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シン・短歌レッスン174
塚本邦雄
尾崎まゆみ『レダの靴を履いて』から。
いたみもて世界の外に 佇つわれと紅き逆睫毛 の曼珠沙華 塚本邦雄
塚本邦雄は花と眼を題材にしたものが多いという。花が観る世界ということ。曼珠沙華という言葉には法華経に「梵語で、赤くやわらかな天界の花 みるものの心を柔軟にする」という意味があるという。「いたみ」は「痛み」「痛み」「悼み」といろいろ考えられる。また坪野哲久の歌も想起されるという。
曼珠沙華のするどき 象夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべし 坪野哲久
海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も 塚本邦雄
戦艦大和かと思ったら大和は航空母艦ではなかった。赤城、加賀、飛龍、 蒼龍がミッドウェイ海戦で沈没したとのこと。句跨りで「あらむ。航空 母艦も火夫も」で切れる。「腰折れ歌」という塚本邦雄の句跨りのテクニック。
乾葡萄のむせるにほひいらいらと少年は背より抱きしめられぬ 塚本邦雄
匂いの効用。塚本邦雄は少年とか少女が好きなんだな。
夕映の 圓塔からあとつけて来た少女見うしなふ環状路 塚本邦雄
眼を洗ひいくたびか洗ひ視る葦のもの想ふこともなき茎太き 塚本邦雄
塚本邦雄は眼の作家なのか?ただ視ることだけに徹して、考えることがないというパスカル『パンセ』の本歌取り。
くりかえし翔べぬ天使に読みきかす───白葡萄醒酸製法秘傅 塚本邦雄
これもトリッキーな句である。「白葡萄醒酸製法秘傅」読めん。「醒酸」は「せいさん」だろうか?漢字の組み合わせで短歌を読むのは塚本邦雄の得意な秘伝だそうだ。
式子内親王
馬場あき子『式子内親王』。当時「式子内親王」について書く人は誰もいなかったという。塚本邦雄が興味を示し、応援してくれたという。塚本邦雄も式子内親王が新古今の中で女性の中では一番の歌い手だとか。馬場あき子が興味を持ったのは能からだった。「定家葛」という演目で定家と式子内親王が擬似的に恋愛していたのではないかということなのだ。いまはそれは単に題詠的なことに過ぎないということなのだが、疑似恋愛的に相聞歌とか詠んでいたかもしれないと思わせる評論だ。
八重匂ふ軒端の桜うつろひぬ風よりさきにとふ人もがな 式子内親王
(返し)
つらきかなうつろふまでに八重桜とへもいはで過ぎぐるこころは 惟明親王
今桜咲きぬと見えて薄曇り春に霞める世のけしきかな 式子内親王
夢の内も移ろふ花に風ふけばしづ心なき春のうたたね
花は散りてその色となく詠むればむなしき空に春雨ぞふる
ながむれば思ひやるべきかたぞなき春のかぎりの夕暮の空 式子内親王
式子内親王は二十代の若い頃から桜の憂鬱性を詠っているのだが、歳を重ねるほどにその思いは深くなっていく。それは一時的な青春回願の歌ではなく、そこに時代の深い苦悩があるのだ。父後白河の領地を受け継いで春霞の桜を詠んだのだ。そうした花を視る非力者の哀しみがあるという。桜は貴族制度の中で詠まれてきた歌である。
帰るかり過ぎぬる空に雲消えていかにながめむ春の行くかた 式子内親王
四十代の行く末を眺める姿がここにある。
春くれば心もとけて泡雪のあはれふり行く身を知らぬかな 式子内親王
誰も見よ吉野の山の峰つづき雪ぞ桜よ花ぞ白雲
晩年の歌にはそこに父後白河の栄光を止めようとする華麗な詠みぶりもしめしている。
NHK短歌
光る愛の歌 テーマ「恋」
俵万智さんが選者の大河「光る君へ」とのコラボ。今回のテーマは「恋」。恋多き女性、和泉式部こと“あかね”を演じる泉里香さんがゲスト。司会はヒコロヒーさん。
「恋」のテーマということで俵万智が爛々だったな。凄い自作も公開していた。
「どうだった? 私のいない人生は」聞けず飲み干すミントなんちゃら 俵万智
実話なんだそうだ。ヒコロヒーも眠そうだったが俵万智に引きずられていたな。ヒコロヒーの小説から短歌。
何と言っても『光る君へ』の和泉式部役の泉里香がゲスト。『光る君へ』ではオーバー演技のようにも感じるが実際に可愛い。ちょっとファンになってしまうかもしれない。
黒髪の乱れも知らずうちふせば まづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部
下の句の「まず」というのがポイントで、そこにぐっと感情が入り込む。こういう歌は与謝野晶子でやったな。
くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる 与謝野晶子
憂きことも 恋しきことも秋の夜の 月には見ゆる心地こそすれ 和泉式部
式子内親王と比べるといけいけ娘か?とも思う。