シン・短歌レッス41
ドウダンツツジが咲いた。ありきたりの木だがツツジなんだよな。「灯台」のイメージだそうだ。漢字表記は「満天星」。季語だと「満天星の花」これで7音だ。中七は決まった。最初の5音は季語に関係なく掴みの言葉。会話体。
「NHK短歌」投稿句の反省。投稿歌を覚えてないのだから投げっぱなしになっていた。これはいけない。どこに記録するか悩む。メールにしているのだがなかった。
「公園」は具体的な公園玩具の歌が入選していた。具体的なものの描写ということかな。特選は金魚のお墓。公園だけど違う視点が入っているからか。難しい。
NHK短歌今週の投稿は、間に合わなかった。
『源氏物語』和歌
『源氏物語と和歌』から「哀傷の歌」。『万葉集』から挽歌など和歌の一つの形式として詠まれてきた「哀傷の歌」を葵の上が亡くなったあとの光源氏が詠んだ哀傷歌をみる。
これは光源氏の独泳なのだが、楊貴妃を失った玄宗皇帝の哀傷歌である漢詩「長恨歌」を元にしている。
続けて
これらの歌は死者に対しての呼びかけの歌である。しかし「幻」での紫の上の場合は彼女の死を対象化できずに戸惑いの表現が見られる。それが「かな」の詠嘆の表現で、これは『古今集』の哀傷歌の中に五首の結句「かな」止めの中に紀貫之の哀傷歌が三首ある。
「幻」の帖における光源氏の哀傷歌には、「かな」止めが三首みられる。
そして後半になると結句詠嘆表現から結句命令形に変化していく。
この激しく慟哭した後に光源氏の辞世の歌というべき歌と共に物語は終わる。
『源氏物語と和歌』五首
今日は『源氏物語と和歌』からすでに何首か上げているので、その続きとして五首。おもしろい歌があった。
「玉だれのこがめ」はずばり男性性器だという。磯のわかめを刈り上げたという意味。
まめ男(もぎの木)と見られていた薫だが実は匂いのある梅の花だったという意味だという。まめ男→欲望の男に変化する歌
末摘花の扇に書かれていた和歌だが、業平が小野に隠棲(出家)した惟喬親王を訪ねてその姿に驚く歌だが本来は悲劇的な歌を『源氏物語』では喜劇的な描写として引用していた。
『源氏物語』の「まどふ」歌は『古今集雑』からの引歌が多いという。それは無常観の境地にたどり着けない人間としての俗世間を断ち切れぬ思いを引き継いでいる。
光源氏が紫の上が亡くなったあとにも「まどふ」表現が使われている。
俳句レッスン
今日も堀本裕樹『十七音の海』から十首。第四章「覚えておきたい俳句」の続き。
「桃の花」は三月の節句を思い出すからふだんのこころとは通じないような。よっぽどのお嬢さんか?
わかるようでわからない。どこが鶯なん?色だけじゃないか?ということかな。その鶯の色も実物の鶯の色ではなく、鶯色。抽象的概念の鶯ということか。
大丸はデパートの大丸。そういうことがあったという俳句なんだな。なんだろう。駅ビルだったのかな。それより作者の俳号が気になる。古河電池の技師だったそうで、そうか飛ぶ粒子(素粒子)から来ているのか?
「南風」よりも「春風」の方がいいと思うが。それだと付きすぎになるのかな。
「雫のごとく」の直喩が見事でもあり、若い人かと思ったら大正生まれの俳人だった。それも男。繊細な感性だな。
「青嵐」が夏の季語。ここで切れていた。神社の名前じゃなかった。
「髪洗う」が夏の季語だという。こういう季語がわからない。冬は洗わないのかとツッコミたくなる。
「美しき距離」はなかなかいいな。形容詞はこういう使い方が出来るのか。
川上弘美じゃないか。見事な会話体だった。
「枷」がポイントのようだ。今日から旅に出るんだ。
千野帽子の句は七五六の字余りの句跨り。「つながない手」がポイント。
映画短歌
今日の映画は『劇場版センキョナンデス』から。
もっと古今調とかにしたかったんだけどな。題材が悪すぎた。
ちょっと変則的だった。五七七7五だった。
サクラは人ね。
定形に整えた。実際には美しきはないのだが。