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「自己肯定感」よりまず「自己英雄感」
いつもお読みいただきありがとうございます。
ツイッターで、しばらく「自己肯定感」をテーマにツイートをしていた時期がありまして、結構いいねをいただいたこのツイートを固定ツイートにしてあるのですが、
元彼を忘れさせるのは「時間」ではなく「次の男」。だから、とりあえずでも次の男を作る、は良い案なんだけど、「元彼を忘れられない体質の女」は、次の男にも結局ハマってしまうので、堂々巡りしてるうちにババア、という悲惨な末路になる可能性が高。根本的に恋愛の体質を改善しないと解決はない。
— マザー愛@モテの極意を発信 (@aya_m_miracle_h) June 18, 2018
この頃、「自己肯定感養成塾」なるものをやろうかな~、なんて考えていたこともあり、よくよく自己肯定感について調べたり情報を集めてたんですが、そこで、いやまてよ、私、まだ「強固な自己肯定感」を獲得したとまでは言えないんじゃないか、と思い始め、いったん棚上げした、ということがありました。
そもそも、「◯◯ができる私ってすごい!私には価値がある!」というのは、「自己肯定感」というより「自己英雄感」なわけです。
自己肯定感というのは、これまでも何回も書いてますが、仮に何も持っていない自分だとしても、「存在していること自体を肯定できる」ことなんですよね。
つまり、その「◯◯ができる私ってすごい!」の◯◯がたとえなくなったとしても、存在していること自体に価値があるんだ、と思えて初めて自己肯定感になるわけで。
これは、親から自己肯定感を植え付けてもらえなかった人間からすると、たどり着くのは相当難しい壁です。
私も、寝食忘れて心身を壊してまで頑張って、仕事では結果もそこそこ残して、恋愛も基本相手に困らず、結果今いい相手と結婚できても、じゃあそれがイコール自己肯定感になるかといったら全然そうじゃない。そんな単純なことじゃないんですよね。
そんな経験から、親に自己肯定感を植えつけてもらえなかった人間が自己を肯定していく順番としては、「自己英雄感」が先だな、と思うようになりました。
1つも良いところ、長所のない人間はいません。「自分の生きていることそのものを肯定する」なんて壮大なことより、「長所ひとつ」を探して徹底的に伸ばし、成功体験を積み重ねて自信をつけていく方がスタートとしてははるかに楽です。仮に自分では良いところを自覚できなくても、「周りからよく言われること」でいいわけですから。その方がよっぽど的を射ていたりするもんですしね。
私の例でいうと、小~中までは「まじめ」「頭がいい」「スタイルがいい」が人に言われる三大トップでした。
そして高校デビューをしたので、高校では圧倒的に「面白い」が突き抜けました。次点で「スタイルがいい」、「まじめ」は変わらず言ってくれる人はいましたが、しゃべるだけで勉強はしなくなったため「頭がいい」は言われなくなりました。笑
こうして見ると、自覚も含め、「まじめ」「スタイルがいい」「面白い」が、私の三大特徴と言えます。改めて自分で言うと恥ずかしいですが。笑
「スタイルがいい」に関しては、もう“棚ぼた”でしかないので、親に感謝して、できるだけ維持できるように努力し、武器として活用させてもらってきました。
今後の目標は、「50歳までスタイルを維持(完成)し、ビジネスにつなげること」です。素人で50までいいスタイルでいられたら、だいぶ差別化を図れるとは思うんですよね。今充電中でゆるんでしまってるし、普通に太りやすいし、太る食べ物が大好きなので相当にキツいですが、やれることはやっていきます。笑
で、自分に自信を持つ(自己英雄感)にあたり「見た目」は相当重要なファクターですが、本当の意味で確固たる自信を持つには、内面はより重要です。
私の場合は、内面でいうと「まじめ」が大きな特徴の1つなんですが、やはり一番の「ウリ」になるのは「面白さ=コミュニケーション能力」だと判断し、それを最大限に磨いて武器にしてきました。
ちなみに、「美人」とか「かわいい」とかは、クラスに1人言ってくれる人がいるかいないかくらいだったので、ああ、これはウリにはならないな、というのは切ないながら早々に理解しました(笑)。中学生の頃です。
いちばんキツかった出来事は、高校生のとき、栗山千明似の親友と池袋でナンパ待ちしてたら、全員親友にしか声をかけなかったこと。オーバーじゃなく、隣に座ってるのに、チラリとも見られないし、ついでに声をかけてもらえもしなかった。笑
親友が美人すぎたとはいえ、思春期の女子として、その現実を受け入れるのはほんとツラかったですけど、今では感謝してます。私は「面白い」「話術」でいこう、と若いうちに覚悟できたのは本当に大きかった。
ここから、自分の「ウリ」を「初対面の人とでも、1時間半は会話を持たせられること」と宣言して、営業の仕事も含め1000人以上の人と会い、見る目や相手の心をつかむ感覚を磨いてきました。まあ、磨くなんて言えばかっこいいですが、地(じ)を経験によってパワーアップしてるぐらいのことです。
実際、婚活のときも、「私といっしょにいれば、毎日面白いことだけは保証します」というウリ文句でやってました。笑
世の中にはいろんな人がいて、若い美人と結婚したい人もいれば、「毎日笑って楽しく生活したい」って人もいます。「私はこういう人間です!」と宣言することで、合わない人は基本近づいてこないので時間を無駄にしないし、会う人とうまくいく確率も格段に高くなります。
私の場合はこうして、自分の長所、ウリを自覚し、磨いて活用していって、40を目の前にしてやっと今、穏やかで平和な生活を手にしたわけですが、着実に近づいてはいるものの、まだ「生きていること自体を肯定」=「強固な自己肯定」まではたどり着いてはいないという実感です。
ちなみに、別に無理に自己肯定をする必要はないと思います。世の中には、「自己肯定感なんてなくても幸せ」って方もいるようです。強がりなのか本音なのかまでは分かりませんが、それはそれで良いと思います。みんな、「自分が幸せと思える生き方」をすればいいだけですから。こう生きなきゃならない、なんてものはないですからね。
私は、死ぬときまでには「いい人生だったぞ!生まれて良かった!」と、自分自身に満足して後悔なく逝きたいな~なんて思っているので、これからの人生、ゆっくり時間をかけて、自分を癒し、誉め、愛でて、ひとつひとつ肯定しながら歩んでいけたらと思っています。
「自分の幸せ」を、これからも追求していきたい。そのきっかけとして、私は、自分の長所、ウリを見つけるのが最初のステップになった。そんな話でした。
お読みいただきありがとうございました。
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