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角田訳では「賢木」となっていた

『源氏物語 10 榊』(翻訳)与謝野晶子(Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第10帖「榊」。正妻が亡き後、御息所が正室になるだろうと噂されていたが、その気配はなかった。落胆して伊勢へ下ろうと決心した御息所を源氏が訪れ、愛し合った昔を思い出し朝まで語り合うのだった。桐壺帝が崩御した。藤壺は源氏の心をこれ以上乱してはならないと出家してしまう。今では朱雀帝の尚侍になっている朧月夜と密会しているところを右大臣に見つかり、源氏は弘徽殿の皇太后の憎悪を買ってしまう。

Amazon紹介文

これまで脇役はおろか怨霊までにされてきた六条御息所なのだが彼女の素性はよくわからなかった。単に光源氏の過去の情婦でしつこい嫉妬深い女かと思ったがよく読むと六条御息所からモーションをかけたことなどなかったのだ。

それがこの帖なのである。今まで巻をつかってきたのだが微妙に違うようなのでこれからは帖にする。与謝野晶子もそうしていたのだから。

六条御息所の素性はある大臣の娘で16歳で東宮に嫁いで女子を生む(それが斎宮になるのだが)、ここまでは順風だったのだろうか。女子を生むという以外は。ここから東宮とは二十歳で死別し、大臣だった父の後ろ盾もなく、そんな寄る辺もない隙をつかれて光源氏に言い寄られたと思う。光源氏の威光に期待しなかったわけではあるまい。

しかし様々な事件を通じて悟ったのである。母としての自覚だろうか?この斎宮だけは守らねばならない。伊勢の斎宮というと、どうしても大伯皇女を連想して重ねてしまうのだが、そういう悲劇性は六条御息所にはあると思う。権力者の妻としての地位を夢見て育てられ、その見果てぬ夢の中で脇に追いやられてしまう。斎宮に付きそうのも、そんな自身の身の施しとして娘を悪い男から守りたいという母心があったのではないか。

光源氏はこの斎宮にも手を出そうというような感じを受けるのである。母親に言い寄るのは、その前哨戦ではないか?

(六条御息所)
神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ
(光源氏の返し)
少女子(をとめご)があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ

表題の「榊」は伊勢の斎宮の象徴であろうか?その榊をおられたくないのに折ろうとしているのが光源氏なのである。いやすでに折ったのか?

(光源氏から斎宮へ)
八洲(やしま)もる国つ御神もこころあらば飽かぬわかれの仲をことわれ
(斎宮の返し)
国つ神そらにことわる仲ならばなほざりごとをまずやたださむ

六条御息所の気がかりは無事に斎宮を伊勢に見届けることで果たされた。情婦であるより母性が勝ったのだろう。

その悩みは藤壺にもある部分共通したものであった。桐壺院の崩御は藤壺にも六条御息所の地位まで落としかねない。物語の並びとして、この並びはまったくの気まぐれとは思えないのだ。

ただ桐壺帝の心配は藤壺よりも東宮にあったのだ。その後ろ盾として光源氏(彼も桐壺帝の息子である)に任せたのだ。複雑な家系だが東宮を太陽として、光源氏を月として家系を存続させたいと願ったのだ。もともと自身が招いたご乱心なのだが。そんな都合よくいくのだろうか?

そして、もう一人朧月夜のエピソードが重なる。それは藤壺のもう一つの影であろうか?中心になるのは、藤壺の物語のようである。藤壺の出家は東宮を守るためだという。これ以上不幸が起きないようにお祈りするということが前提だが、一番の理由は光源氏を遠ざける為だろうと思われる。情婦になるより母の思いが出家という道を取らせた。当時はそれしかなかったのであろうか?

朧月夜のエピソードの後半に出てくる朧月夜の姉である弘徽殿大后は家系を守るために光源氏を敵視する。このへんの家系図のややこしさはどうにかならんものか?映画『千年の恋 ひかる源氏物語』ではかたせ梨乃が存在感のある役をやっていて印象深い。

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