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直ぐに家に帰りたがった祖父と、小学生に頭を下げた祖母

厳格な祖父


私が物覚えついた頃から、祖父は杖で歩き、祖母は左半身麻痺でした。
6人兄弟の一番末っ子の母の、一番末っ子の私。
つまり祖父母にとってはたくさんいる孫の中でも私は一番下の孫でした。

車で1時間ほどのところに住む祖父母は、時々我が家に遊びにきました。

祖父は、無口な人という印象が残っています。
今思えば軽度の認知症の症状のひとつでもあったのでしょう、
来宅し座ったと思ったらすぐに立ち上がり、先程玄関に掛けたばかりの
おしゃれな帽子を手に取り、”もう帰るわ”と言います。
私が覚えているのは、一度だけ祖父の家で一緒にお風呂に入ったこと。
いつも無口な祖父がタオルを浴槽に入れて大きな泡を作ってくれたこと、驚く私を見て嬉しそうに笑った顔がとても印象的でした。

柔らかな祖母

祖父が亡くなってからは、祖母が何度か泊まりに来ることがありました。
片手片足しか動かせない身体で、何もかも自分で行う祖母。
片手片足と口を使って着替えも自分でやります。
口を使っているのにその動作はどこか優美で、いつもつい見とれていました。(後々、祖母が日本舞踊の先生をしていたと知り、妙に納得しました)

我が家に泊まりに来ると、お風呂は私と入りました。
小学生の私が背中を流すと、何度も何度も気持ちいいと言ってくれました。
私に対してもいつも丁寧で、穏やかでした。

祖母をかっこいいと感じた日

その日も祖母が泊まりに来ていました。
私は庭で遊びに来た友達と話していました。

そこにゆっくりと杖をついた祖母が出てきました。
祖母はそのまままっすぐ友達の前に行き、こう言ったのです。

「いつもいとみと遊んでくれてありがとうございます」

そして深々と頭を下げました。いつものように丁寧に。

私は大人が小学生に頭を下げるのを初めてみました。
そして後にも先にも、あんなに丁寧に頭を下げる人を見たことはありません。

いとちゃん、としか祖母からは呼ばれたことがなかった私は、他人に対してはそう呼ぶものなんだと知りました。

そして、なんてかっこいい人だろうと感じました。

引き継ぐもの

母から子へ、子から孫へ。
教えてもらったことを、私はいくつ残せているのだろう。自分の娘にいくつ伝えられているんだろうと思うことがあります。

祖父も祖母も亡くなって随分経ってしまいました。

おじいちゃん、おばあちゃん天国では自由に動けていますか?
いとちゃんだけ抱っこしてあげられなくてごめんね。
そう言ってくれたおばあちゃんの気持ち、今なら少し分かります。

今日は、実家に来ています。
父も母もきちんと年を重ねています。

今日も今日とての日々ですが、みんなが元気に会えること
とてもありがたいことだと祖父母を思いながら改めて感じました。

皆さんにとっても笑顔のゴールデンウイークになりますように。


#おじいちゃんおばあちゃん


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