#ネタバレ 映画「ハンナ」
「ハンナ」
2011年作品
音符と音楽
2011/9/21 11:03 by さくらんぼ (修正あり)
( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
映画の冒頭、ハンナは矢でしとめた鹿を、さらに銃で撃つのです。「心臓はずしちゃった」とつぶやいて。私は、早く鹿を楽にしてやるための慈悲だと感じました。
ところで、若い頃から演歌しか聴かずに生きてきて60歳を迎えた人が、ひまになったので、ひとつクラシック音楽でも聴いてみようと思ったとします。退職金で高級オーディオとクラシックCD全集を大人買いしたとして、はたして彼はクラシックを楽しめるのでしょうか。この様な事例に対し、昔、とある評論家がオーディオ雑誌の相談コーナーで「おやめなさい、今からでは遅すぎます」ときっぱり回答していました。
それでも彼は意地になって行動を開始したと仮定します。
でも、高級ステレオからでてくるハイファイ音に、初めは感動しても、ただ音に感動しているだけなので、音楽自体はあまり楽しめませんでした。
メロディーを楽しもうとしましたが、そもそもメロディー・ラインが演歌の様に分かりやすい曲などあまりなく、すぐに退屈してしまいます。
そこで「クラシック音楽入門」とか「クラシック音楽の聴き方」みたいな本で勉強してみました。少々音楽理論をかじってみたのです。そして対位法だとか、ソナタ形式だとか、モチーフだとか、転調だとか、いろいろ学びましたが、それでも音楽は楽しくありませんでした。
次に、音楽はハーモニーを楽しむもの、との意見を書いた本見つけ、そのハーモニーに注目してみました。でも面白くありません。
次に、作曲家の伝記を読み、彼らの人生をのぞいてみたり、時代背景を勉強したりしました。でも、やっぱり音楽が楽しくなるわけではありません。
これは、やっぱりステレオが悪いせいなのだと思い、さらにアップ・グレードしてみましたが、あんまり事態は改善しませんでした。
そんなころ、彼はこの映画で「音楽とは音の集合体で、感情を表現するもの」との言葉に出会ったのです。
それは別に斬新な言葉ではないのですが、「・・・感情を表現するもの」というくだりに妙に新鮮なものを感じました。それからは今まで学んできた知識はひとまず引き出しにしまい、ただ無心に音楽を通して「作曲家の想いとシンクロ」しようと試みたのです。そうしたら目(耳から)殻鱗が落ちたのでした。
彼の心にやっと音楽が届いたのです。今鳴っているこの音楽から自分が受けるデリケートな感情、それは作曲者と同じ感情である保証はないけれど、それでも自分が受ける感情だから良しとします。自分にはそれしかないのですから。本当は彼にも以前から音楽は届いていたのです。でも、クラシック音楽に対して構えすぎていたために、よそに注意がそれていただけだと気づいたのでした。
本来、彼が本で学んだクラシック音楽の知識は、中級、上級者が楽しむもので、入門者は無心で感情を聴き取ればよいのでした。キリスト教が「(神学ではなく)素朴な祈りで救われることが庶民には最高の賜物」であるのと、ある意味同じなのでした。
ところで、ラストにハンナがCIAのマリッサを矢で倒した時も「心臓はずしちゃった」とつぶやいて銃で撃つをシーンがありました。これは冒頭のシーンと符号させていますね。でも、今度は単に自分のミス・ショット恥じていただけだと感じました。そうすると冒頭のシーンも慈悲ではなくミス・ショットを恥じていただけになります。つまり、スリラーへのどんでん返しをここでやったのかもしれません。
そうすると、映画の中でハンナが音楽に耳を傾けるシーンがありましたが、はたして彼女は本当に音楽を楽しんでいたのでしょうか。もしかしたら、前述したような、どこかの違う次元で音楽に引っかかっていただけではないでしょうか。彼女にはまだ音楽が理解できていない可能性もあります。もともと彼女は感情がじゃまになる殺人マシーンとして生み出されたのですから。
この映画もいろいろな受け取り方が出来るでしょうけれど、とりあえずは、引きこもりの少女がひとり立ちする物語、とでもしておこうかと思います。社会へ出たからには音符のひとつ(一枚の歯車)として社会で良いハーモニーを奏でる必要があるのです。社会を渡るには友人たちの支え(ハーモニー)がぜひとも必要ですが、「たった一人の軍隊」的なパワーは必ずしも必要は無いのでした。だからランボーやハンナでなくとも心配はいらないのです。もちろん、あれもカッコ良いですが。
★★★
追記 ( 妻と二人で音楽を聴きたかったから )
2015/7/18 22:18 by さくらんぼ
なにかのレビューで聖子ちゃんの話をしたので、久しぶりに彼女の歌を聴きたくなりました。
LPやLDもたくさん持っていたけれど、CD移行期に、不覚にも全部売ってしまったので、CDで聴きました。
それは、1981年作品「風立ちぬ」です。
まずイギリスのスピーカーで聴きました。
シルクのスカーフをふんわりと彼女の顔にかぶせ、その上から優しく触っているような歌声です。
イギリスのスピーカーには、イギリスの血が流れ、やや、ほの暗く、それが味わい。概ねハーモニーを聴かせることに長けていて、クラシック音楽には申し分ありませんが、いわゆるJ-POPには上品すぎます。
ん~わるくありませんが、もう少し彼女に近づきたい。
次にドイツのスピーカーにしてみました。
これ、これ、このサウンドです。
聖子ちゃんの熱唱が、生き生きと再現されます。
彼女が目をキラキラさせながら、こちらを見つめて歌っているのが見えるようです。
ドイツのスピーカーには、ドイツの血が流れ、メカのドイツを思わせる楷書体の音がします。明るく、クッキリとして、もちろん上品であり、クラシックもOK、ベートーヴェンなどがマッチしそう。そんなリズム感と生命力のある音が、聖子ちゃんの熱唱にも合いそう。
もちろん、ドイツ製が聖子ちゃんにベストマッチという意味ではありませんよ。世界にはイタリアとか、フランスとか、アメリカとか、ほかにもいろんな血統のスピーカーがあり、比較試聴すれば、もっとマッチする製品がありそうです。
ところで、音楽評論でも有名な吉田 秀和さんは、写真を拝見すると、あまりオーディオ装置にはこだわらない方のようでしたが、スピーカーだけは、たしかドイツ製をお使いのようでした。
これを知って、同じ製品が欲しいと思ったマニアの方も多かったと思います。
確かに、あの製品は(同じドイツ製でも私のものとはメーカーが違いますが)とてもよい製品です。でも、吉田さんが選択した理由は、音色だけではないのです。たぶん。
実は、吉田さんの奥さまは、ドイツ人女性だったのです。
だから、ドイツのスピーカーは、吉田さんの、妻への愛の言葉、だったのかもしれません。
スピーカーとは、時に、こうべをたれて、音楽にひざまずく、祭壇なのです。
吉田さんは、愛妻に先立たれた後も、きっと妻と二人で音楽を聴いていたのでしょう。
追記Ⅱ 2022.11.22 ( お借りした画像は )
キーワード「クラシック音楽」でご縁がありました。色、形、構図、申し分ないほど美しいですね。無加工です。ありがとうございました。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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