#ネタバレ 映画「護られなかった者たちへ」
( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
「護られなかった者たちへ」
2021年作品
ギャオスのように声を上げろ
2021/10/4 20:18 by さくらんぼ(修正あり)
沢山の人気俳優さんが登場していますが、NHK朝ドラの清原果耶さんがいることには驚きました。おかげさまで、直後に見た朝ドラでは、思わず「こいつ〇〇〇奴」とつぶやきそうになったぐらいです。
あたりまえですが、世の中、単純に白黒つけられません。そんな事を改めて感じさせてくれる作品でした。
このような作品はお茶の間のTVでは暗くていけませんが、映画館で没頭するにはふさわしいものです。
ちなみに、もしやとは思っていましたが、実際に映画「護られなかった者たちへ」を観て、より映画「ガメラ3・邪神〈イリス〉覚醒」へのオマージュの可能性を感じました。
★★★★
追記 ( 映画「ガメラ3・邪神〈イリス醒」 ) ネタバレ
2021/10/5 9:37 by さくらんぼ
( 以下 映画「ガメラ3・邪神〈イリス〉覚醒」のネタバレにも触れています。 )
>ちなみに、もしやとは思っていましたが、実際に映画「護られなかった者たちへ」を観て、より映画「ガメラ3・邪神〈イリス〉覚醒」へのオマージュの可能性を感じました。(本文より)
映画「ガメラ3・邪神〈イリス〉覚醒」は、自衛隊(公務員)をターゲットにする、ギャオスと阪神・淡路大震災の被害少女の物語のようです。
映画「護られなかった者たちへ」は、福祉事務所(公務員)をターゲットにする、ギャオスと3.11の被害少女の物語のようです。
全体像がつかめた後は、映画「護られなかった者たちへ」の中に、映画「ガメラ3・邪神〈イリス〉覚醒」の、記号化された痕跡を探せば良いのです。それは複数見つかりました。
その中で、もっとも挑発的なのは、ヒロイン・円山幹子(清原果耶さん)のセリフです。
「 3.11は自然災害だけど、怪獣が暴れまわったみたいな、大災害です 」。
正確ではありませんが、少なくとも、こう想起させるセリフを言いました。
追記 Ⅱ (( 映画「ガメラ3・邪神〈イリス醒」 ) ネタバレ
2021/10/6 6:03 by さくらんぼ
利根泰久(佐藤健さん)が鋭い眉毛にしているのはギャオスの記号で、黒いパーカーでフードをかぶっているのはガメラの記号なのでしょう。つまり、彼はその2匹の記号だと思います。
ガメラの記号はもう一つ出てきて、映画の終盤、ガメラの甲羅のような模様のある巨大な堤防上で、利根泰久と宮城県警の刑事・笘篠(阿部寛さん)が語り合うところがあります。あれはガメラの語りでもあったのだと思います。
ガメラは「(流されていく子供を)助けようとしても助けられなかった」と今でも自分を責めていました。その子供が、いまだ行方不明の自分の息子だと悟った笘篠は、「話してくれてありがとう」と返すのです。
追記 Ⅲ (( 映画「ガメラ3・邪神〈イリス醒」 ) ネタバレ
2021/10/6 6:25 by さくらんぼ
利根泰久(佐藤健さん)は放火犯として服役していました。母親代わりの老婆・遠島けい(倍賞美津子さん)を餓死させられた怒りで、社会福祉事務所の玄関に火炎瓶を投げたのです。あの火炎瓶はガメラの火炎攻撃の記号ですね。
そして、円山幹子(清原果耶さん)が社会福祉事務所の上司たちに使ったスタンガンはギャオスの超音波メスのつもりでしょう。
ちなみに、利根泰久と円山幹子が二人っきりで野外講堂で話している時、後ろの舞台で舞っていた女性は、天女のように舞うイリスなのでしょう。
円山幹子の犯行現場は、被害者を吊るしたりして、まるで現代アートのようでした。あれはイリスが強力な粘液で人を吊るしたのを模したのでしょう。床には白い羽毛のようなものが撒かれていましたが、もしかしたら、あれが(泡立つ)粘液のつもりでしょうか。
そして、映画のラストで円山幹子がSNSにアップしていた「声を上げろ」というフレーズは、ギャオスの超音波メスのつもりだったのだと思います。
その他にも、さがせば色々あるはずです。
追記Ⅳ ( 実際にもあった法律問題 ) ネタバレ
2021/10/6 9:45 by さくらんぼ
映画の前半、避難所で食事をめぐってトラブルが起き、利根泰久が周囲の男たちに制圧されます。少女が食事のパンをもらおうとしても、大人が我先にと押しかけ、少女は排除されてしまったのを見て、利根泰久は少女のためにパンを確保しようとしたのでしょう。
あの時の、地面の水たまりに押し付けられ、暴れる利根泰久は、イメージとしてギャオスにそっくりでした。水は映画「ガメラ3・邪神〈イリス醒」 に象徴的な、粘液の記号だと思います。
ところで…
母親代わりの老婆・遠島けいの生活保護を打ち切ったとして、利根泰久が、後に被害者になる社会福祉事務所の幹部たちに詰め寄ったとき、幹部たちは法律改正があった旨の話をしました。
プライバシーもありますし、さすがにあの状況では(役所外で、威圧されて、親族でもない)利根泰久には具体的に(子供がいるから)とまでは言えず、法律改正という抽象的な表現が、精いっぱいだったのだと思います。
その時の役人の態度に、少しの冷たさと一滴の毒があったのは、こんな理由でしょう。
役所内の彼らが柔和に描写されているように、少なくとも自治体職員が住民に接するときには、言動に、不必要に住民を刺激するような余分なものはつけ加えないと思います。映画「箱入り息子の恋」のように、役人が無感情な爬虫類のようにドラマで描写されがちなのは、そのためでもあるのしょう。
しかし、映画「箱入り息子の恋」でも主人公の役人がやがて感情を爆発させたように、映画「護られなかった者たちへ」でも、利根泰久が感情的に詰め寄ったために起こった、いわゆるミラー効果だったのだと思います。利根泰久が感情的になった事が、一滴自分に跳ね返ってきたのでしょう。
そして、法律改正の話ですが、映画と近い時期に、実際にこんな事がありました。
マンションで普通の生活をしていた人の母親が、遠方で生活保護になっていたことが発覚したのです。ニュースになり、「私たちの税金で生活保護をするまえに、まずは親族に扶養照会をせよ」という世論が持ち上がり、国は「扶養照会するよう」市町村に連絡したようです。
現在の世論は、逆に「扶養照会はやめてほしい」という方向になったので、国も市町村に変更連絡しているようですが、物語の悲劇の発端は、皮肉なことに、「私たちの税金で生活保護をするまえに、まずは親族に扶養照会をせよ」という世論だったようです。
そして、その扶養照会を、遠島けいが嫌がったために、事は生活保護辞退へと流れて行ったのです。
追記Ⅴ ( むつかしい扶養照会 ) ネタバレ
2021/10/6 10:00 by さくらんぼ
憲法に規定されている通り、公務員は全体の奉仕者であり、一部の奉仕者ではありません。
目の前に可哀そうな人がいるから助けたいというのは人情ですが(これが一部の奉仕者の思想)、税金を使うなら、背後にいる無数の納税者の理解を得なければなりません(これが全体の奉仕者の思想)。
ならば、「私たちの税金で生活保護をするまえに、まずは親族に扶養照会をせよ」という声を公務員が無視することは困難なのです。
後は、どれぐらいまでが適正な扶養照会と言えるのか、という判断ですが、このさじ加減は世論、つまり時代で変化するのだと思います。
同じ人間ですから、公務員が人情を持っていないわけがありません。しかし、それとこれとは別問題。それが公務員の仕事なのだと思います。
追記Ⅵ ( 自分が上司になって、この仕事に命を捧げる ) ネタバレ
2021/10/6 10:21 by さくらんぼ
映画「ガメラ3・邪神〈イリス醒」は、中学生ぐらいの少女が、自衛隊を逆恨みする話でした。もちろん少女は自衛隊員ではありませんし、社会人でもありません。ですから、ある意味世間知らずとして、逆恨みもやむを得ないところがあります。
しかし、映画「護られなかった者たちへ」では、社会福祉事務所に勤務する一人前の職員である女性が、上司を逆恨みして殺めるというお話でした。
映画でも描かれていましたが、ケースワーカーとして生活保護費の支給停止の話までするぐらい仕事の経験を積んでいます。つまり、社会福祉事務所の仕事の苦労を知っていて、その上で、つらい役目を演じている上司に手をかけるのは、少し疑問に感じるのです。
本来なら、そのつもりで公務員試験を受け、社会福祉事務所に入っても、自らが仕事をして、その苦労を内側から経験することで、そして、自分も大人になることで、より理解を深め、犯罪を起こすよりも、この仕事に命を捧げることに一生をかけようとするのが、リアルなシナリオのような気もしました。
追記Ⅶ ( 「健康で文化的な最低限度の生活」 ) ネタバレ
2021/10/6 10:37 by さくらんぼ
TVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(ケンカツ)
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/kbss/index.html
ケースワーカーのドラマですが、それだけでなく、市町村役場のリアルな空気感を描いているという点でも傑出した作品です。
同じケースワーカーでも、この映画「護られなかった者たちへ」は被災地の悲劇を描いていますが、TVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」は東京の仕事ぶりを描いています。ケースワーカーの日常的な仕事ぶりを知るには、こちらが良いかと思います。
追記Ⅷ ( 「みんな疲れていた」 ) ネタバレ
2021/10/6 10:46 by さくらんぼ
母親代わりの老婆・遠島けいの生活保護を打ち切った顛末ですが、私は打ち切ってはいけなかったと思います。遠島けいが子供に頼れない事情があったのを、社会福祉事務所の上司は知っていたのですから。
法律論で「頼るべきだ」と思ってもそれが無理なのですから、3.11という非常事態の犠牲者をもっと、何とかしてフォローすべきでした。
しかし、彼らがそれをしなかったのは、映画の中で、危うく命拾いした代議士が言っていましたが、(言い訳にはなりませんが)「みんな疲れていた」からなのだと思います。
みんなが疲れて、正常な判断を失っていたのです。
追記Ⅸ ( 怪獣の出てこない怪獣映画 ) ネタバレ
2021/10/6 11:27 by さくらんぼ
『 もちろん映画「ゴジラ」第一作には、敬意を表します。
あの映画自体が、ある意味、革命でしたから。
しかし、それ以後の、私の知る限りの怪獣映画は、おおむね「怪獣映画はこうあるべし」といった、無意識に近い固定観念に縛られていたように思います。最新作の米国産・映画「GODZILLA ゴジラ」でさえそうでした。
だから、見せ場である特撮場面をどうするとか、着ぐるみか、CGとか、いつも、そのあたりに皆の関心があったのではないでしょうか。ドラマ部分はオマケみたいに感じられた作品もありました。なにか進歩が感じられなくて、マンネリで、いつのまにか衰退してしまいました。作品に精気が少ない。
でも、この映画「ラブ&ピース 」は、まず斬新な感覚のドラマがあって、しかもロックであり、喜劇なのです。それだけで十分に完結した世界なのに、そこに怪獣がチラリと、しかも重要な役どころで登場するのです。さらに怪獣は、呆れるぐらい、着ぐるみ、してます。その姿が、またロックで、忌野清志郎さんで、喜劇してる。
あ~怪獣映画も、とうとうカラをやぶったな…
私はそう思いました。 』
( 映画「ラブ&ピース」2015/7/2 by さくらんぼ より抜粋 )
ならば、この映画「護られなかった者たちへ」も、怪獣の出てこない怪獣映画として、さらに脱皮した新形態なのかもしれません。
追記Ⅹ ( 「護られなかった者たち」とは誰のこと ) ネタバレ
2021/10/7 10:44 by さくらんぼ
事件を追う刑事・笘篠誠一郎(阿部寛さん)は、最初から最後まで出てきて、最後には泣かせのシーンまで用意されています。主役級ですね。
笘篠も3.11で妻子を失っています。妻の遺体は見つかりましたが、子どもは行方不明。彼は仕事も手につかないほど大きなショックを受けたはずです。ほんとうは毎日でも遺体を探し回りたいでしょうが、何事もなかったような顔をして公務をしなければなりません。
このように、自らも家や家族を失った被災者でありながら、自分のことは後回しにして、不眠不休の公務に当たっていた公務員は、福祉事務所職員を含めてたくさんいたはずです。実際、ケースワーカーのヒロイン・円山幹子も孤児になってしまった一人ですから。
しかし、公務員という事で、3.11後は同じく被災者(時には隣人)の苦情処理係のようになってしまい、疲労困憊どころか、メンタルを病む人も少なくなかったようです。
ですから、 「護られなかった者たち」というのは、もちろん福祉からこぼれ落ちてしまった老婆・遠島けいのような人々ことでしょうが、それだけではなく、警察官や福祉事務所職員のような、自衛隊員以外のたくさんの公務員や、それに準ずる人たちの事も含めているように思えるのです。ガメラ映画を視野に入れればそう思います。
だからこそ、映画の終わりには、担当していた民間人・利根泰久から、刑事・笘篠誠一郎が、「事実上の癒しを受け取って、感謝の言葉を言う」シナリオになっているのでしょう。
追記11 2022.2.14( 公務員になれなかったヒロイン )
追記Ⅹの補足のような話ですが…
刑事・笘篠誠一郎(阿部寛さん)は、3.11で家族を失っても、遺体を探すのではなく、刑事として別件の犯人捜しを続けました。これは「全体の奉仕者」の思想です。
ヒロイン・円山幹子(清原果耶さん)は、家族を失った私怨を晴らすため、役所に就職しました。公私混同というか、これは「一部の奉仕者」の延長線上にある思想ですね。
映画「護られなかった者たちへ」は、この二人を対照的に描いていたと思いました。ヒロインは、実地研修を受けても、とうとう公務員にはなれなかったのです。
追記12 2023.4.8 ( 役所側の事情 )
『 映画「護られなかった者たちへ」に込められた意図
瀬々敬久監督が語る「加害者視点」で描く理由 』のP2に、行政の描き方が、映画が原作とは違う理由が書いてありました。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)