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持統天皇と藤原不比等

『双調平家物語 〈3〉 栄花の巻 2』橋本治

天智の帝亡き後、大海人皇子は大友皇子との皇位継承をめぐる叔父甥の戦い──壬申の大乱──に勝利し、天武の帝となる。一方、鎌足公の嫡子、藤原不比等は、天武の帝の後を継いだ持統の帝の御世において新帝擁立に功を奏し、栄達の道を昇って行く。「皇統という鶯の巣に生みつけられる、藤原という杜鵑(ほととぎす)の卵。鶯の巣に孵って、生まれ出た杜鵑は、鶯の雛に代わって鶯となる。藤原の朝臣は、ただその日が来るのを待てばよい」。

『双調平家物語]』は文庫本と単行本ではサブタイトルが違うのだが、「栄花の巻2」となっており前巻の続きであり、「大化の改新」のあとの天皇家の動乱時代の「壬申の乱」を扱っている。相変わらず読むのに時間がかかるのは物語が一つの線で供述されてなくまた後ろに戻ったりするからなのだが(くり返しが多く見受けられる)、それは橋本治の批評的物語なのだと思う。

「壬申の乱」は『万葉集』にも取り上げられているほどの日本の制度の核心部分であると思うが、その中心になるのが母なる持統天皇と藤原鎌足の後継ぎである藤原不比等の天皇を中心とする官僚機構である。

春過ぎて夏きたるらし白妙の衣ほしたり天の香具山 持統天皇

『万葉集』によってイメージ付けられる持統天皇だが、『双調平家物語』では血塗られた母なる天皇となっている。それは夫である天武天皇が息子たちに誓わせた吉野の盟約は父の息子である兄弟で争わぬこととしたが、母の立場にしてみれば腹を痛めたただ一人の子が大事なのであって、その他は他の女の子どもなのである。ここに持統天皇があえて草壁皇子のために血塗られた母となり、姉である太田皇女の息子である大津皇子を謀反の罪をきせて倒すのである。

後の『日本書紀』には慈母として持統天皇が記述されているが(ウィキペディア調べ)、それは天皇家の創作だったとされる。また『万葉集』でも持統天皇の廻りには人麻呂や高市黒戸などの宮廷歌人がいたのである。持統天皇の歌が多いと思ったら人麻呂や高市黒戸が代わりに詠んでいた。だから実際には代筆と考えれるかもしれない。

ただ万葉集で有間皇子の歌は情緒的な詠みぶりとして、後世にも影響を与えたが『双調平家物語』ではどうしようもない駄目皇子として描写されたり、大津皇子の姉である大来皇女の話が出てこないのである。

そこが少し不満だが「悲劇のヒーロー(ヒロイン)」の叙情性を避けたのかもしれない。

その草壁が亡くなると、まだ孫である軽皇子の代役として持統天皇になるのだった。その時に力を貸すのが藤原不比等のアイデアで大友皇子の息子である葛野王に持統天皇を推薦させるのだ。大友皇子は壬申の乱で天武天皇に敗れた天皇であり、天智天皇が跡継ぎにしていたのだった(このへんで大抵の人は混乱すると思う。この辺の物語でわかりやすいのは里中満智子『天上の虹』かもしれない。『双調平家物語』の理解を深めたいの人は参考にするといいかも)。

葛野王は大津皇子の謀反の陰謀もあり、流石に自分の命は大事なのでそれに従い持統天皇が誕生して日本の律令国家の基礎が築かれる。持統天皇は「日本書紀」でイメージを慈母の天皇と変えたようだ。『万葉集』もそういうところがあるが謀反人を悲劇のヒーローとするなど反権力の思惑があったのかもしれない。そのときに大伴氏に成り代わって勢力を伸ばすのが藤原氏なのである。

『双調平家物語』の読みにくさは直線的な時系列の物語ではなくたえず過去に戻って別の登場人物が語り手の中心となるからだった。その関係図も混乱を招くし、物語がすっきり進んでいかない(途中で中国の則天武后の話になったり)。それは中心がなく天皇制が空なる存在の官僚性によって成り立っているからだろうか?そこが反乱分子としての則天武后と持統天皇の違いだという。そのキーマンになったのは藤原不比等の政治である(この時代にすでに日本の官僚制が出来上がっていたのかもしれない)。


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