なぜ神社に行くのか
いつもお読みいただきありがとうございます。
テレビなどで最近、まあ最近に限ったことじゃないですが、こういうご時世なのでなおさら、「神社巡りでご利益をいただこう」みたいな内容をよく目にするんですが、あれがも~~モヤモヤしてしょうがない。笑
お願い事をしちゃいけないとは言いませんが、何でまず「ご利益ありき」なのか、まずは日々の「挨拶」、そして「感謝」あってのことでしょ、と思ってしまうわけです。
そんなわけで今日は、「神社へのお参りのしかた」と、「なぜ神社に行くのか」について、私の持論を書いてみたいと思います。
歴史上の人物にも、現在にも、「どんなときでも一切神頼みはしない」というポリシーで生きている強者はいますが、
人間生きてれば、何かにすがりたくなることもあるし、お願いしたくなることもあるのが普通でしょう。むしろ、そういうときのために神様がいて、参る場所があると言っても過言ではありません。
問題は「お願いのしかた」です。
人間同士でも、「自分が用事があるときだけ」相手の都合も考えずに一方的に時間をくれと言ってきたり、さして親しくもないのに「困ったときだけ」連絡してくるような人がたまにいます。助けてあげてもさして礼も言わず、逆に助けてあげないと逆ギレする人なんかもまれにいますよね。
当然、そういう人は好かれません。っていうか嫌われます。友達がいなくなり、当然、困ったときに助けてももらえなくなります。でも、人間同士の世界では、そういう人は比較的少数だと思います。
でも、こと「神様へのお願い」となると、いつも挨拶や感謝もしていないのに「願い事があるときだけ行く」とか、願い事をかなえてもらった、またはつつがなく過ごさせてもらったのに「お礼に行かない」、という人が多数いると思うのです。
人間相手にも失礼なことを、神様には平気でしてしまうなんて、そりゃあり得ないでしょ、と思うわけです。
ご利益を授けていただきたいと願うなら、普段から、自分の住む地域を見守ってくださっている氏神様にまずお参りして、挨拶と日々の感謝をお伝えしておくこと。毎日はさすがに難しいと思いますが、せめて月1では参拝したいところです。
氏神様が分からない方は、お住まいの地域の神社庁に電話すればすぐ分かります(近所の神社が氏神様とは限りません)。
そういう日々の積み重ね、基盤があってこそ、どうしても神様の助けが必要なときに、手を差しのべていただけるんじゃないでしょうか。
で、これは私の体験談ですが、私が神社に定期的に参り始めたのは、一人暮らしを始めた頃なのでかれこれ14、5年前になりますが、その頃はまだ、お参りするたびに「お願い事」を言っていました。
それが、3年ほど経った頃からでしょうか、もう、ほぼ「お願い」をすることはなくなりました。
どうしてかというと、運が良い自覚は昔からあったものの、定期的にお参りをすることによって、神様が私の必要なときに、必要な人、お金、物、すべてを与えてくださっていたことに気付き、
「挨拶と感謝を忘れなければ、必要なことはすべて与えられる」と、強い確信が持てるようになったし、実際そうなってきたからです。
ここで重要なのは、「すべてを与えてくださっていたことに「気付いた」」という部分です。
この「気付くこと」がまさに、「神社に定期的に参拝することの効果」です。
例えば、「結婚したいので、素敵な相手と出会わせてください」と祈ったとします。
そうすると、「わざわざ神社に参ってお願いする」という「行動」をしたことにより、「私は結婚したいんだ」という思いがさらに自分の中で鮮明になり、「こうして神様にもお願いしたんだし、何かあるかもしれない」と、チャンスを感知するアンテナも鋭敏になるわけです。
定期的にお参りし、ご挨拶と感謝を伝える日々を過ごせば過ごすほど、どんどん感覚が敏感になっていきます。常にチャンスを逃さないアンテナの感度を保つことができるわけです。
こんな表現は神様に失礼ですが、ご利益だとかそうでないとか、正直どちらでもよくなるくらい、感覚が磨かれていきます。
この「感度が上がること」こそが、神社へ行き、定期的に感謝を申し上げることの最大の「ご利益」である、と私は思っています。
「運は誰の前にも平等に来る、つかめるかどうかの違いだけ」というのも良く言われます。
私は正直、誰の前にも同じ数の運が来てるとは思いませんが、「一度も運が巡ってきてない(こない)人」は絶対いないはずです。日頃から感度を高めておけば、流れてきた運をつかめる確率がぐっと上がります。
ご利益が欲しい、運気を上げたいなら、まずは日々の挨拶と感謝から。そしてできれば願わずとも、すべて必要なことは叶えられると思えるところまで感覚を研ぎ澄ませていくことができるとなお良い、という話でした。
ちなみに、私はあまり経験はないのですが、スピリチュアルな感性が強い人などの場合、氏神様や近所の神社が「どうしても感覚に合わない」こともあるようです。
個人的には、そういうときは無理をしてまで行く必要はないと思います。失礼がないようにだけして、気が向くときだけご挨拶して、他に「快適で心が清々しくなる」ようなスポットを探してみるのも良いと思います。
ま、何事も人から強制されたり、当然ですが嫌々ながら行っても意味はありません。というかかえって失礼です。
挨拶と感謝の心を忘れずに、自分なりにしっくりいくうまいつきあい方ができたらいいですね。
お読みいただきありがとうございました。