「かくめい」と「知っているか?」に挟まれた壁の世界
『誰でもない』ファン ジョンウン (著), 斎藤 真理子 (翻訳) (韓国文学のオクリモノ)
韓国文学はハン・ガンが好きだったが、最近はファン・ジョンウンがいいと思っている。ハン・ガンは詩的な感じがするがファン・ジョンウンは理知的な思考があるのだが、その先が不条理世界でもがいているように思える。身体的なハン・ガンに対して、精神的なファン・ジョンウンの文学世界は救われない話ばかりなのだが。それが韓国社会の現実と向き合う姿なのだと思う。ファン・ジョンウンの初期短編集
上京
都会生活に疲れた男が田舎の実家にやってきたが、ギクシャクする心模様。都会では非正規労働で疲れ、田舎では村の共同体意識に疲れてしまう。母親は、そんな田舎で暮らす人だが、弟が工場を作ったのに死んでしまった。千坪の唐辛子畑で季節労働者のように働くのだが、その土地も主が亡くなったで売り飛ばしてしまうという。田舎でその土地の値段は都会に比べて破格に安いのだが、田舎ではその金を出す金持ちもいない。そこで働く者たちの先行き不透明な生活と田舎にやってきた青年の葛藤。
語り手が一緒に付いてきた友人であり、彼は都会の方が馴染めるようで、こんな田舎に二度と来たくないと思っているのである。
友人の幼い頃の記憶は。鍵を忘れた部屋の時計が大きな音で鳴っている。それを止めなければ近所迷惑になると思い、壁に手を入れて時計を止めたという記憶を語るのだが。それは神経症的な幻想だろうか?
ヤンの未来
ヤンは女性の愛称のようだが、労働者としての女性、パートさんみたいな感じか。書店勤めの女性は彼氏もいて恋人同士な感じだが、やがて彼氏とは別れて生意気な年下の男が入ってきて、彼女より世慣れているような感じで書店を止めていくのだが、地下倉庫がトンネルだという情報をどこからか聞きつけて、それは彼女が知らない闇の世界のようでもあり、読書好きなのも働けない父の書斎にあった自殺した作家の本を繰り返し読んでいたという。
暗澹たる運命に導かれるように行方不明になった少女の最後の目撃者ということで、その事件が二人の男が誘拐に関わっていたのか、失踪した少女の母が彼女に毎日のように尋ねてくるという先の見えない人生。その書店のトンネルだったという倉庫が彼女の深層世界を表しているのか、その少女はそこに隠されたのかもしれないとさえ思うのだった。現実世界の暗部を描いていくのが見事な作家だと思うが、垣根の猫の話とかほんわかする話もあるのに最終的には暗澹たる気持ちにさせられてしまう。
誰が
引っ越してきた部屋にある前の住民である爺さんの壁の染みだったり、壁(天井)を隔てて聞こえてくる騒音に神経症的になっていくようなホラー的作品。声が出ない飼い犬とか、肉を焼く(飼い犬か老人かと思わせる)匂いと若者たちの去声とか、徐々に騒音に悩まされていく様子が、見知らぬ隣人が多い都会のアパートではありうるホラーだと感じた。行き場のない者の場末感の住処の不気味さが一人称で綴られていく。
誰も行ったことがない
すれ違う夫婦が海外旅行に出かけさらにすれ違う心情を描き出す。その背景に通貨危機があり、娘の死があった。一つの幸福時代の終わりなのかと思うが娘の人生は最初から絶望的なもののように感じてしまう。それを受け止めた母親の悲しみとして自転車のサドルを盗まれて泣きながら自転車を引いてくる姿がある。それはすでにそこ(7歳)から人生の絶望を味わい続けなければならない彼女の絶望感と一致させていくのだが、娘は水死してしまう。その遺体を背負う夫とサンダルを持つ妻のやるせなさ。キャンプした場所に何もかも置き去りにしたまま(家族の幸福のイメージ)月日は川の濁流に飲み込まれて行くのだ。その果にどんな世界があるのだろうか?
笑う男
語り手が向き合う壁の世界。狂人日記と言ってもいい内容だが、DDがいた明るい世界と父がいた暗澹たる世界と。明るさがないわけじゃなかった。DDの「かくめい」という言葉。それは『ベルサイユの薔薇』を読んでいて突然叫んでしまった言葉なのだが、廻りの空気にそぐわなくていたたまれなくなってしまった言葉だった。
そんなDDを喪失してからの転落していく日々。それは呪いのような父の「知っているか」という言葉と重なってゆく。父の言葉は運命的な「かくめい」とは反する言葉なのだ。そこに落ち込んだら二度と這い上がれないものがあるような。「狂人日記」からの浮上はあるのだろうか?