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都市化という人工問題(脳化社会)
“現代社会を快適に生きる答え”は、20年以上年前に出ていた!
「脳の世紀」といわれる21世紀社会の正しい生き方とは?
20年以上に行われた養老孟司氏の講演録だが、
それは現代を予見している内容であった!
本書は、20年以上も前に行われた養老孟司氏の講演録をまとめたもの。
「意識は、なぜあるのか?」「 人間は死んだら『モノ』なのか?『ヒト』なのか?」「人間は『人工身体』と『自然身体』の二つのからだを持っている」「 人工(脳)と自然(身体)との釣り合いこそ重要である」「 人間は、意識だけでできているわけではない」「『男』と『女』という言葉ができたとき、性の連続が断ち切られた」「人間は、自分ができることの説明ができない」「 子どもを育てるとは『手入れ』をすること」「『ああすれば、こうなる』だけになった現代社会」という9講演を収録している。
目次
現実とはなにか(東海ちけんだいがくにて講演)意識は、なぜあるのか?
自然と人間(大正大学仏陀会にて講演)人間は死んだら「モノ」なのか?「ヒト」なのか?
からだと表現(全国大学保健管理協会にて講演)人間は「人工身体」と「自然身体」の二つのからだを持っている
構造から見た建築と解剖(日本建築学会にて講演)人工(脳)と自然(身体)との釣り合いこそ重要である
ゆとりある生活の創造(教育委員会連合会にて講演)人間は、意識だけでできているわけではない
現代社会と脳(新宿区立女性情報センターにて講演)「男」と「女」という言葉ができたとき、性の連続が断ち切られた
ヒトを見る目(おしゃべり新年会にて講演)人間は、自分ができることの説明ができない
子どもと自然(鎌倉愛育園にて講演)子どもを育てるとは「手入れ」をすること
情報化社会と脳(NTT DATAサマーフォーラムにて講演)「ああすれば、こうなる」だけになった現代社会
脳化社会とはヴァーチャル・リアリティを現実だと認識してしまうこと。コンピュータの仕組みと脳は非常に近いという。言語脳を現実だと認識してしまうことなんだろうか。
死に対しての考え方が面白い。一人称の死は自分の死だから、これは経験できない(まれに臨死体験者がいるが)。二人称の死は身内とか親しい人の死で、これはなかなか死を受け入れられない。だから行方不明者など死体がない場合はそこかで生きていると感じる。死体があっても心の中に生きていれば、それが霊として生きていたりするわけだった(宗教的な死か)。最後に第三者の死は自分と関係ないのでそのまま受け入れて忘れていく(戦争や大災害の死者数も当事者意識がないと数字にしかすぎない)。
そうした数値化は平均値という枠の中でそこから外れていく者を病気や異常者とみなしていく。病院の検査は絶えず数値の世界なので、本当にその人が調子がいいか分からない。低血圧気味の人もいれば高血圧の人もいるのだ。
それは貨幣経済も数字にしかすぎないということでそうした数値が絶対的な価値になっていくのが今の社会だろうか?そういう世界が如実にあらわれてくるのがヴァーチャルな世界であり、ゲーム脳ということなのかもしれない。
身体と精神は相反するもので、精神世界=脳化世界はヴァーチャル・リアリティの世界であるからそれではいけないと身体的なヨガとかにいきなり入ってオウム真理教のような極端な世界に訓練なしで行ってしまうという。そこは身体論なのかな。身体は肉体と精神のバランスで成り立っているから肉体をいきなり虐めてしまうことには害がでてくる。
また自然の身体の表現については、人と違う生まれであることで排除されるというのは都市化の中ではあるということだ。都市化は平均的な人を求める。そのなかで男女差という自然があるから、女性には不利な社会なので、それを平均化するのも無理があるという。ここは差別と区別の違いということなのか?
都市化というのも自然を排除していく人間の業みたいなもので、自然というのは何が起こるかわからないことなので、それを人の管理化に置くことが都市化ということなのだ。それは数値化ということでもあり自然は数値では測れないものであるから想定外ということが起きる。
都市化はそういうことを隠蔽していくので自然(死)も隠そうとする。突然現れる自然に恐怖を感じるのもそういうことだった。そうしたもの(虫)とかはなるべく排除しようとする思考になってくる。ゴキブリ問題!
自然に対しての潔癖主義はウィルスにしても抵抗力を弱めていくように思える。自然の中で育った子供はあらゆる危険に囲まれているのでそうしたものにも対処できるが都会の子供は出来ない。しかし機械に対しては逆なのかもしれない。
そうした中で死とともに老いという問題で今まで出来たことが出来なくなるのが自然なのだ。それを維持しようと頑張るわけだがいつかは諦めなければならない時が来るのだ。死への覚悟が必要だと言う(メメント・モリ「死をわすれるな!」)
病院での延命治療も人工呼吸器で肉体を機能させることが出来るので脳死状態ということになってくる。そしてほとんどの人が病院で死ぬことになる。現在の都市化問題は、高齢化も少子化も管理社会も自然を排除して都市化させたことによる。だからといって自然に帰れとは行かないわけで、そういう意味では覚悟が必要な社会だということだ。未来について予言する者は自然を考えていないわけで、明日突然人は死ぬかもしれないということだ。けっこう納得してしまう。