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#ネタバレ 映画「刑事物語」

「刑事物語」
1982年作品

2011/9/2 12:22 by さくらんぼ  (修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

男と女はどのような時にひかれあうのだろうか。

優しい人だから、美人だから、強いから、誠実だから、お金持ちだから・・・。

もちろん、それも有るかもしれないけれど、男と女,そして人と人がひかれあうのには、まったく別の要素が働く事もある。

それを初めて教えてくれたのはこの映画だった。

今でもこの分野は分からぬ事ばかりだが、映画公開当時は作品の恋の結末に唖然とした。そして涙が止まらなかった。

主役の武田鉄矢さんだけでなく、障害者を演じた田中邦衛さんたちの名演技。

今でもラストは冷静ではいられないだろう。

そして耳に残るは、オープニングに流れる優しすぎる名曲・海援隊の「駅におりたら」と、エンディングの涙を許さない名曲・吉田拓郎さんの「唇をかみしめて」

決して風化させてはならない、シリーズの他の作品とは一線を画する傑作である。

★★★★★

( 2002/8/7 23:16 by さくらんぼ 、リンク切れのため転記 )

追記 ( たまには良縁を想ってみる ) 
2016/1/27 18:04 by さくらんぼ

若い頃「コーヒー紅茶の研究」とか言うタイトルの雑誌を買ったことがありました。まだ私の人生も希望に満ちており、目の前のことが何でも珍しかった青春時代の話です。

その本の中に“コーヒーと紅茶をブレンドした飲み物”が紹介されていました。そう言うと、コーヒーファンも紅茶ファンも、きっと顔をしかめると思います。

他にも同例を挙げると、「カレー蕎麦」などと言うメニューも存在します。繊細な香りを楽しむ日本蕎麦を、強烈なカレースパイスで食するなんて…と思うのですが。

でも、その本によると、コーヒーと紅茶のブレンドもメニューとして世に存在しているそうですから、けっして「殿、御乱心」な世界ではないのです。

当時の私は、友達と喫茶店に入り、相手がコーヒーを注文すると、自分は紅茶を注文し、相手がコーヒーを半分飲み終わると、おもむろに自分の紅茶ポットの残紅茶を、「コーヒーとブレンドしてみませんか」、と勧めたものです。

味はどうかと言いますと、コーヒーや紅茶を単体で飲んだ時よりもトロミがつくようです。もう何十年も飲んでいませんので詳しくは忘れてしまいましたが、不思議な味がしたことだけは覚えています。

なぜ、こんな話をしたのかと言えば、先日、辛口の日本酒(菊正宗)と酸化防止剤無添加の甘口赤ワイン(メルシャン)を、戯れに混ぜてみたからです。

“日本酒とワインを混ぜる”と言うと人聞きが悪いですが、要するに新メニューのカクテルを作った訳です。

味はと言うと、やはりワインにとろみが付きました。悪くありませんよ。

日本酒は癖が少ないので、ワインに変な風味がつくこともありません。逆に、無添加ワインには酸化防止剤が入っていませんので、日本酒に変な風味がつくこともありません。

ほんとうは、ちゃんぽん酒で、別々に飲んでいるのがめんどくさくなっただけなんです。

これだから、よっぱらいは、きらい。

追記Ⅱ ( 「俺たちの勲章」と「刑事物語」 ) 
2021/1/23 10:54 by さくらんぼ

( TVドラマ「俺たちの勲章」のネタバレにも触れています。)

『 「仲間意識」や「チームワーク」を重視した同時期および以後の刑事ドラマ作品とは異なり、主人公コンビが上司や先輩刑事から「厄介者」と侮蔑され、孤立した存在として最終回まで描かれ続けていたことも特徴のひとつで、岡田晋吉が企画の狙いは「刑事ドラマと言いながら実は青春ドラマで、事件を解決する中で大人になっていく若者を描く作品だった」という[1] 。 』

( Wikipedia「俺たちの勲章」の内容より抜粋 )

いつもTVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(ケンカツ)のリアルを語っている私ですが、思い起こせば、青春時代の私に刺さったリアルな一本は「俺たちの勲章」でした。

私にとって何がリアルだったかと言えば、Wikipediaでも触れられていたように、主人公コンビが上司や先輩刑事から孤立していたことです。

現代のTVドラマでも孤立は描かれていますが、若い主人公は喧嘩ごしで先輩に口答えをし、張り合うのです。しかし「俺たちの勲章」では、言われても、あまり口答えしません。黙って命令に従います。近年放送された、木村拓哉さん主演のTVドラマ「教場」の延長線上を見せられているような警察署内でした。

いつかの回では、犯人逮捕で中野祐二(松田優作さん)が足を怪我しても、先輩刑事たちはさっさと自分たちだけパトカーで帰ってしまいます。

足を引きずる中野祐二に、コンビの五十嵐貴久(中村雅俊さん)が肩を貸して、二人で帰っていきます。

しかし、二人とも「よのなかそんなもん」とばかりに、愚痴ひとつこぼしません。

そして、後の回では、中野祐二とは対照的に「優しすぎる存在」だった五十嵐貴久は、「俺は刑事には向かない…」と退職していくのです。

五十嵐貴久は孤立無援になります。

もちろん私は警察に就職したわけではありませんが、そんな寒々とした職場風景が、新人の私にはリアルで夢中になりました。ちなみに(ケンカツ)は新人時代ではなく近年のリアルです。

TVドラマ「俺たちの勲章」の中野祐二と五十嵐貴久はいつも遠くへ出張させられます。元気な若者だから出張させられるのでしょうが、もう一つの理由は嫌われていたからでしょう。

そう言えば、映画「刑事物語」の主人公・刑事の片山元(武田鉄矢さん)も、いつも転勤させられます。こちらも嫌われていたからでしょうね。

映画「刑事物語」でも転勤してくるところから始まりますが、終わりには、また転勤させられていくのです。

署員に最後の挨拶をしようとすると、間が悪いことに新任刑事がやってきます。新任は高倉健さんが扮していました。

署員たちは片山元を放り出して、高倉健さんを大歓迎し、奥へ連れて行くのです。

一人残された片山元は、誰もいなくなった部屋に一礼して去っていきます。定年退職する人を会社の玄関先まで見送ってくれる人も少ない。私も一人で一礼してきました。

直前に彼は女にもふられていたんですよね、被害者である聾唖者のソープ嬢に惚れてしまい、彼女を守るために戦ったのに、横から出てきた同じ聾唖者の男に取られてしまうのです。

孤独な片山元は聾唖者に感情移入したのでしょうが、彼女は、刑事だから助けてくれるだけだと思ったのかもしれませんし、刑事よりも同じ聾唖者の方に惹かれたのでしょう。

その失意の中で、さらに高倉健さんに負けてしまったわけです。

追記Ⅲ ( 刑事ドラマで謳ったフォークソング ) 
2021/1/23 11:14 by さくらんぼ

この1975年放送開始の人気TVドラマ(全19話)が、日本映画専門チャンネルで、先日より再放送開始されました。

中村雅俊さんと松田優作さんのダブルな魅力が美味しい作品です。

私はリアルタイムでTVに釘付けになっていましたが、もう40年もたつのですね。

ネットも、ケータイも、PCも無かった時代の刑事ドラマです。映画生活で活躍中の皆様の中には、まだ生まれていなかったという方もたくさんいらっしゃることでしょう。なにか、信じられないぐらい時間が経ってしまった。

自分が生まれる、その、はるか前に出来たドラマを、リアルタイムで観ていた人なんて、とても、自分たちと同じ人間とは思えないのではないでしょうか。

今思うと、これは「刑事ドラマで謳ったフォークソング」だったのですね。

かたやぶりな若い新米刑事二人が、既存の大人の世界に入ってきて、反発、軋轢を生むのです。

もっと言うと、大人に踏みつけられるのです。まるで、黒人が人種差別を受けるがごとく、新人類というだけで、踏みつけられる。

若者たちは、それに耐えながら、むやみにケンカなどせず、しかし反骨精神を堅持して、生きていきます。

差別され、踏みつけられる、その哀しみも、フォークソングを流れている血液の一滴なら「俺たちの勲章」もフォークソングしています。

高度経済成長のさなかにいながら、なぜ、あの当時の若者たちは哀しいフォークソングを歌ったのか。

「俺たちの勲章」メインテーマである「あゝ青春」を、吉田拓郎さんの歌で聴きながら、なつかしいこのドラマを観ていこうと思います。

「 ひとつひとりじゃ 淋しすぎる

ふたりじゃ息さえも つまる部屋

みっつ見果てぬ 夢に破れ

酔いつぶれ 夜風と踊る街

哀しみばかりかぞえて今日も暮れてゆく

あゝ青春は燃える陽炎か

あゝ青春は燃える陽炎か 」

( 「あゝ青春」より抜粋。 歌:吉田拓郎  )

2015/8/12 6:26 by さくらんぼ より転記 

追記Ⅳ ( 長く見つめ合うと誤解されるよ ) 
2021/1/23 11:17 by さくらんぼ

① このTVドラマの冒頭では、松田優作さんと中村雅俊さんが長く見つめ合う(そう誤解されても仕方のない)シーンが挿入されていて、さながら映画「ボニーとクライド」のラストみたいな雰囲気なのです。あれは1975年の放送当時から不思議なシーンだと思っていました。

それに、どこかで「10秒以上見つめ合ったら、後は愛しあうか、決闘するかしかない。」(正確ではありませんが)みたいなコピーも見たことがあります。

② また、松田優作さん扮する刑事は、革の上下を着ています。当時の彼の、単なるトレードマークと言えば、それまでかもしれませんが。

しかし①+②=「ハードゲイの物語」になるのではないでしょうか、記号として。

しかも松田優作さん扮する刑事には、女性の恋人らしき陰もありますから、なんと「バイ・セクシャルの物語」だったのかもしれません。

ストレートな私には、どちらも縁の無い世界ですし、古いTVドラマの解釈など、今さら、どうでも良い話なのかもしれませんが、つい、こういう話を書きたくなるのが、レビュアーの性(さが)でしょう。

( 2015/9/16 14:31 by さくらんぼ より転記 )

追記Ⅴ 2022.5.4 ( お借りした画像は )

キーワード「フォークギター」でご縁がありました。美しいギターです。手動で少し上下しました。ありがとうございました。

追記Ⅵ 2022.9.3 ( 公務員と娼婦 )

BSで放送されているので、録画して、とりあえず第一作目の最初の方を再観してみました。

九州博多の警察署で、刑事たちが新聞を読みながらボヤいているシーンがあります。検挙率が低いとかで新聞にたたかれているようです。公務員バッシングの臭いもしなくはありません。

話は少し進んで、主人公である片山刑事(武田鉄矢さん)の幼い頃の様子が映し出されます。片山は娼婦の子でした。それが刑事に引き取られることになったようです。

詳しくは語られていませんが、前後から推測すると、母が売春で事件に関わり、それが縁で、子どもがいなかった担当刑事が、子どもだけを引き取ることになったのでしょう。

雪の中、はだしで必死に母を追いかける子に対し、母は「淫売の子だって言われていいの?」「刑事さんの所に行きなさい」と、鬼になって追い返すのでした。セリフにあった「淫売」は差別用語です。こちらは娼婦バッシングですね。

やがて子どもは大人になり、養父の後を継いで片山刑事になりました。そして、博多の売春組織のガサ入れで、聾唖の風俗嬢・ひさ子(有賀久代さん)と出会うのです。

(母への想いを重ねたのか)ひさ子に恋した片山は、かつての自分がしてもらったように、ひさ子の身元引受人となります。

しかし、「刑事にあるまじき行為」、「新たな公務員バッシングの火種となりかねない」と、上層部のバッシングを受け、沼津署へ転属させられてしまうのです。

だから、この物語の底にはバッシングの哀しみが流れているようです。

追記Ⅶ 2022.9.3 ( 「母の言いなりになった」自分を悔いる刑事 )

片山刑事は、ひさ子を護る存在になろうとしました。男の普通の恋愛表現ですね。ひさ子も片山の恋愛感情に気づいていなかったと言えばウソになるでしょう。

しかし、ひさ子は二人の新居となる古いアパートの、偶然隣室にいた男(田中邦衛さん)に恋してしまうのです。

男も聾唖者でした。ひさ子は「護られるだけの存在ではなく、護り、護られる存在になりたかった」のでしょう。

後にひさ子から捨てられたとき、片山は、「あなたは強い人だ。自分の道を自分で決められるから」と言いました。

このセリフは、幼い日に、自分の進路を母に決められてしまい、「母と一緒に暮らしたい」という意思を貫けなかった、弱い自分に対する悔恨でもあったのでしょう。

追記Ⅷ 2022.9.3 ( 疼いた、片山の心に刺さっていた棘 )

片山少年は、母から「淫売の子だって言われていいの?」「刑事さんの所に行きなさい」と言われ、一人で追いかけてきたから引き留める人は誰もいないのに立ち止まってしまったことで、「自分が母を捨てた」(バッシングした)ことになってしまったのです。直前まで「自分の方が捨てられた」と思っていたのに。

幼い片山少年は、まだその時には、はっきり自覚してはいなかったのかもしれませんが、(不釣り合いだから、いずれ自分は、片山から捨てられるとも思っていた)ひさ子から先に捨てられたことで、幼いころ自分が母にした行為の何たるかが分かったのでしょう。

追記Ⅸ 2022.9.3 ( 「唇をかみしめて」の解釈 )

もし、追記Ⅷのような解釈だとすると、映画のクライマックス、片山刑事が捨てられた後、エンディングに流れる吉田拓郎さんの歌「唇をかみしめて」の、一節の意味が分かるような気がするのです。

「 ええかげんな奴じゃけ

ほっといて くれんさい

アンタと一緒に

泣きとうはありません 」(抜粋)

女に捨てられたのを憐れんだ友人が先に涙を流すと(この場合は観客のこと)、片山刑事は、「俺はいいがけんな人間だ。昔、実母を捨てた事がある。今と逆の立場だ。だから、今、恋人に捨てられても泣く資格など無いんだ。同情などせず、ほかって置いてください。そうしてもらわないと、俺までもらい泣きしてしまうじゃないか」みたいな話に感じました。

追記Ⅹ 2022.9.4 ( 水虫と警察署 )

この作品では、警察署の係長らしき人が、係長席で靴下を脱ぎ、素足を出して、水虫の薬らしきものを、綿棒で指の間に塗っていました。

周囲には女性も含めた何人もの部下がいるのですが、誰も気にする様子はありません。

私は、なぜこのようなシーンがあるのか考えてみました。映画は現実ではないので、スクリーンに(意図的に)映ったものには理由があると考えるのが自然です。

ご承知の通り、多くの人が水虫になりますが、あのように大っぴらに薬を塗りはしません。なんとなく水虫には「恥部」「秘密」という言葉が似合うようです。

そして、隠されているものを捜査するのが警察の仕事。

ですから、署内での(おおっぴらな)あのような振る舞いを描くことで、無意識の領域で、警察の仕事を、観客に味わわせるのが目的なのでしょうか。

追記11 2022.9.6 ( 人事異動と恋愛 )

>九州博多の警察署で、刑事たちが新聞を読みながらボヤいているシーンがあります。検挙率が低いとかで新聞にたたかれているようです。公務員バッシングの臭いもしなくはありません。(追記Ⅵより)

①先ほど、ドラマの冒頭部分を観なおしましたら、検挙率が低いとボヤいていたのは沼津の警察署でした。

②一方、博多の警察署では、売春組織への強引な捜査をマスコミが叩いたので、検挙率は良さそうですが、責任問題になっていたのです。

それで、②にいた腕っぷしの強すぎる片山刑事が、ソープ嬢の身元引受人になったこともあって、一人責任をなすりつけられて、①へ異動させられたようです。

でも、①では、逆に片山が来れば検挙率が上がるのではないかと期待していました。

ですから、②ではやっかい者払いだとしても、①では歓待したわけです。実際、片山を指導者あつかいするシーンがいくつもありました。

この、平均化する様に人事異動が行われる状況は、片山刑事だけでなく、ひさ子が聾唖者の男のもとへ走った事もそうでしたね。彼らは「二人で一人前」だと言っていました。

このあたりが、作品の主題に近いのかもしれません。

ならば、母を捨てて刑事の養子になった幼き日の片山は、平均化に反する行為をしたことになるので、やはり、問題だったのでしょう。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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