紫の上死す
『源氏物語 41 御法』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)
光源氏によって美の権現として育てられた紫の上だったがそれまでの印象はそれほどなかったように思える。最初の若紫の登場はまだ幼子であったし、ヒロインとしても他の姫の陰に回っていたような。ただこの帖はさすがにメインであるから描写にも力が入っている。美の完成形としての死というような紫の上である。
それはタイトルの「御法(みのり)」も仏教用語であり、光源氏が出家を望まないから法華経(最も尊い仏典)の千部供養をすることにしたのだ。その法事の招きの手紙(花散里へ)の和歌がタイトルとなる。
その法事も大層なもので多くの訪問者が来て、余生の語らいをするのだ。かつてのライバルたち(六条院の女たちは、嫉妬もしただろう)とも友情のようなものが芽生えていた。
そんな中で三宮(最初は女三宮だと思ていたが明石の中宮の三男だった。後の匂宮だった)との語らいは紫の上が最初に登場してきた幼子だった頃と重なるし、孫とおばあちゃんという最高に平和な情景なのかなと思う。そして六条院の春の館の紅梅と桜の面倒を依頼するのだ。六条院の姿こそ四季の美の姿を象徴するものだから、三宮はその後継者と目されたような。
そして極めつけは生前には見ることも禁止されていた夕霧が死後でもいいからと対面を望むのだった。その死姿までが美しいとされるのだ。夕霧の証言だからあてにはならないが。
光源氏は葵の上が亡くなった時を思い出すがあのときはまだ正気でいられたのに、今回は正気を保っていられないのだ。そして歌を詠む。
致仕の大臣(ライバルだった頭の中将)は蔵人少将(息子)に文を託す。
「いにしえの」は大臣の妹である葵の上が亡くなった時を言っているのだった。紫の上は無関係の人にも評判がいいと紫式部が書いていた。葵の上の評判が悪いみたいじゃないか?