弁の尼は幻術士だったのか?注目すべき噂の人がいよいよ登場か?
『源氏物語 51 宿り木』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)
まだ六の君の全貌が明らかにならないのだが、中の君との対照的に宮中で全てを与えられ育てられた女性である。中の君はその反対に何も与えられずに宮中に招かれてしまったのだ。場違いと感じるのは当然であろう。
夕霧の優柔不断な性格は雲居の雁と落葉の宮との間でどちらからも恨まれないようにしながら藤内侍との間に六の君を産んだのである。現在では、恨まれてもいい娘なのに守られていたのだ。それは宮中の女官たちによって守られて、理想の女性に教育されたのであろう。
中の君の女房たちに恵まれていないのはすでに「早蕨」で見てきた通りであろう。この帖でも薫の匂いが後に来る匂宮に知られてしまうのは女房たちが「ぼんくら」だったからだろう。宮中で育った女房なら、そういう繊細なことに気づいて然るべきなのだ。だから夕霧は愛人に子供を産ますことが出来た。
そうした中の君に与えられた役割は『源氏物語』の「忍ぶ恋」の典型的だと思うのだ。光源氏がいたならば、こんな悲運にはならなかっただろう。その前例として玉鬘がいると思う。
大君の影でしかない存在で薫に愛されるのだが、薫の役不足だった。愛人を持てるタイプではないのである。ちなみに大君の儚さを詠う薫は朝顔に喩えているのだった。
露はわずかな薫の愛だろうか?中の君の魅力はかつての大君の幻想である。すでに失われた世界の住人だったのだ。それは宇治という京から離れた場所の出身ということもあるのかもしれない。宇治の橋姫伝説の場所なのだ。それを紫式部は「忍ぶ恋」に翻案したのだと思う。
そういえば薫は按察使の君という愛人がいるのである。このへんがよくわからない。薫も普通に男だったと思えばいいのか?
それでも薫は恨まれないのはその地位と出自のためだろうか?六の宮は申し分のない美しさ故に匂宮から好意を持たれるという逆転現象が起きる。薫と匂宮が入れ替わればすべて上手くいくような気がするが、このちぐはぐさはなんだろう。作者が気を揉ませているのだとは思うが、もう絵に描いたような不幸に中の君は落ち込むのだが。
薫は結局帝の愛人の娘女二宮を妻に迎えるのだが、降嫁という光源氏と同じ道を歩むのである。それは薫が光源氏の実子ではないにしても表舞台では光源氏の権力を持っていたのだ。
そして薫は大君を偲んで宇治に向かうのだが、そこにあの弁の尼を呼び出すのであった。元にあった寝殿を建て替えて亡きはちの宮や大君を供養する御堂にすることにして、最後の寝夜を弁の尼と過ごすのだ。薫は真面目だと思われているがやることはやっているのは、夕霧も影ではそうだったと思わずにはいられない。
ただここは重要な話がなされるのである。弁の尼はキーパーソンの役目を負わされていいるんだよな。そしてその思い出と共に歌を送るのが題名になる。
弁の尼君は思っていたより重要人物だった。大君の件で悪女だと思っていたが違うのかもしれない。蓬莱山の幻術士の話であの楊貴妃を探させた話が出てくるがそういう系統のような気がする。