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シン・俳句レッスン168
堀田季何『人類の午後』
寶舟船頭をらず 常に海 堀田季何
「寶舟(たからぶね)」の漢字がなかなか出てこなく苦労する。旧字嫌いだ!ふりがなが欲しいよな。この句は高柳重信の多行俳句を連想させる。
船焼き捨てし
船長は
泳ぐかな 高柳重信
ウェルギリス『アエネーイス』の神話のエピグラフが付いていた。
うぶすなや墓から墓へ小灰蝶 堀田季何
「うぶすな」は「産土」ということで地霊(神様)のこと。小灰蝶は「しじみ蝶」。小さな蝶が墓から墓へ舞う姿が産土のようだというイメージか。胡蝶の夢のエピグラフ。
しゃぼん玉ふいていた奴を逮捕しろ 堀田季何
トルストイの『アンナ・カリーナ』からの引用で、「少し持ちこたえて弾ける。その泡はわたしだ。」のエピグラフ。それからイメージされるしゃぼんだまのイメージか。
閉館日なれば圖書みな夏蝶に 堀田季何
幸福とは蝶のやう。(ナサニエル・ホーソン)のエピ。この句は好きかも。
蠅打つや自他の區別を失ないて 堀田季何
一茶の句のパロディか。蠅追ひが村の者なら蠅も村の者(レガ族の諺)。こういうのを膠着技法とか言うんだっけ。レガ族はことわざ民族だった。
地下通路くぐりふたたび霧の中 堀田季何
V.E.フランクル『夜と霧』のエピ。「夜と霧」という言葉はナチスが反抗するものを密かに連行し消していくというもの。「ふたたび」という言葉に注意を向けたい。それは現実社会で起きていることかもしれない。それが「新興俳句」運動の弾圧と繋がるような気がしてくる。
教㑹に 流民 熟寝や毛布敷き 堀田季何
エピ『クリスマス・キャロル』のアイロニー。クリスマスの箴言。キリスト教精神は貧困なる者がいるから成り立っているというような。教会が配布する毛布と共に流民を取り入れる甘い言葉か。
地下通路くぐりふたたび霧の中 堀田季何
エピのナチスが企てた「夜と霧」作戦。それはレジスタンスや政治活動家を消すための法令だった。V.E.フランクル『夜と霧』はそれについて書かれた本なのだが、闇の中に葬られたのは人ばかりではない。こうしたナチスの行為も霧の中と化しているのかもしれない。「ふたたび」の言葉から渡邊白泉の句が連想される。
戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡邊白泉
芭蕉の風景
発句也松尾桃青宿の春 芭蕉
芭蕉が江戸日本橋で詠んだ句で石碑があるとか。行ってみたい気もするが、日本橋も当時の風景でもないし、何を思うのであろう。この句から花の江戸の春の情景に芭蕉の意気込みも感じられる。新年の句だという。桃青は李白をもじったという。なるほど李は桃でそれがまだ青いのか。
俳諧や宿仮家なし金はなし 宿仮
花に 酔り羽織着てかたな 指女 芭蕉
上野の花見客の中に酔って男装をした女がいたという句。「花に酔り」は謡曲の引用で、謡曲の引用は談林俳諧の特徴を引き継でいる。修羅雪姉さんだろうか。
修羅雪の上野の花は散り舞ひて 宿仮
あさがほに我は 食くふおとこ哉 芭蕉
この句は其角の俳諧に合わせた句だという。
草の戸に我は蓼くふ蛍哉 其角
「蓼くふ」は「蓼食う虫も好き好き」が引用されているという。それが蛍なのか?諺的な句はこの時代詠まれていた。芭蕉のわび・さび感に対して其角は華やかな江戸俳諧だったが終生芭蕉の弟子だったという。
朝から 吾辛子で目覚めおでん食ふ 宿仮
世にふるもさらに宗祇のやどり哉 芭蕉
この句は宗祇の本句取りということ。
世にふるもさらにしぐれのやどりかな 宗祇
宗祇晩年の句で、芭蕉はそんな宗祇を尊敬していたので「しぐれ」を宗祇に代えただけの句を作ったという。
世にふるもさらにさらに宿仮か 宿仮
宗祇に重ねた芭蕉に重ねて我も詠む。
現代俳句
『現代俳句12月号』から第49回現代俳句講座 詳報・一問一答(高野ムツオ、星野高士、筑紫磐井)
高野ツトムが現代俳句の会長だったんだ。NHK俳句の句会が一番と書いて良かった。あまり批判したことはないと思う。
副会長が星野高士と筑紫磐井です。この記事は高野ムツオ氏と星野高士氏の自己紹介(急に氏をつける)。