松本清張が出来るまで
『半生の記』松本清張 (新潮文庫)
図書館本(単行本だった)。松本清張が作家になるまでの自伝的エッセイ。職工時代の苦労は、のちの底辺を生きる人々に対する視線となって生かされたのだと思う。
家が貧しく学びたくても上の学校に通えなかった。当時はそれが当たり前としてあったのだろう。みなが大学に行くのは戦後70年頃だろう?それ以前は学校に行きたくとも行けなかったというのは昭和一桁の両親からよく聞いた話だった。
そして、それは本家と分家という日本の家父長制のシステムでもあったようで、本家の息子たちが上の学校に行っているのをうらめしそうに見ているだけだったという。それでも知識欲を満たすために本屋の立ち読みで本を読んだとか貸し本屋で本を借りたとかの書物に対しての飢餓感が、のちに膨大な資料を読み漁って歴史考察するという姿になったのだ。そこには権威者(大学教授)などの反発もあったのだろう。
そうした苦難は、朝日新聞という組織の中の一地方の準社員(今で言うハケン)であった下積み時代が様々な反権力的な作品を書かせたのだ。フリーの職工として独学で学ばなければ生活できなかったという。なにより戦時中は仕事も減り、むしろ軍隊生活の方が平等性があったという。またすでに敗戦が濃厚で高齢者なので激戦地には送られなかったという。その中で軍隊生活でも上官との格差を嫌というほど知ることになった。
戦後も職工だけでは食べて行けず、箒の下ろしなどをしていたという。それで地方へ箒を売りに行く(箒を仕入れるのは四国だったとか)ので京都や大阪という土地廻りが後の鉄道小説にも役立っているのだろうか?見知らぬ土地へ時刻表を調べて、また帰りは箒のセールスで無駄話をしながら、何時何分の電車に乗れば小倉に帰れるかなと思っていたのかもしれない。
今でこそ時刻表アプリがあれば面倒な時刻表を読まなくてもいいが『点と線』はそんな時刻表の盲点を突いた鉄道推理小説だった。
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箒を作るための針金不足だったとか戦後の物不足も描いていた。さらに広島での被爆した針金の脆さとか、今読むとちょっと怖い感じもする(放射能に汚染された針金だった)。
そして両親の愛情と。この部分が松本清張の推理小説でも人情的な部分(刑事とか)を育んできたと思える。両親はお互いに喧嘩が絶えない家庭であったが、それも貧しさ故という社会に対する批評眼を持てたのだと思う。後の社会派ミステリー作家と成功する糧が伺える手記であった。