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通過儀礼の青年の映画だけど

『Winter boy』(2022年/フランス/カラー/シネスコ/2h02/DCP/R15+)監督・脚本:クリストフ・オノレ 出演:ポール・キルシェ、ジュリエット・ビノシュ、ヴァンサン・ラコスト、エルヴァン・ケポア・ファレ


父の突然の死にとまどい パリを彷徨う17歳の冬
ゲイを自認する高校生リュカは、寄宿舎で父の事故死を知らされる。母の待つ実家に帰った彼は混乱のあまり葬儀を欠席するが、学校に戻る美大生の兄とともにパリに出て様々な人々と出会う。監督の自伝的作品で、主演のポール・キルシェはイレーヌ・ジャコブの息子。

父親の突然の事故から一人の青年がその悲しみを乗り越えていく通過儀礼的な作品だと思うが、単に父親像の再生産ではなく、ゲイであることの生きる道を示した監督の自伝的作品だった。

それはレビューで父の死と家族の回復を謳いながらあまりにもベッドシーン(裸のシーンか)が多いという意見を見て、そういう映画なんだと思っていたらちょっと違った。パリの解放的なシーンは、自分の居場所を見つける為の場所としてゲイである彼には必要だった。

それは青年が寄宿舎学校に通う田舎の青年として描いていることだ。その環境でのゲイであることはきついと思う。なによりも父の事故は、二回あり、最初は彼も同乗しての事故だった。その時の事故の記憶からニ回目の父の事故を自殺であったと思い込むのだが、それは父親のように生きられなかった自分自身を責めてしまうことになるからだった。

このへんのことは葬儀の場面の政治的な話や教会での描写で丁寧に描いていたと思う。何よりも母親に対して抗議するシーンは重要で、母が父の気持ちを汲み取れなかったから自殺したのだと抗議するのだ。なぜここで自殺というコトバが突然出てくるのか?

その後に自殺未遂を起こす青年の精神は、自分を無き者にしたいということだ。そして最初の事故は父が自分との心中を試みたと考えたのかもしれない。父のような男ではなかった。ただそれは母の性格を受け継いでいるのだが。

ジュリエット・ビノシュという不安定な母の存在。多分ここの家では彼女の力が強いように感じたのは母と息子兄弟の結束力の強さだ。その家族から一人疎外されてしまうのが父親(日本の家庭でもよくあるパターンだと思う)ではなかっただろうか?だからあの事故を父の自殺として母を責めると同時に自分自身をも責めていたのだ。そして、彼はコトバも失う。

その回復となったのが兄がパリで同居するゲイの親友(兄にその趣味はなかったが、弟がゲイだったのでゲイに対する偏見はなかった)が彼に歌った歌がポイントとなっていく。それはフランスで黒人(移民)でありゲイである彼の生きづらさを歌ったものだった(それでも居場所が音楽の世界にある)。

兄の親友の歌を歌うことで回復していくのだ。彼はそのパリの事件が通過儀礼となっていた。


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