見出し画像

短歌レッスン89

写真は「港の見える丘公園」のどっかの家の跡。廃墟ということでもないんだけど、廃墟を通り越して自然の一部になっているという姿か?


大島史洋『斎藤茂吉の百首』

なんでこんなのが短歌として、それも名歌になるんだという感じです。それもそんなに有名人でもなかった。ヘンドリック・ドウフは長崎・出島の館長で、その妻は遊女だったのです。日本人ですかね。「蝶々夫人」のような人だったのか?
その息子は17歳で亡くなっている。墓に「俗名 道富丈吉 行年 十七歳」とあるのを詠んだ。茂吉が歌で詠んだことで後世には名が残ったということで意味があるのか?しかし母の名はない!父と息子だけですね。

フランスの窓辺の婦人
領事館
きみの名を問う廃墟の蔦へ

今日の一首。「蔦へ」=「伝へ」です。

「うたの日」お題

「ともすれば/ややもすれば」「バス/パス」「スイーツパラダイス」「隙」「紀伊半島」「腕」「デブ」「武器」「きよしこの夜」。今日は早い。今日は最低限投稿ということで。2つあるのは、どっちかでいいということなのか?よくわからん。無難に他のにすればいいか?

「隙」
浴槽のある部屋の窓
隙間から
見るきみの名は、廃墟の蔦へ

出来た。これでいいんじゃないか?
浴槽じゃないな。「浴室」だな。でも言葉が合わない。

浴室のくもり硝子の
隙間から
きみの名を問ふ、廃墟の蔦へ

光が欲しいな。

浴室のくもり硝子の
隙間から
月の光は、廃墟の蔦へ

模範十首

今日も昨日の続きで、『文學界(2022年5月号)』から「幻想の短歌アンソロジー80首」の中から十首。「幻想短歌」を極めたいんだよな。

どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を  佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』
ママンあれはぼくの鳥だねママンママンぼくの落とした砂じゃないよね  東直子『青卵』
夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう  穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(うさぎ連れ)』
たれもかれも幻を視るまぼろしぞ 眩し まぼろしなればほろびず  小池純代
輪郭の見えぬひとりが歩み出でてかがやく駅舎くづれむとすも  鳴海宥『BARCAROLLE』
殺してもしずかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あかあきつ) ゆけ  水原紫苑『びあんか』
その地下に納骨堂をもつゆゑにつまさきだちの塔のかなしみ  井辻朱美『水晶散歩』
ゆめにあふひとのまなじりわたくしがゆめよりほかの何であらうか   紀野恵『さやと戦(そよ)げる玉の緒の』
見えざればまして迫りて夕ぐれの海は一枚の手紙とおぼし  柏原千恵子『彼方』
村落(むら)ひとつ消ゆるあしたをのぼりゆく思ひの中の秋の櫓を  百々登美子『翔』

『文學界(2022年5月号)』から「幻想の短歌アンソロジー80首」

よくわからん。「どんなにか」と「たまいしか」が呼応するのか、「たまいしか」は魂に見えた。それが結句の「地球に富士を」に結びつくのか?そっか、遠景にすれば富士も、いまある玉石も変わらないということなのかも。
「ママン」がフランス文学っぽい。なんかボードレールとかの象徴詩のような。海の砂に還るような情景なのか?
穂村弘のうたは夢の中で出会う人は何かを伝えようとしているという夢占い的な。そして本のタイトルが「不思議の国のアリス」のようだ。
小池純代の歌は音韻的に幻想的なのか。
「なるみゆう」で検索したらアダルト系のイラストレーターが出てきたのだが同一人物なのか?崩壊する幻想世界。

水原紫苑の歌は、鉱物(石)の世界と生物「赤蜻蛉(あかあきつ)」の衝動。それが瞬時に化石になるようなイメージ。
井辻朱美の歌は、地下と塔の対比。「納骨堂」だからか。
「夕ぐれの海」を「一枚の手紙」に託した歌だがいまだとインスタの歌になりかねない。
消える村の向かう「秋の櫓」というのが辺境的な幻想風景か。

結果

浴室のくもり硝子の隙間から月の光は、廃墟の蔦へ
『 隙 』 やどかり #うたの日 #tanka http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=3190f&id=24

うたの日

♪一つ。今日は葛原妙子風だったから、あまり受けないかったな。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?