大衆の欲望は英雄を求める
『ブリュメール18日 』カール マルクス,(翻訳) 植村 邦彦 (平凡社ライブラリー)
これは政治パンフレットとして書かれたものであり、当時のフランスの政治状況がわかってないと理解しづらい。またマルクスの文体も比喩表現が多いアジテーションなのだ。同じような本に『共産党宣言』があるが、例えば冒頭の有名な言葉
この比喩は例えば光文社古典新訳では
幽霊やら妖怪という比喩は何を言っているかわからないが、例えば中東やアフリカで起きたSNSで広がった民主化運動は、そまざまな世界に広がっていったが弾圧されてしまった。それは一神教的な権力システムであったり、マルクスがエンゲレスと共に『共産党宣言』を書いたあとにフランス革命の反動があり、各国で保守化が進んでイギリスに亡命しなければならなかった。
つまり幽霊や妖怪はキリスト教的一神教からみた邪神に他ならないのだ。キリスト教的一神教というシステムは、帝国主義によって世界に広がっていく。そこから出来た国家システムが見習わないはずはないのである。かつての権力者から統治する方法を学ぶのだ。その中に組み込まれているのは宗教よりも経済という一神教か?誰もが抱いている欲望の姿である。
『ブリュメール18日』がわかりずらいのは、当時の議会制民主主義の中の党派の関係がよくわからないからだ。巻末にそのあらましが出ているが、議会の中心となる党派はそれぞれの階級を代表しているのであるが、ナポレオンを支持したのが、ルンペンプロレタリアートなのだ。それは議会のつぶしあいで生き残るのがブルジョアジーであり、そのブルジョアジーに敵意を持つナポレオンの欲望は英雄の支配であり、それが民衆から圧倒的に支持されたのだった。当時の新聞がナポレオンのスキャンダルを暴き彼を失墜させよとしたにも関わらずナポレオンは失墜しなかった。それは対外的にフランス革命は反感を持たれていたので、諸外国と戦う英雄の必然性を求める姿でもあった。強い国家でなければ駄目だというわけである。
その反動の時期に書かれたのがこの本である。そしてここでもヘーゲルの言葉を踏まえた有名な言葉。
その笑劇がナポレオンのボナパリズムであるのだが、それを笑うことができないのは当事国だからである。例えばアメリカのトランプにしても北朝鮮の金正恩にしても日本では笑いの対象になるが、日本の笑劇に対しては気づいていない。
あとがきで柄谷行人が日本のファシズムについて、日本はヒトラーやムッソリーニの独裁者がいないのでファシズムではないと言われたのだが、この『ブリュメール18日』は日本の1930年からの国家主義の形成に似ているという。それは反復強迫という観念。他国が攻めてくるとか経済が破綻するとか(たしかにそれはあるのだが、実際に破綻させるようにしているのは一部のブルジョアジーであり、既得権益を受けているのは権力政党であり、今ある政治汚職というシステムも議会制民主主義で起きている権力闘争である)そのなかで政治に弾かれた者は英雄を求めるようになるのだ。それは議会制民主主義に巣食っている悪を退治してくれる英雄が必要なのだ。それがアメリカのトランプであり、日本では維新の議会制を無視する大阪知事なのである。何故彼等は人気があるのか?大衆が支えているからである。それは大衆が議会を役立たずの既得権益ばかり求める集団であると見ているからだ。
『ブリュメール18日』当時の議会でやり玉にあがったのが「社会主義的な」という既得権益だった。それは今では福祉や外国人労働者に向けられるだろう。「共産化」の恐怖という言葉は、彼等の内部をよく知る『ブリュメール18日』ならば「社会主義」というシステムを硬直したものを破壊しようとする大衆の欲望だった。それは議会制民主主義をナポレオンの配下につける欲望だったのである。ナポレオンが贅を尽くせば尽くすほど英雄的に好まれる。それを大いに好むのはルンペンプロレタリアートの幻想なのかも知れない。
ルンペンプロレタリアートは単に無職な人だけではなく、言論人でもあるのだ。ナポレオンのおこぼれに預かろうとする者たちである。
参考図書。
『シィエスのフランス革命: 「過激中道派」の誕生』
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』
松本清張『昭和史発掘』
映画。『ナポレオン』