受け入れています。

地域で連携して「保育園留学」を誘致した、と言ったほうが正しいかもしれません。

保育園留学とは、1〜2週間、都市部や他地域のこどもがある地域の保育園に「留学」し、親も一緒にやってきて、テレワークなどで働きながら家族で多様な地域に滞在するサービスのこと。

初年度、2024年の4~8月の利用者数は19組29人。
29人が全員14泊したと仮定したら、これは1名1泊とカウントしたとしたら406泊と変わらないわけですから。
地域の観光産業にとっては非常に大きなインパクトです。

他にも、前述のSUKIMONOの代表・平下さんが代表を務める実行委員会が2023年に開催した、「なりわいブートキャンプ」。
これは、地域の実業家・職人との交流を通じた、新しいなりわいの創出プログラム第一弾。
地域内外の人の交流を生み、廃校になった小学校や有福温泉を活用して、滞在制作の環境を整えていこうというものでした。

ある土地で暮らすこと、学ぶこと、つくること、生きること。
そういう場所に、他者が訪れること。
そこから生まれる何かをうけとること。

有福温泉では、そういう不思議な受け渡しがとてもうまくかみ合って、
巡り合っているような気がします。
土地の物語を受け取って、手渡してまた受け取って。
そんな循環が、地域文化と地域経済のなかで起こっています。

文化と癒し

前回私は、文化を、

人間を、ある時、ある特定の集団単位でながめたときに浮かび上がってくる、行動様式や価値観における一定のパターンのこと

と(勝手に)定義しました。

つまり文化って、
いつどこから始まったかわからないけれども、おじいちゃんのそのまたおじいちゃんの、もしかすると更にその前から、変化しながらも綿々と続いてきているなにか。
時代と個々の生を超えて続くもの、繋がるもの。
気がついたら自分自身がその一部になっているような、
無意識のうちに自分のコアな部分がどこか影響を受けているような、
個の力が及ばない果てしなく大きいもの。

そんなものなのではないでしょうか。

壮大で、とほうもない、宇宙みたいですね。

ユング心理学の河合隼雄は、西洋的合理主義や経済主義が生むひずみに疲弊したとき、ひとびとはそういう物語に癒されると言いました(たしか)。

「暮らし観光」とか「文化観光」と呼ばれるような昨今の観光業界のキーワード(その土地にしかないユニークな体験に価値を見いだす傾向)の所以は、もしかすると、そういう壮大でとほうもない、他の誰かの物語が、わたしたち現代人を癒すから、なのかもしれません。

***


ここまで読んでいただいて、ありがとうございました!

次回は、別の土地についての「地域の暮らしと文化」の事例をまとめてみたいと思います。
ただし、とうぶん島根に偏る可能性がありますが、是非お付き合いください。

では!

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