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dance in the rain


「人を救うことができるのはね、救われている人間のみですから」
と、ある人が話の中で零していた。

救われた側のわたしは、救いを求めていた側だったわけで、救いの形をよく探っていた。
放っておいて欲しいのか、寄り添って欲しいのかとか、黙って聞いて欲しいのか、あなたがいちばん大変な思いをしていてがんばっているよと言って欲しいのか、そういうことあるよね大変だよねと言って欲しいのか、解決策を一緒に考えて欲しいのかとか。相手にとって自分は助けて欲しい人なのか、いつも通りでいて欲しい人なのかとか。

わかんない。いつも通り振る舞うのはつらいかもしれないし、心配されてつらいことを思い出す方が苦しいかもしれない。どんな救いを手渡したらあなたは安心できるだろうか。

  彼は黙って隣に座った。そうして暖かい手で優しく背中をさすってくれた。田舎のねこちゃんくらいのんびりした空気を連れてきた。まるで気を遣わせない、気まぐれで慰めているようなそれは、最上級の気遣いで、優しさだった。チラッと目線を向けると、とぼけて見せた。それでも依然背中からは「大丈夫だ」と伝わってきた。

「大丈夫」という言葉は怖い。その一言で本当に大丈夫な気がしてくる時があるかと思えば、他人にとっては「大丈夫」な出来事で「大丈夫」じゃなくなってしまう自分の不甲斐なさに絶望する時もある。ただ、彼のいう「大丈夫」には、「大丈夫じゃなくても大丈夫」だという印象を受けた。大丈夫じゃないあなたを知っても、あなたを切り捨てようとはしないと。ここにいるじゃないかと、強い光を感じた。

  もしも一度あなたを助けられたとしても、二度同じように助けられるかはわからない。あなたがまた苦しむようなことにあってしまった時、わたしはすぐにあなたの元へは行けないかもしれない。それは、不安定な状態のあなたには、置いていったように見えるかもしれないけれど、わたしはここに帰ってくる。必ずここに。

いつでもここにいると言いたい。帰る家がここにあると言いたい。けれど、そんなことは言えない。わたしはここにいない時だってあって、帰る家に帰らないことだってきっとあって、ここにいるのにあなたを出迎えられない時だって多分あって、そんな浅はかな嘘をつくことはできない。
それでもわたしはあなたが大丈夫じゃなくても大丈夫だし、行き詰まったら引き返す時間がある。

どうせあてのない旅なんだ。しばらくここにいたって、この辺で寄り道したっていいじゃないか。気にしないでくれよ。暇なんだ。ただちょっと死ぬ前に顔を見にきただけでさ。そのうちまた会いにいくって。勝手にいなくならないよ。わたしの知っている彼ならそんなことはしないもの。たまたま海が見たくなっただけだよ。顔見知りがいたからついでに声掛けただけでさ。ほんと。いるってずっと。ちゃんと帰ってるし。別の空見てるわけじゃないんだし、そんなに離れてないって。

あなたの周りにはたくさんの人がいるのに、あなたは偶にとても悲しそうな顔をする。あなたしか頼れないという顔をして泣きつく癖に、わたしがいることだけじゃ救われなくて、すこし、呆れそうになる。ひとりぼっちになったような気がするってその気持ちはよく知っているけれど、あなたの目の前にいるわたしを透明にしないでよ。

もう、雲の上まで行ってしまおうか。あそこはずっと晴れている。小さい頃夢見たみたいに、雲の上で暮らそうか。そうすれば心も晴れるのか?

あなたがひとりじゃないことに、気づきますように。泣きたい夜に必ず寄り添ってくれる人を見つけるなんて望み薄だろうけど、寄り添いたいと思ってくれる人はいるだろうし、あなたは人運があるしさ。なるようになるよ。

だって、ここにいるから。あなたにはもう見えなくなってしまったのかもしれないけれど、救われないかもしれないけれど、わたしはここにいる。

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