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『どーなつ』の空間を埋める感想
『どーなつ』北野勇作 (ハヤカワ文庫 JA Jコレクション)
どこまでが自分でどこまでが他者なのかわからない……この記憶はほんとうに自分のもの?
父の迎えを待ちながらピンボール・マシンで遊んだデパート屋上の夕暮れ、火星に雨を降らせようとした田宮さんに恋していたころ、そして、どことも知れぬ異星で電気熊に乗りこんで戦った日々……そんな“おれ”の想い出には何かが足りなくて、何かが多すぎる。いったい“おれ”はどこから来て、そもそも今どこにいるのだろう? どこかなつかしくて、せつなく、そしてむなしい曖昧な記憶の物語。連作短編SF小説。
短編連作SFだった。何気ない日常からSF世界に繋げる。途中落語を挟むなんて、文学センスも高い。村上春樹のピンボール好きには、最初の『百貨店の屋上で待っていた子供の話』で、じ~んときちゃう。「ある日の熊さん」ピンボール」。「熊さんの歌」が永遠にリフレインする。ヴォネガットの語りでディック的な不条理SF世界。北野勇作氏は、日本SF大賞受賞作『カメくん』も面白かった。
『どーなつ』は、ロラン・バルトが天皇制について、何か言っていたことと関係があるのだろうか?空虚のベールに覆われた皇居について、望遠鏡では見えないだろうけど。それより河合隼雄「中空構造」だろうか?待っている人。『百貨店の屋上で待っていた子供の話』デパートの屋上でアーケードゲームをやりながら父親の不倫を待つ。
デパートの屋上の望遠鏡はどこにでもある。あのカッチという幕切れの暗闇ほど悲しいことはない。デパートの屋上は、ある者には別世界だった。遊園地ほどの特別な所でもないが近くの穴場スポット的なペットショップも併設されていて、見たこともない生物に満ちている。異星人がいてもおかしくない。
『熊のぬいぐるみを着た作業員の話』は「人工知熊」の話。人工知能を持ったエヴァ型ロボット。ほとんどエヴァとおなじような操作方法。ただ使徒と対決するのではなく、フォーク・リフト代わりの作業ロボット。ここは企業SFで不条理な会社組織と労働と組合の話。それより作業員がいなくなる夜になると「人工知熊」が勝手に集会(組合活動?)を開き行動する。『熊を放つ』という感じ。春樹からアーヴィングを連想してしまうのが、文学知能が高いと思うのだ。
その次の『火星に雨を降らせようとした女の話』。これは傑作。
地球環境のことを考えてもこれから先は良くならないことを知っている女性研究員の話。それで、男の方が「子供を生んでも仕方がない」と言う。ネガティブ思考。でもここに登場する田宮麻美は、それならば人が一番近くに住めるかもしれない火星の環境を変えて地球らしくしようとする話。バカバカしいと言えばバカバカしいけどディック好きは『火星のタイム・スリップ』とかに繋げてしまう。それもネガティブSFだけど。
この産んでしまうポジティブさは経験的に女性が持つものだろうか?誰しもこの先駄目な世界をわかっているのに、子供を産むのを止めない。根本的なものなのかもしれない。それが自然だから子供を産む。だとしたら環境を変えなければならない。このAIアメフラシは笑ってしまうけど、そう言えば子供時代に潮だまりにアメフラシがいていたずらした。そういう話ではない。いや、そういう話なのかもしれない。
セックスの話なんだ。ヌルヌルしたものは気持ち悪いくせにセックスしようとする。その「どーなつ」に。中心がないのは男で、女は海(産みとも書く)を持っているのだろう。
『逃げた脳ミソを追いかけた飼育係の話』はそのAIゲノム「アメフラシ」は人間の脳の記憶を持つ自己再生AIという奴。ゲノム編集やデザイナーベイビーの遺伝子操作生物学の世界。そのたまり場は人工海のような、潮だまりで遊んだ幼い時の記憶だ。「どーなつ」のような岩礁に囲まれた水の空間。そこにちゃぷちゃぷ浮かびながら夢見ていたのかもしれない。
『ズルイやりかたで手に入れた息子の話』は、地球侵略を考えた宇宙人と地球のことより経済システムのことしか考えない中小企業の社長の話。そんな会社は、ブラック企業だ。なにもかも闇の世界。そんな会社に、『本当は落語家になりたかった研究員の話』の田宮麻美は『火星に雨を降らせようとした女の話』に戻っていく。そして『ズルイやりかたで手に入れた息子の話』の社長は『異星人に会社を乗っ取られた社長の話』になって、ゆきつもどりつ落語「あたま山」で展開していく。頭の中にある桜満開の世界。そこにひとりだけ疎外された自意識は、抜いた桜の木の跡に出来た池で溺れ死ぬ。「どーなつ」池だった。
『大きなつづらを持って帰った同僚の話』はもはや記憶がない海馬の話。『あたま山にたどり着けなかった熊の話』はグレッグ ベアのSFだろうか?『溝のなかに落ちていたヒトの話』は「あたま山」の解けない未解決SF事件。後半端折った。読んでのお楽しみ。「どーなつ」は、「人工知熊」は「あたま山」の夢をみるだろうか?というSFなのかもしれない。