
疼痛および鎮痛の神経メカニズム
序論
痛みの伝達には、末梢から脳へと情報を伝える上行路と、脳から末梢へと情報を送り、痛みの伝達を調節する下行路の2つの経路が働いています。
上行路では、皮膚や筋肉などの組織にある侵害受容器が痛みの刺激を受けると、電気信号に変換され、脊髄に伝わります。その後、脊髄から視床、さらに大脳皮質へと信号が伝達され、痛みが認識されます。この経路には、脊髄-視床路、脊髄-橋-腕傍核-扁桃体路、脊髄-視床下部路など、複数の経路が存在します。
一方、下行路は、脳から脊髄へと信号を送り、痛みの伝達を抑制したり、逆に増強したりすることで、痛みの感覚を調節しています。
このように、痛みの伝達と調節には、多くの脳領域が複雑に連携した神経回路が関与しています。痛みの仕組みを解明することは、適切な治療法の開発に不可欠です。
痛みは単なる不快な感覚ではなく、日常生活に大きな支障をきたす重大な症状です。慢性痛は人口の約20%にみられ、医療費にも大きな負担をかけています。痛みの社会的・経済的負担を軽減するためにも、痛覚研究の重要性は非常に高いと言えます。
痛みの神経メカニズム:感覚と情動の複雑な相互作用
私たちの皮膚には、痛みを感知する受容体である侵害受容器(ノシセプター)が存在します。これらの受容体は、熱、冷、化学物質などの刺激を感知し、神経信号に変換して脳に伝えます。
例えば、熱刺激受容体(TRPV1)は通常43℃以上の高温で活性化しますが、炎症が起こると活性化閾値が36℃程度にまで低下します。そのため、炎症部位では体温程度の温度でも痛みを感じることがあります。
侵害刺激は、神経線維を介して脊髄後角に伝達され、そこで一次ニューロンからグルタミン酸、サブスタンスP、CGRPなどの神経伝達物質が放出されます。これらの物質は二次ニューロンを興奮させ、痛みの信号を脳へと伝えます。
炎症や神経損傷などにより、これらの神経伝達物質の分泌量が増加すると、二次ニューロンの過剰興奮が起こり、軽い刺激でも痛みを感じたり(アロディニア)、痛みが過剰に感じられたり(痛覚過敏)するようになります。
一方、痛み部位への触刺激は、脊髄内抑制系を介して二次ニューロンの過剰興奮を抑制する働きがあります。つまり、脊髄後角では痛みの増強と抑制の両方のメカニズムが働いているのです。
脊髄後角から上行路を伝達された痛みの信号は、最終的に大脳皮質の体性感覚野に到達します。体性感覚野では、痛みの強度や部位などの情報が神経細胞の発火パターンによってコード化され、痛みとして知覚されます。慢性疼痛患者では、体性感覚野の活動異常が報告されており、痛みの慢性化に関連している可能性が指摘されています。
一方、扁桃体は情動と密接に関連する脳領域であり、痛みの不快感や情動的な側面に大きく関与しています。扁桃体は脊髄後角から脊髄-橋-腕傍核-扁桃体路を介して痛覚情報を受け取ります。
扁桃体は、内側前頭前野や前帯状回など、他の高次脳領域と連携し、痛みに対する情動的・認知的評価に関与しています。扁桃体の活性化は痛みの不快感を増強し、同時に内側前頭前野などと協調して痛みへの注意資源の配分などを調節すると考えられています。
このように、体性感覚野と扁桃体は、それぞれ痛みの感覚的側面と情動的側面を担い、さらに他の高次脳領域とのネットワークを介して痛みの総合的な知覚と評価に寄与しています。痛みの神経メカニズムを理解し、適切な評価と治療を行うためには、これらの脳領域の役割と相互作用を把握することが重要です。
扁桃体の役割
扁桃体は、痛みを含む様々な感情に深く関わる脳の領域です。その中でも、扁桃体中心核外側外包部は、痛みと感情を結びつける重要な役割を担い、「侵害受容性扁桃体」と呼ばれています。関節炎などの慢性的な痛みを持つラットでは、この部位の神経細胞が過剰に興奮し、実際には痛みがない場合でも、痛みを感じてしまうことが示唆されています。
一方、内側前頭前野は、恐怖や不安などの感情を抑制する役割を担っており、扁桃体の活動を抑制することで、痛みの不快感を軽減すると考えられています。しかし、慢性痛では内側前頭前野の活動が低下し、扁桃体の活動を十分に抑制できなくなるため、痛みに対する恐怖や不安が増強される可能性があります。実際、慢性痛患者に対する認知行動療法では、内側前頭前野と扁桃体の連携が変化することが報告されており、痛みの感情的な側面を処理する上で、両者の連携が重要であると考えられています。
痛みのコントロール:脳からの指令で痛みを抑制する仕組み
私たちの体は、痛みを感じると、その情報を末梢から脳へと伝える「上行路」を持っています。しかし、脳はただ痛みを受け取るだけでなく、痛みを抑制する指令を下す「下行性疼痛抑制系」も備えています。この下行性疼痛抑制系は、脳の中にある「中脳周囲灰白質(PAG)」から始まります。PAGからの神経線維は、2つの経路に分かれて脊髄へと向かいます。一つは「吻側延髄腹内側部(RVM)」へ、もう一つは「背外側橋中脳被蓋(DLPT)」へと繋がります。
RVMにはセロトニンを分泌するニューロンが集まる「大縫線核」があり、DLPTにはノルアドレナリンを分泌するニューロンが集まる「青斑核」があります。これらのニューロンは、脊髄の「側索背外側部」を通り、脊髄後角の神経細胞に作用することで、痛みの伝達を調節します。
RVMの神経細胞は、痛みの伝達を促進する「on-cell」、抑制する「off-cell」、そして活動が安定しない「neutral-cell」の3種類に分けられます。炎症などによって体の状態が変わると、これらの細胞の割合や活動性も変化します。RVMの細胞は、状況に応じて柔軟に働き、脊髄後角の神経細胞の興奮性を調節することで、痛みの伝達をコントロールしています。この仕組みは「状態依存性制御」と呼ばれています。
このように、下行性疼痛抑制系は、痛みの伝達を抑制することで、脳での痛みの知覚を弱める役割を担っています。しかし、様々な要因によってこのシステムがうまく働かなくなると、痛みが増強したり、長引いたりして、慢性痛を引き起こす可能性があります。
リハビリテーションでは、この下行性疼痛抑制系を活性化させることで、痛みの軽減を目指しています。つまり、脳からの指令によって痛みをコントロールする仕組みを利用することで、痛みを和らげることができるのです。
下行性疼痛抑制系は、私たちの体の痛みをコントロールする上で重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
臨床応用
リハビリテーションでは、痛みを和らげるために様々なアプローチを用いています。
末梢神経電気刺激(TENS)は、電気刺激によって脳の痛み抑制システムを活性化することで、痛みを軽減します。TENSによる刺激は、中脳周囲灰白質(PAG)と呼ばれる脳の部位を活性化し、脊髄への痛みの伝達を抑制することで効果を発揮します。
関節モビライゼーションは、関節の動きを改善することで、痛みを軽減すると考えられています。この方法も、脳の痛み抑制システムを活性化することで効果を発揮するとされています。関節可動域練習などの物理療法と組み合わせることで、より効果的な痛み治療が期待できます。
認知行動療法は、痛みに対する考え方や行動を改善することで、痛みの感覚や感情的な反応を調整します。慢性痛患者では、認知行動療法によって、脳の前頭前皮質と扁桃体と呼ばれる部位の活動が変化し、痛みの感情的な側面が改善されることが報告されています。
このように、リハビリテーションでは、神経メカニズムに働きかけることで、痛みの感覚的・情動的な側面にアプローチし、痛みを軽減することを目指しています。
結論
痛みの神経メカニズムは、近年多くの研究が進められていますが、まだ解明されていない部分も多く存在します。特に慢性痛の発症メカニズムや、人によって痛みの感じ方が異なる原因など、基礎研究では更なる解明が求められています。慢性痛は、患者さんの生活の質を大きく損なう深刻な問題であり、その根本的な原因を解明し、予防法を確立することが喫緊の課題です。
一方、研究成果を臨床現場で活かすことも重要です。リハビリテーションにおいて、新たな痛み治療法の開発が期待されています。行動療法など、従来とは異なるアプローチによる治療法の確立も望まれています。痛みは身体的な問題だけでなく、精神的な側面や社会的な側面も深く関与する全人的な問題であり、包括的なケアが重要です。
このように、痛みの神経基盤の解明とその臨床応用は、患者さんのQOL向上に大きく貢献する重要な課題です。基礎研究と臨床研究の連携を強化し、多角的なアプローチを進めることで、更なる進展が期待されます。
専門用語
侵害受容器:
侵害受容器は、体のさまざまな場所に存在する「痛みを感じる特別なセンサー」です。これらは、皮膚、筋肉、内臓などにあり、けがや炎症などの危険な刺激を感知します。侵害受容器が刺激を受けると、電気信号を生成し、これが神経を通じて脊髄に送られます。つまり、痛みを感じる最初のステップは、これらの受容器が働くことから始まります。
脊髄後角:
脊髄後角は、脊髄の背中側にある部分で、痛みの信号が集まる場所です。ここでは、侵害受容器からの信号が一次ニューロンと呼ばれる神経細胞を介して伝達され、二次ニューロンに引き継がれます。脊髄後角での情報処理は、痛みの強さや種類を脳に伝えるために重要です。この部分では、痛みを和らげるメカニズムも働いています。
上行路:
上行路は、痛みの情報が体の末端から脳に向かって伝わる「痛みの伝達経路」です。この経路では、脊髄後角から視床、大脳皮質へと信号が送られます。視床は、信号を整理し、脳のさまざまな部位に情報を送る役割を果たします。最終的に、大脳皮質に到達することで、私たちは痛みを「感じる」ことになります。
下行性疼痛抑制系:
下行性疼痛抑制系は、脳が脊髄に向かって痛みを抑える信号を送る「痛みの抑制システム」です。中脳周囲灰白質(PAG)がこのシステムの起始点となり、脳幹を経由して脊髄後角に信号を送ります。この経路は、痛みを和らげたり、逆に痛みを強めたりすることができます。たとえば、リラックスしたり、運動をしたりすると、痛みが軽減することがあります。
TRPV1受容体:
TRPV1受容体は、特に高温に反応する受容体で、通常は43℃以上の温度で活性化されます。しかし、炎症があると、TRPV1の感受性が高まり、通常の体温(約36℃)でも反応することがあります。これにより、炎症のある部位では軽い刺激でも痛みを感じることがあります。TRPV1は、痛みの感知において非常に重要な役割を果たします。
神経伝達物質:
神経伝達物質は、神経細胞が互いに情報を伝達するための「化学メッセージ」です。痛みの伝達に関与する主な神経伝達物質には、グルタミン酸(神経を興奮させる)やサブスタンスP(痛みを伝える信号を強化する)などがあります。これらの物質が神経シナプスで放出され、次の神経細胞に信号を伝えます。
アロディニア:
アロディニアは、通常は痛みを引き起こさない軽い刺激(例えば、衣服が肌に触れるなど)に対して痛みを感じる状態です。これは、神経系が過敏になっているためで、慢性痛の患者によく見られます。アロディニアは、脊髄後角での神経回路の変化によって引き起こされることが多いです。
痛覚過敏:
痛覚過敏は、軽い刺激に対して過剰に痛みを感じる状態です。これは、神経が敏感になっているため、通常の痛みよりも強い痛みを感じます。痛覚過敏は、炎症や神経損傷によって引き起こされることが多く、慢性痛の患者にとっては非常に辛い症状です。
#慢性疼痛 #痛み #痛覚過敏 #鎮痛 #札幌 #豊平区 #平岸 #鍼灸師 #鍼灸