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色は欲望の比喩である

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹 (文春文庫 )

単行本刊行時、発売後7日で100万部を突破した、村上春樹13作目の長篇小説。 主人公・多崎つくるは36歳の独身、鉄道会社で駅を設計する仕事に携わっている。 名古屋市郊外の公立高校時代、同じクラスの友人4人といつも行動を共にしていた。自分だけ東京の大学に進んだあとも、交流は続いていたが、大学2年7月に突然、理由も分からないまま友人たちから絶縁される。その後は「ほとんど死ぬことだけを考えて」過ごす時期が続く。 鉄道会社に就職し、いま交際している2つ年上の38歳の女性・木元沙羅に、当時の友人たちに会って直接話をし、事態を打開しなければと勧められ、一大決心をして、友人たちに会いにいく。 グループのうち、「アオ」と「アカ」は故郷の名古屋にいて、「クロ」はフィンランドのヘルシンキに家族とともに住み、「シロ」は他界していた。つくるは最初に訪ねた「アオ」から絶縁のいきさつを教えられ、その翌日に「アカ」のオフィスを訪ねる―。

五人仲良しグループは多崎意外は色の名前が付いたもので、それが特徴として語られるのだが、多崎には色がない。色の意味が欲望(セックス)を表しているのは明らかで、彼は成長して年上の女性に出会うのだが、彼女がカウンセラーのような役割で、その後の四人に会いに行くことを提案する。男二人はそれなりに成功者となっていたが、女の子二人のうち一人は死んでいた。その謎解きミステリーのような展開でもあるのだが、彼女たちは二人で一人というような分身の関係。男二人も似たような成功者である。

多崎つくる一人が色のない平凡な男と感じているのだが、多崎つくるという名前で駅をつくつる仕事をしている人でありかなりディテールが詳しいのは彼の一人称小説であるからか。駅の描写とか、最後の新宿駅のターミナル線の話など上手いと思う。松本行きは「あずさ二号」だよな。

田崎つくるの駅好きはいいかもしれない。鉄道オタでもなくただ駅が好きなのは、それがターミナルであり人々が行き交う場所だからだ。漱石で『坊っちゃん』の最後が「街鉄」という技術者に転身したのと似ているのかもしれない。それは大学卒業後の話でその前に五人組グループから無視されると事件が起きるのだ。

高校時代に五人組グループ交際で完璧な感じだったのに大学を卒業してその関係性が崩壊していく。そのドラマは後に語られることになるのだが、そのことがトラウマとなって彼は自殺を考えるほどになるのだが、大学で同じタイプの灰田くんと知り合う。彼は読書家で哲学的な孤独癖があるのだが、それでも彼にも色があった。

村上春樹が上手いと思うのは引用の仕方かな。

枠に対する敬意と憎悪。人生において重要なものごとというのは常に二義的なものです。僕に言えるのはそれくらいです

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

ヴォルテールの引用だと思うのだがその引用本をだして来ないで親友の灰田文紹(ふみあき)に語らせる。彼は哲学やら読書好きの孤独な青年だ。彼が田崎つくるの精神的な支柱となるのか。その彼も自殺しそうな雰囲気を持っている。ヴォルテールの精神論出してくるような人間だった。全体的には村上春樹が書いた青春小説なのだが、灰田文紹との対話が重要な気がする。

その後に灰田の父の一人旅で出会った死と悪魔のピアニストの話。このへんは面白い。最初に登場した五人グループの女子二人も黒と白と名前(そこだけ取り出すと犬みたいだが)で、白のお嬢さんがリストの「巡礼の年」が好きだったのかな。ベルマンとか、このへんのこだわりも村上春樹っぽい。

シロが弾くリスト「巡礼の年」がキーワードになっているのか。もう一つ緑川という悪魔のピアニストが弾くのがセロニアス・モンク「ラウンド・ミッドナイト」だった。

村上春樹はこういう音楽の使い方が上手い。あと色は換喩表現(佐藤信夫『レトリック感覚』)。村上春樹のシロとかクロとかの名前の出し方は換喩的レトリック。「白雪姫」と呼ぶのが換喩表現。このへんのレトリックの使い方も技術だよな。村上春樹の文章の上手さはそういうのがある。それは特徴にすぎないが、クロは名前エリで呼ばれることを主張する。そこに自意識的な生き方があるのだが、彼女の物語は出来過ぎのようにも感じてしまう(シロの身代わりとしてのグレー・トマザー)。

そして多崎つくるの分身のような灰田くんは、悪魔のピアニストからトークン(なんでも叶うもののようだが命と引き換えにというような)を授かる父の話をするのだが、それは灰田くんから多崎つくるに渡されたような話の展開であり、それがシロ(白雪姫を暗示する)の殺人事件に絡んでいるかもしれないと思った。女の子の死は、村上春樹には重要なテーマであるような。小説はカウンセリング小説のようで、彼が色(セックス)を取り戻して年上の女性と結ばれるという物語になっている。その深層心理(河合隼雄心理学)の物語作りの小説かもしれない。

エリが住む「ヘルシンキ」がロシアのアレクサンドル一世皇帝(ナポレオン戦争のときの皇帝)が作った植民都市(人工都市)としての歴史がある。サンクトペテルブルクの次に首都になった場所であった(ヨーロッパ解放政策)。幽霊譚には相応しいようなゴースト・ストーリーになっている。多崎つくるはかなり頭が良さそうなので話を年上の恋人のために作ったということはないのか(信頼できない語り手)。そのぐらい物語が出来すぎな感じがしてしまう(物語を読む快感はある、ただ結末がすでに用意されているような)。


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