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#ネタバレ 映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」

「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」
1992年作品
見ること
2003/6/20 17:48 by 未登録ユーザ さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

( チャップリンの「街の灯」と「アバウト・シュミット」にも触れています。)

退役軍人である主人公は事故で目が見えなくなり、とても苦しんだはずだ。いや絶望と言ったほうが相応しいかもしれぬ。悩み、苦しみぬいた果てに・・・彼は「この苦しみから逃れるには、死ぬしか方法がない。出来れば生きていたいのだが・・」との心境に達したのだろう。

だから、彼は「死ぬための旅」に出かけたのである。生きるにしても死ぬにしても結論を出さなければならない時が来る。長期間本気で悩み続けていられるほど人間は強くないのである。これは、この世での心残りを整理するための旅である。

お供は盲導犬代わりの青年だ。主人公は最初は本当に青年を盲導犬としてしか見ていなかった。しかし、だんだんと心が通い、青年に最後の人生相談を試みるのだ。青年にとってはとんでもない迷惑な大役だ。自分自身の問題さえ解決できていないのに・・・。

その時、青年が何か気のきいたセリフを主人公に話したのかもしれないが、それ以上に本気での魂のぶつかり合いが主人公の心に触れたのである。

このとき主人公は「もう死にたい」と同時に「出来れば死にたくない」とも思っていた。どちらでも良い、もうどちらかに決めるのだと、そんな気持ちが芽生えていた。機は熟していた。誰かに「生きろ」と手を引っ張ってもらえさえすればよかった。

青年は手を引っ張った、それを信じて主人公は生きてみる事にした。もう本音で話し合える友が出来たのだ。それに恋の予感さえも。彼は二度と同じ旅にはでないだろう。もう彼は孤独ではない。

この映画は「見ること」を描いている。主人公が盲目であるばかりでなく、青年もまた目撃した事を責められているのである。

そして、これはチャップリンの「街の灯」へのオマージュであろう。「街の灯」でも見ること(泥酔者・花売り・冒頭の除幕式など)を描いている。テーマ曲までそっくりである。

思えば映画「アバウト・シュミット」もどこか「セント・オブ・ウーマン」と似た匂いのする映画であったが、あちらに足りなかったものがもし有ったとしたら、それは主人公の心情の振幅の、ドラマッチックな大きさの描写だったのかも知れぬなどと、今は思ったりしている。

★★★★★

追記 「仲間は見捨ててはいけない」 
2007/10/10 20:39 by 未登録ユーザさくらんぼ

> そして、これはチャップリンの「街の灯」へのオマージュであろう。

この映画を久しぶりに観てみたら映画の主題が聴こえてきました。

「仲間は見捨ててはいけない」と。

戦争になると敵味方に別れて戦います。敵味方を分けるサインは軍服です。あの人は知らない人だから敵に包囲されていてもシラナーイと、友軍を見捨てて逃げる人は無いと思います。味方なら見知らぬ他人でも命がけで助けるのが軍人でしょう。

この映画は軍のモラルを学校でも使っているようです。校長のクルマにいたずらをしたのは、別に自分の親友ではありません。それどころか単なる同じ学校だというだけで友人ではありません。それなのにこちらの未来をかけてかばう事になるのです。

でも、かばわなければいけません。学友という仲間は見捨ててはいけないのです。ラストでいったんは消えたと思われたあのアルパチーノが学校に戻ってきます。友のために校長と激論を交わすために。

ところで、この映画とチャップリン映画「街の灯」のテーマ曲が似ていると話しました。そして今その理由が分かったような気がします。

「街の灯」では眼が開いた花売り娘から、恩人チャップリンは捨てられます。それを観た「セント・オブ・ウーマン」監督?はこう思ったのでしょう。

君、「仲間は見捨ててはいけない」んだよって。

もしよろしければ「街の灯」そして「ライムライト」にも私の投稿がありますのでご覧ください。微妙に関連しながら書いてあります。

追記Ⅱ ( 万引き ) 
2016/3/24 9:47 by さくらんぼ

さきほどラジオのDJさんが読んだ投稿文から。

「 数年前の事、万引きをしたとして先生から責められ、進学にも影響し、それを親に話すよう言われ、帰宅途中に自殺した中学生・Aさんの話です(最近、中学生の知人から投稿があったようです)。

その日、Aさんたちは店に行きましたが、Aさんの知らないところで友人が万引きをして捕まり、Aさんは友人たちに代わって店に謝罪しました。先生には友人たちの名前を言いませんでした。」

年上だったり、親分肌の人間は、自分は悪くなくても代表者として謝罪することがあります。そして、そんな人物はあまり“仲間は売らない”ものです。

ふと、映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」に出てくる生徒・チャーリーを思いだしました。

追記Ⅲ ( 「何だこのクソ裁判は!」 ) 
2016/3/25 7:49 by さくらんぼ

あらためてこの映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」を思い出してみたのですが、生徒・チャーリーの内面の強さには凄いものがあると気づきました。

チャーリーは目立たない、大人しい少年として登場します。最後までそのままです。アメリカ人らしくありません。日本人だとしても、イジメられっ子になりそうなほど弱い雰囲気をまとっています。映画「キャリー」のヒロインみたいに。

そんな彼に降りかかる幾多の災難。

まず、同級生が校長の車にイタズラしたのを目撃したため、「犯人を売らなければお前も退学処分、売ればハーバードへ推薦入学させてやる」と脅される。

その期限はクリスマス休暇明けなので、たのしい休暇が苦悩で台無しになる。

さらに、苦悩休暇中は学費を稼ぐためのアルバイトもしなければならない。人生を考えている余裕がない。

アルバイトは、口の悪い“アル中のくそオヤジ(フランク)”の世話だった。

そのフランクは苛立ちの矛先をチャーリーに向け、罵り、いじめる。

さらに盲導犬としてニューヨークまで連れていかれ、24時間体制で世話をさせられる。

あろうことか、旅先ではフランクの方が拳銃で自殺騒ぎを起こし、チャーリーは命がけで説得して踏みとどまらせるはめに。

やっとフランクから解放され、命拾いしたのちには、孤立無援、絶体絶命の学園裁判が待っていた…。

この間、チャーリーはまったく泣き言を言わない。静かに運命を受け入れ戦っている。だから私はチャーリーの内面の苦悩を十分には忖度できなかったのです。恥ずかしい限り。もちろん、“泣き言を言えるほどの暇もなかった”とも言えるが。

でも、どんなときでも取り乱さず、自ら苦悩の中にあっても人を救うことができるチャーリーは凄い人物でした。高潔かつタフで優しい心を持ったチャーリー。環奈ちゃんみたいに1,000人に一人の逸材だったのです。まさにアメリカを背負うにふさわしい人物。

映画に旅が出てきたときは「相互理解の装置」として登場することが多い。だからこの映画もフランクだけがチャーリーの真価を理解したのですね。だから彼を退学処分にしようとした学園裁判に対し“ありえない”と呆れかえり、激怒するのです。

何年もかかってやっと私は「何だこのクソ裁判は!」と言うフランクのセリフが分かったような気がしました。

追記Ⅳ ( 見ること ) 
2016/3/25 17:38 by さくらんぼ

> この映画は「見ること」を描いている。主人公が盲目であるばかりでなく、青年もまた目撃した事を責められているのである。
> そして、これはチャップリンの「街の灯」へのオマージュであろう。(本文より)

映画「街の灯」では、盲目の花売り娘が、チャップリンからの「愛」をまるで“街灯”のように明るく感じていました。「愛」は盲目でも見えるのです。

映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」では、盲目のフランクが、チャーリーの「内面」を見ていました。「内面」は盲人でも見えるのです。きっとチャーリーは輝いて見えたのでしょう(チャーリーがどんな顔か気にしていましたが、「外面」は見えないからですね。決してゲイではなく)。

チャーリーという人物を正しく評価したのは、健常者の校長ではなく、行きずりに近い盲人だったのです。

これで本文のタイトル「見ること」に戻ってこれました。

追記Ⅴ ( 車のペンキ ) 
2016/3/26 6:41 by さくらんぼ

>映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」では、盲目のフランクが、チャーリーの「内面」を見ていました。「内面」は盲人でも見えるのです。きっとチャーリーは輝いて見えたのでしょう(チャーリーがどんな顔か気にしていましたが、「外面」は見えないからですね。決してゲイではなく)。(追記Ⅳより)

ならば校長が車のペンキを気にしていたのは、“「外面」しか見えない人の記号”だったのでしょう。

追記Ⅵ ( 名セリフ ) 
2016/3/26 6:46 by さくらんぼ

「チャーリーが受け身すぎる」との感想を持つ方もいらっしゃるかもしれません。でも、この映画にはこんな名セリフがありました。

「人生はタンゴと同じだ。足がもつれても、ただ踊り続ければいい」

このセリフに人生のピンチを救われました。チャーリーもフランクも、そして私も。

追記Ⅶ ( 「なら売っちまえ!」 ) 
2017/7/28 8:37 by さくらんぼ

>まず、同級生が校長の車にイタズラしたのを目撃したため、「犯人を売らなければお前も退学処分、売ればハーバードへ推薦入学させてやる」と脅される。(追記Ⅲより)

映画の前半、自動車の中で、フランクがチャーリーに語るシーンがあります。

フランク:「犯人はお前の友だちなのか?」

チャーリー:「違います。ただのクラスメイトです。」

フランク:「友だちでもない奴のために、お前は退学させられるのか?」

チャーリー:「・・・」

フランク:「なら売っちまえ! そうしてお前は、さっさとハーバードへ行けばいい。」

正確ではありませんが、概ねそんな会話がありました。リアルですね。もし私がチャーリーの立場だったとしても、先輩にはフランクと同じようなセリフを吐く人がいたはずです。

逆にもし私がフランクの立場だったとしても、チャーリーに同じ事を言ったかもしれない。

これはフランクがチャーリーを試したのですね。そして「売ってしまったら」、チャーリーをその程度の人物と評価して、ビジネスライクな関係に終わるでしょう。

しかし絶望の底でもチャーリーは売らなかった。その心意気に感動したフランクは、チャーリーを親友たる人物と認め、ラストの援護射撃へと繋がったのです。

実社会の先輩は、学校の先生とは違います。

追記Ⅷ ( 映画「gifted/ギフテッド」 ) 
2017/11/27 9:22 by さくらんぼ

>これはフランクがチャーリーを試したのですね。そして「売ってしまったら」、チャーリーをその程度の人物と評価して、ビジネスライクな関係に終わるでしょう。(追記Ⅶより)

映画「gifted/ギフテッド」を観て思いだしたのですが、映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」で描いていたのも、詰まるところEQ(心の知能指数)だったのかもしれません。

この旅で、フランクはチャーリーのEQを判定し、「アメリカの未来を託すのにふさわしい人物」と認めたからこそ、あのラストへと繋がるのです(IQ(知能指数)については、ハーバード推薦入学の件で、すでに判定済みですし)。

追記Ⅸ ( これも映画「街の灯」の完全版か ) 
2020/11/14 22:11 by さくらんぼ

『  > そして、これはチャップリンの「街の灯」へのオマージュであろう。

この映画を久しぶりに観てみたら映画の主題が聴こえてきました。

「仲間は見捨ててはいけない」と。

戦争になると敵味方に別れて戦います。敵味方を分けるサインは軍服です。あの人は知らない人だから敵に包囲されていてもシラナーイと、友軍を見捨てて逃げる人は無いと思います。味方なら見知らぬ他人でも命がけで助けるのが軍人でしょう。

この映画は軍のモラルを学校でも使っているようです。校長のクルマにいたずらをしたのは、別に自分の親友ではありません。それどころか単なる同じ学校だと言うだけで友人ではありません。それなのにこちらの未来をかけてかばう事になるのです。

でも、かばわなければいけません。学友という仲間は見捨ててはいけないのです。ラストでいったんは消えたと思われたあのアルパチーノが学校に戻ってきます。友のために校長と激論を交わすように。

ところで、この映画とチャップリン映画「街の灯」のテーマ曲が似ていると話しました。そして今その理由が分かったような気がします。

「街の灯」では眼が開いた花売り娘から、恩人チャップリンは捨てられます。それを観た「セント・オブ・ウーマン」監督?はこう思ったのでしょう。

君、「仲間は見捨ててはいけない」んだよって。 』(追記より)

先日BSで録画した本作を、久しぶりに少し観ました。

そして、(すでに書いていたことを忘れて)やはり上記と同じ感想を持ったのです。

今回もう少し付け加えるならば、映画史に語り継がれる空前絶後のラストシーン、「あの瞬間の花売り娘の心に起こったであろう葛藤」をモチーフにして、157分の映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」が作られたのだと思いました。

全盲の元陸軍中佐フランクと同級生のジョージは、花売り娘の心の葛藤を表現するために置かれた、「彼女の心を二つに分割した存在」だった可能性があります。フランクも一度逃げ出してから戻ってきましたので聖人君子ではなかったようですから。

追記Ⅹ ( フランクではなくジョージの教えを守ったチャーリー ) 
2020/11/15 10:38 by さくらんぼ

同級生のジョージたちは、裕福な遊び人でしたが、映画を観直したところ、思い込んでいたほどの悪人ではなかったようでした。

この映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」で、最初に「仲間を売ってはいけない」と言ったのは、意外にもジョージです。

ジョージとチャーリーが二人でキャンパスを歩いていると、遠くでジョージの友だちが校長のクルマに悪戯をしようとしていました。

「あれはなんだ?」と二人で思っていると、一人の女の先生が声をかけてきたのです。直感でヤバいと思ったジョージは先生に話しかけて注意をそらし、追い払いました。

そして、チャーリーにしつこく言ったのです。「仲間を売ってはいけない」と(セリフは正確ではありません)。

それに、クルマに悪戯を仕掛けていた仲間の一人も、少し前には、チャーリーをクリスマスの豪華旅行に誘おうとしてしました。(バイトを予定していた)チャーリーが「そんな大金は…」と言うと、「いくら足りないんだ」と聞いてきたのです。「(バイトもしたいから)全額以上足りない」とは恥ずかしくて言えないので、お茶を濁して立ち去るチャーリー。

それを見送った仲間は「持つ者は持たざる者に分け与えるのが務めだ」みたいな話をして、本気で、お金を出してあげてもチャーリーを連れて行きたかったようでした。

要するにチャーリーが単なる同級生だと言っていた彼らは、チャーリーを友人だと思っており、そんなに悪い人間ではなかったのです。

しかし、学長や親から追い詰められて、弱さゆえに、チャーリーと対立する様になっていくのですね。

フランクもそうです。「弱い犬ほどよく吠える」と言いますが、あの悪態は目の症状が悪化し、追い詰められた精神的な苦しみゆえの「泣き・甘え」だったのです。

そして、チャーリーを学校に送り届けたフランクは、「面倒には関わりたくない」とばかりに、値上げしたバイト賃を安く戻したうえに、裁判から逃げていくのです。さらには「仲間を売っちまえ」とさえ言っていましたね。

そんな中、チャーリーだけが静かに思考していました。

一番強い人間はチャーリーだったようです。

追記11 ( クルマとペンキの意味 ) 
2020/11/15 14:18 by さくらんぼ

校長のクルマに悪戯(ペンキをかけた)をするというエピソードの意味は何なのでしょう。

加害者は「持つ者は持たざる者に分け与えるのが務めだ」と言った学生です。

しかし、そんな学生の思想とは反対に、「校長は持つ者なのに、さらに私腹を肥やそうとしている、高級車で見栄まで張って」と憤慨したからでしょう。

そして、あのペンキが高級車にかかるというエピソードは、映画「街の灯」の冒頭で、チャップリンが除幕式前の、幕のかかった銅像をねぐらにしていたエピソードの記号なのだと思います。

銅像→虚栄 、幕→ペンキ、 偉い人が除幕→校長、がキーで、風船を割ったらペンキが出た、になるのでしょう。

映画「街の灯」でのチャップリンは、「偉い人は、こんな銅像を建てるカネと暇があるなら、ホームレス対策をして欲しい」と言っていたのだと思います。

「持つ者は持たざる者に分け与えるのが務めだ」と。

この冒頭のエピソードが、ホームレスでありながら盲人に分け与えるチャップリンの話につながります。

だから、開眼した花売り娘は、今度はホームレスに分け与えなければなりません

追記12 ( 俺の「推しメン」を潰すな ) 
2020/11/16 9:11 by さくらんぼ

映画「トップガン」にも描かれている通り、一線をリタイアした者が後輩を指導する仕事に就くのは良いことです。

映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」のフランクも、将軍にも手が届きそうなほど優秀な軍人でしたが、酒癖が悪いうえに盲人になり、自暴自棄になって、その道も閉ざされていました。

ですから、チャーリーをハーバードへ送り込んで将来は政治家にさせ、できれば大統領にすることは、結果的にフランクにとってのそれになったのだと思います。

すると、あの旅は面接試験のようなものになりましたね。

フランクは軍人としての自分が仕えたい人物を大統領に推したいわけです。

このあたりの気持ちは、映画「愛と青春の旅だち」の訓練教官・黒人軍曹フォーリー(ルイス・ゴセット・ジュニアさん)が上手に演じていました。

(  以下、映画「愛と青春の旅だち」のネタバレです。)

『  基礎が「ルーチン」「演技」であるのは間違いないでしょう。しかし、その上に、教官のプライドが乗っているのです。そして、その比重はかなり大きい。

教官は、この士官候補生たちが、やがて自分の上官になる事を、当然に知っています。

だから、上官として自分が仕えても良い人物だけを、無意識に選別している可能性が大きい。「こいつはダメな奴だ!」と烙印を押されたら、徹底的にしごかれて、追いだされるでしょう。

でも、どんなにしごいても逃げださず、最後までリングに立っていたら、対戦相手もその闘志に敬意を表して、一目置くようになる事がある。

その敬意が、最後に来る感動的な敬礼に結実しているのです。

だから、教官の敬礼は本気の可能性があります。

「よくもまあ、俺のしごきに耐えたなぁ…」と言う。 』

( 2019/7/17 16:56 by さくらんぼ より抜粋 )

追記13 ( 見ること ) 
2020/11/19 13:44 by さくらんぼ

映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」。

これだけの大作なのだから、当然、ラストシーンにもこだわるはずだと思っていましたが、意に反して「やっつけ仕事?!」のような映像でした。

大学での裁判をひっくり返したフランクとチャーリーは、リムジンでフランク宅へ向かいます。

そこで、フランクが降りて再会を約束し、再びチャーリーを大学に送るためにクルマが去っていくところで映画は終わります。

クルマが走り去っていく道は上り坂で、途中には(じゃまな)歩道橋のようなものがあり、リムジンは上と下から挟まれて見えなくなるのです。

「何か理由があるはずだ」と封切りで観てからずっと心に引っかかっておりましたが、昨夜録画で観て分かったような気がしました。

おそらく、あれは「目」なのでしょう。

歩道橋(上瞼)と、上り坂(下瞼)が閉じて、映画は終わるのです。

追記14 ( 「ロマンチシズム」と「リアリズム」 ) 
2021/12/31 10:31 by さくらんぼ

先日のTVを観て思ったのですが、映画「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」のフランク・スレード中佐 アル・パチーノさん)も、若い頃はチャーリー・シムズ(クリス・オドネルさん)のような、「高潔」に軸足を置いた生き方を目指していたのだと思います。このような「実は似た者同士」という構図は、映画の定石かもしれません。

そして、フランクは自慢の人生観を全うするためにピュアな軍人になった。

しかし、軍隊はリアリズムの極致だと思います。「勝てば官軍」の世界では「高潔」だけでは作戦が出来ないのでしょう。フランクは勝つために信念を曲げなければならない事態に直面したはずです(そこにフランクが嘘つきになった種が見えるような気がします)。そして、信念に反する作戦をした上、多くの若者を死に追いやった。だから、フランクの心の中には高潔を捨てた無念と、若者への罪の意識が渦巻いていたのでしょう。そして、それを酒で紛らわすようになった。

宗教に近いほど大切だった信念が通用しない事態になり、彼は「目の前が真っ暗になった」。それが盲目という記号になっていたのかもしれません。

彼は手りゅう弾をもて遊んで誤爆させ、文字通りの盲目になってしまいましたが、もしかしたら、それは自〇しようとしていたのかもしれません。彼の自〇願望は、その時から疼き続けていたのでしょう。だから、映画の後半にフェラーリで暴走するのも、道路を赤信号で歩いて渡ろうとするのも、その為かもしれません。

そんなフランクが出会ったのは、若い頃の自分にも似た、絶滅危惧種に近いような高潔な青年チャーリーです。フランクは(かっこつけても今の内だけだ)とばかりに(魂を売ってしまえ)と悪魔のささやきを繰り返します。しかし、動じないチャーリー。やがてフランクは敬意を感じ始め(この男が大統領なら軍人として仕えてみたいと)、チャーリーの高潔を守ることに転じるのだと思います。チャーリーに対し、「お前が妥協するのを見たくない」とフランクが言ったのは、おのれのトラウマを逆撫でされる心配からかもしれません。

ニューヨークのホテルでチャーリーが観ていたTVに一瞬だけフランケンシュタインらしき映像が出てきました。〇にぞこないの男フランクのモチーフは、フランケンシュタインだった可能性があります。ならば アル・パチーノへの配役や、表情が乏しい演技も合点がいきます。

そんなフランクが求めたのは、新たなる光でしょう。光はキリスト教につながり、キリスト教と言えば「愛」の宗教です。

露骨に言えば、フランクは暗やみで「女」を欲していたのでしょう。だから映画のタイトルにも「ウーマン」が入っている。しかし、フランケンシュタインが人間の女性に恋しても無理がある。そこにもフランクの絶望が生まれるのです。

フランクが拳銃で自〇しようとして、チャーリーが命がけで止めるエピソードがありますが、あれはフランクの(「俺を孤独にしないでくれ」という)愛の告白であり(LGBTの話ではありません)、見捨てて逃げなかったチャーリーの受諾かもしれません。

そして、フランクは「チャーリーの推薦状ならいつでも書く」と約束したので、声による推薦状を書きに高校へやってきたのだと思います。

学校での感動の推薦演説の後、追いかけてきた(目がハートマークになった女性教師)との出会いにつながって行くのだと思います。

追記15 ( 花売り娘 ) 
2022/1/1 9:59 by さくらんぼ

『  先日BSで録画した本作を、久しぶりに少し観ました。

そして、(すでに書いていたことを忘れて)やはり上記と同じ感想を持ったのです。

今回もう少し付け加えるならば、映画史に語り継がれる空前絶後のラストシーン、「あの瞬間の花売り娘の心に起こったであろう葛藤」をモチーフにして、157分の映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」が作られたのだと思いました。

全盲の元陸軍中佐フランクと同級生のジョージは、花売り娘の心の葛藤を表現するために置かれた、「彼女の心を二つに分割した存在」だった可能性があります。フランクも一度逃げ出してから戻ってきましたので聖人君子ではなかったようですから。 』 (追記Ⅸより抜粋)

今回も書いたことを忘れて同じ感想を持ってしまいました。二つの心は高潔と打算ですね。

そして、花売り娘の話だから、花の香をモチーフとして、映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」というタイトルになり、香水の話も多用されているのでしょう。

ちなみに、ラストの目がハートマークになった女性、彼女は政治を教えている先生の様でした。政治は高潔な理念を持ちますが、同時に生臭い世界だと思います。だからフランクがまとっている苦悩も直感的に理解し、「同胞」だと思ったのかもしれません。

追記16 2023.11.23 ( ジョンの味わい )

「○ャック○ニエル」というバーボンウイスキーがある。

はじめて飲んだときのこと、何やら臭いにおいがして、顔をしかめたのを覚えている。ブランデーや、それまで飲んでいたウイスキーの、甘く爽やかな香りとは違うのだ。

一月おいてまた飲んだ。

やはりつらい。

二月ぐらいおいて飲んだ。

やはりダメだ。

それからしばらく置いて、三度目の正直で試したら・・・

美味い。

美味いのだ。臭いと思っていた香りも、人間的な温もりを感じさせ、安らげる香りへと印象が変わっていた。そして、その後に、オレンジジュースを思わせる。爽やかな風味が感じられる。本当に美味いウイスキーだとやっとわかった。

なぜ、そんなに無理をしてまで、この酒にトライしたかと言えば、この映画でアル・パチーノさんがカッコ良く飲んでいたからだ。

映画は封切りに観た。

用事を途中でサボり映画館へ走った。

名作だ。

このウイスキーは、映画の中の退役軍人(アル・パチーノさん)のキャラクターを表現しているのだろう。

どうやら私も彼に惚れたようだ。

( 2002/5/25 9:10 by 未登録ユーザ さくらんぼ の転載 )


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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