短歌レッスン94
塚本邦雄短歌
こういう神話モチーフの短歌は好きだ。蒼蒼は「あおあお」と読んだが解説によると「そうそう」の冷たく冴えた感じがいいとか。向日葵のまなこという時点で幻想だから、「あおあお」でもいんじゃないかな。空を鏡のように写す「まなこ」。
模範十首
今日は黒瀬珂瀾(くろせ からん)の幻想短歌十首。ここでけっこう影響されてしまうから、今日も幻想短歌が作れるようにと。
「けぷらせ」とは「ケプラせ」なのか「煙らせ」の古語なのか?分からないがアポロを殺したということだろう。だから地下の廃神殿になっているのだ。
「咲き終へし薔薇のごとく」胸の病の隠喩表現だろうか?
「奪ふさらに奪はむ」というリフレインの効用と赤い茱萸で口を汚した鶸のような少年。
作中主体(専門用語を使ってみた)は夜の人なんだな。鬼か?
滅びの美学か?それでも作者は鳥が好きなんだな。
「大災害がひめやかに」は「秘めやか」と「冷え」の掛け言葉かな。
「男権中心主義(ファロセントリズム)」の専門用語とか「聳(おそ)ゆる」とかの難しい漢字とか、こういうのが幻想性に繋がるのかもしれないが、ちょっと面倒くさい。
「ピアノ」の歌の方が日常性にありながら「棺」というイメージ結びつける幻想性。こっちの方がいい。ピアノから音楽性も感じるし。
幻想性は「死」と結びつくのは、それが非日常であり、誰にもやってくることだから。呪術としてのうたならばなおさらか?
「死」の代わりに「寝」や「夢」を置くことも幻想に繋がる。
白昼夢的な歌かな。観覧車が道具立てとしては幻想世界を導きだす。
高柳克弘『究極の俳句』「第二章 常識を疑う」
俳句の「俳」は、わざおぎ。つまり自分でない別の人を演じるということ。
俳句が「非常の文芸」と呼ばれるのも、時として人としての身を超えることがある。神(自然)の視点。俳句は元来人間中心主義にはならない。天上的視点。
シェイクスピアのフールという騙り手。既成の美や道徳に左右されず、疑いを持って物事の本質を見極める。第三者の視点。作品は作者だけのものではない。
「うたの日」お題
今日は間違いようがないすべて「みそ」だった。食べ物の短歌は苦手というか、幻想短歌に成りにくいよな。そこを敢えて挑戦するのがプロか?
この線がいいかも。もう一つだな。前半はいい。
囀りと朧げが反するな。「朧げに消え」がいいか?
幽霊にしたいな。
民話のヒロインがいいな。鶴女房のような。
これでいいか?暗すぎか?幻想に目覚めるほうがいいな。
「母の幻影」だとありきたりか?
これは第一案。視点の変換。亡き母から視線にする。ことにする。
結果
♪2つ。今日はあまり幻想的には出来なかった。「みちびかる」も寸詰まりの言い方だし。
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