マザー愛

袖振り合うも多生の縁、出会った男は少しでも良い男に、女は笑顔にして社会に還元したい。人が人を変えることはできない、ただ、ひたすら愛を注ぐのみ。癒しと再生の場「バー とまり木(仮)」2024年open。私の波瀾万丈人生に興味のある方はこちらを。

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袖振り合うも多生の縁、出会った男は少しでも良い男に、女は笑顔にして社会に還元したい。人が人を変えることはできない、ただ、ひたすら愛を注ぐのみ。癒しと再生の場「バー とまり木(仮)」2024年open。私の波瀾万丈人生に興味のある方はこちらを。

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はじめまして。マザー愛です。 ツイッターをフォローしていただいている方は、いつもありがとうございます。 先日ツイッターで、「どんな内容のnoteが読みたいですか」という問いに票を投じていただいたお2人の方、本当にありがとうございました。「毒親との関わり方」と「個人営業の極意」に、1票ずつ入れていただきました。 いつも言ってますが、票が少ないところに投じていただけるのは本当にありがたいことですし、どんな事業でも、最初の1人目のお客様がいます。私は投じていただいた2票を決し

    • 更新少し遅くなります!

      いつも読んでいただきありがとうございます。 ほぼ1年ぶりに仕事復帰しまして、バタバタしているのと、体を慣らす途上のため、更新が滞っております。。 1~2週間ほどこんな状態が続くかもしれませんので、お知らせしておきます。 ちなみに次回は、引越しシーズンも近づいてきましたので、HSP目線の「物件選びや引越のコツ」なんかを書いてみたいと思っています。 他、リクエストなどありましたらお知らせください🤭 取り急ぎお知らせまで~

      • コロナ禍でヘアケアを変えたら、髪が復活!

        いつもお読みいただきありがとうございます。 コロナ禍で、弊害を受けてない人なんて誰もいないと思いますが、 「人生に起きることで、無駄なことはない」というのもまた事実で、大変な出来事の中にも何かしら学びや効用のようなものがあるもので。 そんなわけで今回は、コロナ禍で起こった“良い”変化について書いてみたいと思います。 日本人全体でいえば、諸外国に比べれば清潔といわれてきた国民性が、さらに清潔になってるのも、良い変化ですよね。 まさに私もコロナ前までは、お恥ずかしいこと

        • 毒親のもとを離れて大変だったこと

          いつも読んでいただきありがとうございます。 バタバタして更新が遅くなりましたが、今日はふと思いついたので「毒親のもとを離れて大変だったこと」について書いてみようと思います。 ちなみに、前にもお知らせしたとおり、「毒親との関わり方」シリーズは23話にていったん完結しています。誕生~毒親と絶縁~現在までのことはそちらに書いていますので、なぜ毒親のもとを離れるに至ったか、ご興味あればご覧ください。 思い出してみれば、18歳で逃げるように家を飛び出して、最初に困ったのは「携帯の

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        • HSPのあれこれ
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        • 毒親との関わり方
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          なぜ神社に行くのか

          いつもお読みいただきありがとうございます。 テレビなどで最近、まあ最近に限ったことじゃないですが、こういうご時世なのでなおさら、「神社巡りでご利益をいただこう」みたいな内容をよく目にするんですが、あれがも~~モヤモヤしてしょうがない。笑 お願い事をしちゃいけないとは言いませんが、何でまず「ご利益ありき」なのか、まずは日々の「挨拶」、そして「感謝」あってのことでしょ、と思ってしまうわけです。 そんなわけで今日は、「神社へのお参りのしかた」と、「なぜ神社に行くのか」について

          なぜ神社に行くのか

          #23 毒親との関わり方 ~完全な絶縁、そして結婚から現在~

          義両親への挨拶を無事に終えて数ヶ月、私の側の親戚にも、誰か一人くらいは夫を会わせておいた方がいいだろう、ということで、 最初は叔母(母の姉)を候補に考えていたのですが、叔父の体調が悪く入退院している状態だったので、90歳を前にしてバリバリ元気な父方の祖父に報告に行くことにしました。 まあ祖父ですから、二人で楽しくやってね、という感じで報告は終わり、11月だったので色づき始めた紅葉を楽しみ帰ってきました。 それからしばらくして、両親からメールが届きます(両親との連絡はすべ

          #23 毒親との関わり方 ~完全な絶縁、そして結婚から現在~

          「水が合う」ことのすごさ

          いつもお読みいただきありがとうございます。 「水が合う」っていう表現は、文字通りもあるでしょうが、どちらかというと「土地に慣れる」とか「風土に順応する」的な比喩表現で使われることが多いと思うんですが、 私が“文字通りの意味”で「水が合う」を体験したとき、こんなことってあるんだ、、とかなり衝撃だったので、その時の話を今日は書いてみようと思います。 ちなみに私は、これまでも書いてきているとおり、敏感体質というのもあり、幼いときから、祖父母のいる田舎(福島)に帰ると髪や肌の調

          「水が合う」ことのすごさ

          #22 毒親との関わり方 ~結婚という気の重いイベント②~

          前回のとおり、希望だった“北海道出身”の夫と運命的に出会い、じっくりゆっくり見極めながらお互いの価値観のすり合わせをし、3年付き合って、ついに義両親のもとに挨拶に行くことになりました。 ちなみに、結婚を考える上で、「相手の親」のことも相当念入りに情報を集め、時間をかけて見極めました。 私にはそもそも帰る場所はありませんし、人生ハードモード過ぎて、やっと傷は治ってきたとはいえ、後遺症だらけでボロボロな中、もし義両親が嫌な人だったりしたらとても耐えられません。当然そうなれば結

          #22 毒親との関わり方 ~結婚という気の重いイベント②~

          「自己肯定感」よりまず「自己英雄感」

          いつもお読みいただきありがとうございます。 ツイッターで、しばらく「自己肯定感」をテーマにツイートをしていた時期がありまして、結構いいねをいただいたこのツイートを固定ツイートにしてあるのですが、 この頃、「自己肯定感養成塾」なるものをやろうかな~、なんて考えていたこともあり、よくよく自己肯定感について調べたり情報を集めてたんですが、そこで、いやまてよ、私、まだ「強固な自己肯定感」を獲得したとまでは言えないんじゃないか、と思い始め、いったん棚上げした、ということがありました

          「自己肯定感」よりまず「自己英雄感」

          #21 毒親との関わり方 ~結婚という気の重いイベント①~

          これまで書いてきたように、かなりハードな人生を送ってきた私が、“真剣に”結婚を考えたのは2015年、34歳になる年のことでした。 結婚やHSP関連のnoteでも何回か書いてますが、ハードな人生の上に、HSPという気質が重なっていたのもあり、妄想で結婚を思い描くことはあっても、 人に干渉されるのが嫌だとか、人と共同生活なんて無理だとか、そもそも親を相手に会わせられないじゃないかとか、そんなことより自分の生きてきた人生がヤバすぎて結婚なんてできるわけがないだろとか、とにかくも

          #21 毒親との関わり方 ~結婚という気の重いイベント①~

          部屋の状態は心のバロメーター

          noteを書き初めて3ヶ月になりました。最初に宣言した週3更新から、諸々の事情により今は週2更新としていますが、いつも読んでくださっている方、フォローしてくださっている方、ありがとうございます。 そして先日、初めてサポートをいただきました。感激しました。早速、宣言どおり、日付・お名前・金額を帳簿につけさせていただきました。バーの開店資金として、大切に預からせていただきます。 売り上げという意味では、note事業での初めてのお客様ができました。初めてのお客様というのはいつも

          部屋の状態は心のバロメーター

          #20 毒親との関わり方 ~毒親を「赦す」ということの意味~

          これまで書いてきたとおり、すべてを受け入れて肯定し愛してくれる男性や親友の存在、医者や本の言葉、そして自分の能力を認め、自信を持ちはじめたことにより、私は少しずつ癒されていきました。 そして、36歳を迎えたころ、毒親に対して抱いていた感情に変化が現れます。 「もうすべて消化した」「自分の精神衛生のために赦そう」 という気持ちがわいてきたのです。 この「赦す」というのは、「もういい、これまでのこと、許してあげる!」というような単純なことではありません。 親への恨み辛みや

          #20 毒親との関わり方 ~毒親を「赦す」ということの意味~

          人の幸せを喜べないとき

          いつもお読みいただきありがとうございます。 今日はちょっと重い?タイトルですが、私には、「人の幸せを喜べなかった時代」がありました。 ピークは20代前半の頃だったように思います。まさに、これまで書いてきた“暗黒の時代”の真っ最中です。 そりゃあ、あれだけ精神がボロボロでは無理だろ、と若干自分に同情しなくもないですが、当時は、人の幸せを喜べないどころか、テレビ越しに笑っている人を見るだけでムカついてました。 「私はこんなに辛い人生を送ってるのに、笑ってられるなんて!」み

          人の幸せを喜べないとき

          #19 毒親との関わり方 ~親友、医者、本の助け~

          前回のとおり、私を生まれ変わらせてくれた男性の助けもあり、私は少しずつ「自分を癒すこと」に向けて動き始めました。 ちなみに、今私の親友は3人、すべて高校時代の友人なのですが、20代の頃は、高校の同窓会や私の独立祝いをしてくれたときなど、限られた数回しか会うことはありませんでした。 会うときも、いつも順風満帆のように見せて、弱みや決して辛い心のうちを見せることはありませんでした。 30を過ぎて、これまで書いたいくつかの出来事で変わりつつあった私は、ついに決意して、一番近く

          #19 毒親との関わり方 ~親友、医者、本の助け~

          「何もかもがおっくう」なときにできること

          いつも読んでいただきありがとうございます。 突然ですけど、ほんとに、何もかもがおっくうなときって、ありませんか。。 食後に、食器を台所に運ぶこともおっくう、シャワーを浴びて身支度を整えることなんてもう、しないで済むならずっとしたくない、みたいな。無理ですけど。笑 特に、台風のシーズンとか季節の変わり目なんかは、気圧の影響も出ますしね。 起きて、何もやる気がしない。かといって、ずっと寝てるわけにもいかない、というか、一日中寝てるとよけい具合が悪くなったりすることもあるわ

          「何もかもがおっくう」なときにできること

          #18 毒親との関わり方 ~変化のきっかけ~

          これまで書いてきたとおり、家を出た18歳から20代後半までは、仕事、プライベート、心身の状態、生き方、すべてにおいて暗黒の時代を過ごしていました。 ちなみに、恋愛に関しても20代はもう、ただ一時の刺激、ドキドキ、ワクワクを求めていただけだったので、半年以上付き合うことも全くありませんでした。飽きてきたり、相手の気持ちが離れているのを少しでも感じると、すぐに自分の方から別れを切りだして別れていました。 根底にあったのは、「親ですら信じられないのに、他人を、まして男など本当の

          #18 毒親との関わり方 ~変化のきっかけ~