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第13話 地球の裏で想いを叫ぶ

2008年
4月2日

自分の中でのオープン予定日である4月1日に僕はお店を開けることが出来なかった。自分で決めた事が守れなくて悔しくて悔しくて、情けなくて苦しかった。

と書けばそれらしい話になるだろうけれどそんなこともなく、当時、自分の能力に全く自信もなく信用もしていなかった僕はほとんど誰にもオープン予定日を告知することはしなかったから、ペンキ塗りや開店準備を手伝ってくれた留学生達と数人の友人に前の晩 ”オープンは2日なるから” ということだけを伝えて、4月1日の早朝にバスターミナルに向かった。

移民局から労働ビザを受けっ取った時に渡された一枚の通知には、「税務登録を4月30日までに済ませ、証明書を提出すること。」と書かれていた。税務登録は予約制で僕の住む街の税務署は小さく、予約が5月半ばまで一杯で、空いているのは4月1日のみ。しかも僕の住むグァナファトからバスで2時間程のセラヤという街の税務署でしか空きがないということで泣く泣くその予約を手配してもらったのを、開店準備やメニューの事で頭が一杯で僕はすっかり忘れていたのだった。 

セラヤの税務署での予約時間は午前10時。手続きに1時間かかるとしてもグァナファトに戻ってからお店を開けるのは難しい。間違えがないように入念に必要書類を準備して僕はセラヤに向かうバスの中でこれもまた自分らしい失敗だなと思っていた。

「年間$2000000ペソ以上の売上規模になるまでは小個人事業主で登録するのが最初は始めやすいけれどお店の規模はどれくらいなの?」

税務署の窓口で僕のデータをパソコンに打ち込みながら、どう考えても税務署の職員がつけるような香りではない係員の彼女が僕に聞いた。

「お店の規模は20m2くらいで、立地がものすごく悪くて路地裏なんだ。だから、そんなに沢山の売上は難しいと思うんだけど。」

「だったら、小個人事業主で始めなさい。その後、事業規模が大きくなればカテゴリーを変えればいいわ。だけど、そんなところで良くお店を開ける気になったわね?」

「ははは。そうだよね。僕もそう思うよ。でも、あの街には日本食を出す店はまだ1件もないんだ。だから時間をかければそれなりに人が来てくれる気はするんだよね。外国人も多いから。」

と僕は自分に言い聞かすために彼女にそう伝えていた。実際、僕の住む街には欧米人が一定数住んでいて、それが街の国際色を彩っていたし、大学には各国からの交換留学生も沢山いたから、自分の考えるコンセプトが受け入れられるような気がしていたのだ。ただ、店の規模と路地裏という立地を考えれば彼女の言う通り誰もあの場所を選ばないだろう。だから始めるには小個人事業主の登録で十分だった。

登録はその女性が僕のデータを打ち込んで、半ば適当に事業規模を登録してから、税金申告の方法や会計士の必要性などをレクチャーして1時間程で完了した。すぐにでもグァナファトに帰りたかった僕は場末のストリップ劇場で嗅ぐ煙草の煙と香水が混じった担当の女性の独特の匂いを鼻に残しながらそそくさと税務署を後にした。帰り道は渋滞していてまったく動かない。ボロボロのタクシーの運転手は動かない前の車たちにクラクションを激しく鳴らす、それに呼応するように前の車も、そしてその前の車もやかましい。まったく動かない僕らを横目に赤ちゃんを抱えて乗せた4人乗りのバイクが車と車の間をすり抜け、渋滞の先にはボンネットから白い煙をあげた錆びた1970年代のフォード・レンジャーのピックアップが道を塞いでいた。道路脇の露天には周りに散らばったゴミにご馳走をみつけた野良犬たちが群がり、人間達が美味そうに食べる揚げタコスのおこぼれも待っている。しばらくして、交通警察がやってきて遥かに積載超過なトウモロコシを積んだピックアップを道路脇にどかすわけでもなく、動ける僕達の方を一台一台前方に流して行く。顔半分をボンネットに潜り込ませて急ぐ素振りもなく修理をするおやじのジーンズからはみ出た汚い尻を見ながらピックアップをやりすごすとタクシーの運転手は一気にアクセルを踏んだ。

「ねえ、なんで誰も文句を言わないんだい?」

僕は不思議になって運転手に聞いてみた。

「別に奴だって故障したくて故障させてるわけじゃないだろう。それに文句を言ったところで奴の車が直るわけじゃない。だったら誰かが一緒にトラックを端に寄せてやればいいけど、あんなデカイの動かすの無理だろう。俺はあんたをバスターミナルまで連れていかなきゃいけないし、あいつに文句を言って何になるんだい?」

「でも。。おかげで僕はバスに乗り遅れそうだよ。」

「じゃあ、あのオヤジに ”お前のせいでバスに乗り遅れる” って言うかい?少なくとも奴もトラックが動かなくて困ってるのにかい? そんなの言って何になるんだい? しかもあいつは気にしないよそんなこと。大丈夫だよ。心配すんな。まだ時間はある。間に合うよ。」

無関心や諦めとは違うまったく別物の寛容にこれから僕は幾度も出会うことになるのだけれど、この日タクシーの運転手が言ったことを理解できるようになるのはこれから何年も先の事だった。 

心なしか荒くなった運転のおかげで ”間に合うよ” と言ったとおり、タクシーは得意気にバスターミナルの玄関に停車した。

「なっ。間に合うって言っただろ。Have a Good Trip Amigo !」

英語?しかもアミーゴって。そうだったこの国では会った瞬間からアミーゴ、友達だったっけ。そう言われると一気に距離が縮まるからやっぱり面白いものだ。タクシーの運転手は小さな紙切れに電話番号を書いて、またセラヤでタクシーが必要ならいつでもどうぞと言って去っていった。

2008年
4月2日

早朝

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いつものカフェで出会った大学で日本語を勉強しているアドリアンがお店の前で待っていた。

「昨日開店と聞いて来たけれど閉まってたんだ。今日は開けるの?」

「うん。昨日はセラヤに行っててさ。今から準備をして10時にはオープンするね。」

「わかった、じゃあまた後で来るね。友達にも話しておいたから、きっと今日は沢山お客さんが来るよ!」

朝から数種類のお惣菜を作ってショーケースに並べていたら、あっと言う間に10時になっていた。手際が全く良くなくて、味以外は全くのド素人よりも酷かった。「いったい僕は何をやってるんだ?」と自暴自棄になってみたけど、何も変わらない。10時ピッタリにやってきたアドリアンが僕の酷い手際を見ながら、

「凄いねえ。魔法使いみたいに食べ物ができてくる。」

とわけのわからない言い回しで関心していた。

「何言ってるんだい。全然間に合わないし、こんな手際が悪くちゃこれから先が思いやられるよ。」

「ははは。まだ初日も始まっていないのに、これから先を悩むなんて日本人らしいね。そんなことより、こんなに美味しそうな料理は見たことないよ。きっとノリは天才なんだね。」

「天才?天才だったらこんな路地裏でお店なんかしないよ。アドリアン。まあいいや。アドリアンがそういうとなんだか気が楽になったよ。ありがとう。さあもうちょっと待ってて。もうすぐ準備完成だから!」

開店の準備もままならない、お惣菜の数も少ししかないけれど、アドリアンは既にショーケースの前で今まで見たことのない日本食を不思議そうに眺めては ”おおー” とか ”美味しそう!” とか言うから僕はそんなアドリアンの明るさに救われていた。

準備ができて、いよいよオープンだ。2008年4月2日。デリカミツというお惣菜デリカが誕生した。ラーメンでも天ぷらでもトンカツ定食でもない、どこか特別な存在になりがちな海外での日本食のイメージを覆す、毎日、誰でも食べることができる ”日本の日常食” お惣菜を提供するお店にアドリアンは最初の一人目にふさわしいお客さんだ。

「アドリアンが一番最初のお客さんだね。いらっしゃい!」

アドリアンは初めて目にするお惣菜を迷いながらショーケースから2つ選んで、それから炊きたてのご飯を珍しそうに食べてくれた。

「美味しいですね。こんなのは初めて食べました。」

片言のでもとても上手な日本語でアドリアンはそう言って、また別のお惣菜を注文してから自分のテーブに戻って食べてくれた。

$40ペソ

それが初めての売上。そして、今まで食べたことがある日本食とは全く違う見たこともないようなお惣菜を食べた時のアドリアンの笑顔、それが僕達がこの街で初めて手にしたものだった。それから、アドリアンと一緒に大学の日本語学科に通う同級生や一緒にペンキを塗ってくれた留学生、そして開店を心待ちにしてくれていた在住の日本人の友人達がお祝いの花を持って来てくれた。お昼を過ぎてからはどこからともなく噂を聞きつけてくれた外国人達が ”ようやく日本食を食べれる” と興奮してお店を見に来てくれて、この日は思ってもないくらいに大盛況。

テーブルが2つしか置けない店内は当たり前だけど直ぐに満席になり、持ち帰りを主に営業していこうと考えていた僕の思惑はその日のうちに間違っていたことに気がついたけど、それも嬉し誤算だった。近くの語学学校のフランス人の先生は

「パリにいるみたい!」

なんて嬉しい事を言ってくれる。実際、自国でデリカテッセンの文化を持つ人達は僕のこのコンセプトをとても理解してくれて、この街での新しい生活の一部として受け入れてくれているようだ。

だけど、ここはメキシコ。デリカテッセンの文化が浸透してない、そして日本食とチャイニーズエキスプレスを同じものだと思っているこの国の人達が僕のお店を受け入れてくれるのには相当な時間が必要だなと改めて感じた開業初日。

これから沢山のありえない事が起こる波乱万丈の幕開けが地球の裏の路地裏で始まった。

つづく




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