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動物化する人間、向田邦子は雄化してないか?
『思い出トランプ』 (新潮文庫)
累計200万部! 1980年上期、直木賞受賞作を含む13編。
何と超異例! 「小説新潮」連載中に直木賞受賞となった連作小説。
浮気の相手であった部下の結婚式に、妻と出席する男。おきゃんで、かわうそのような残忍さを持つ人妻。毒牙を心に抱くエリートサラリーマン。やむを得ない事故で、子どもの指を切ってしまった母親など――日常生活の中で、誰もがひとつやふたつは持っている弱さや、狡さ、後ろめたさを、人間の愛しさとして捉えた13編。直木賞受賞作「花の名前」「犬小屋」「かわうそ」を収録。
年末から正月にかけてのNHKラジオ「朗読」での特別番組で聴きました。朗読は自分で読まないで聞くだけなので楽な面もあるが、集中できないと途端に話が見えなくなってしまう。それで繰り返し聞いたのも何話かあります。
向田邦子のネガティブさは、人間の闇の部分を晒すことで、それがホラーやミステリーのようにも読めるのだが全体的に神経症的で、ちょっと自分には合わなかった。どの話も獣性(動物化)ということが絡んでくる話で文明化された人間の中に潜む獣性の話です。手っ取り早く言えば家庭の主婦が澄ましていても雌性が出てくるとか男の場合は雄性ですね。
それが戦後日本の貧しさからの欲望の現れで、高度成長期時代はそういう男社会だった。ある意味そういう社会のあり方を分析的に捉えているのですが、極端な雌化嫌い(それは水商売の女性への嫌悪感に現れる)が同時に読んだ樋口一葉との違いを際立たせて、結局は向田邦子の生活環境は父親を理解することで家父長制を存続させたのではないか、と思ってしまう。
それは『寺内貫太郎一家』の暴力を懐かしさの中で肯定してしまうのは、豊かな大家族の中の恵まれた環境だったと言わざる得ない。向田邦子のファザコンが出ている。今ある貧困家庭のDV問題を考えると男性化している向田邦子に我慢出来ない。
かわうそ
カワウソが取った獲物を並べることを獺祭という。その言葉の意味から猛烈サラリーマンと妻の関係を定年後間近で病に伏した夫の視線から描く。これは専業主婦を「カワウソ」に見立てた短編。愛人が出来て色気に目覚めた主婦が、それまで一緒にいた夫を捨てるのだ。
捨てるというより、夫の方も退院後中年看護婦との情事になるのだからお互い様である家庭の不和を描くのである。この夫からの妻への視線に、向田邦子のファザコン的感情と主婦に甘んじて恋愛にうつつを抜かす女の非難の視線が見て取れるような気がする。いや動物じみているのか。雌の感情。
だらだら坂
これは男が鼠だった。『思い出トランプ』は動物化というのが一つテーマとしてあるようだ。けれどこれは男が鼠化してもわかりにくい。都合のいい女の話なのだ。太って美人ではないが癒やしを与えるような女。その女は入社試験で最低の成績で入ってきたのを鼠男が囲うのである。
それだけでも最低男だが、都合のいい女の褒め方が身体的特徴をけなして褒めて見下すモラハラ男だった。そして、女が隣のバーのマダムと友だちになり整形するのだが、それを非難する。目を二重にするのは今ではそれほどの整形でもないのだが、この時分は大事だった。やがてそれが口になり鼻になり、バーのマダムのようにどこにでもいる女になると非難する。
今ではアウトだよな。バーのマダムを下に見ている。そういうキャリア・ウーマン的なものが向田邦子にはある。雌化する女を許せない。それでいて男の隷属化を肯定する。
はめ殺し窓
NHKラジオ「朗読」も、正月からこんな刺激的な朗読をするとは。この短編も凄い。雌化する妻を隠すために夫が窓を塞ぐというタイトル。逆なのか、上半身裸の学生を見せないために塞いだのだ。ブランコの描写が『お葬式』の鐘ぼ~ん、ぼ~んのようでエロい。妻の雌化は許さないが夫の雄化は肯定する。
三枚肉
秘書と関係を持つサラリーマンの話。秘書の顔に関するモラハラ。雛人形の三人官女のようなというと褒め言葉か?その秘書が結婚して、それに平然と出席する上司である。それが淡々と流れていく。友人が来て三枚肉を食事する。妻も雌化している?
マンハッタン
マンハッタンというバーが新築されるのを期待する無職の男。離婚調停中なのだが、元妻は歯医者。最新の設備を備えた歯医者の男に寝取られる。ハツカネズミが車の遊具で駆け回るように、「マンハッタン、マンハッタン」と歌う毎日がCMみたいな感じだが、徐々にスローダウンしていく話。けっこう好きかもしれない。こういうところは上手い。
犬小屋
犬化した寿司屋の男。動物化がテーマなのは、獣性ということなのだろう。再会シーンで、夫も子供もいなかったら声をかけていたというのはセックスを期待してなのか?よくわからん。
男眉
眉が繋がっているのを男眉と言って、盗人とか結婚できない女とか負のイメージ。逆にお地蔵様のような笑っている眉毛は地蔵眉と言って一般的には歓迎される。
そう祖母から言い伝えられて育った男眉の女性の語りで、地蔵眉の妹と比較対象して、地蔵眉の妹をネガティブに捉える短編。姉妹でライバル心というか性格や容姿の違いをネガティブに捉えてそこにこだわることはよくあることかもしれない。それは回りが一方を褒めそやしたり貶めたりするので、自然とそういう感情が生まれてくるのだ。本人のコンプレックスの裏返し。
容姿のまつわる話は、引いてしまう。地蔵眉が憎ければ袈裟まで憎いというような。
大根の月
最近、なんでも鬼に見えてしまう「鬼滅の刃」症候群にかかっている。ここにもあそこにも鬼がいる。鬼嫁と台所を守ろうとするお館様の話。鬼よりではあるのだが、なんだろうこのもやもや感は。成仏しないんだよな。「大根の月」とは桂剥きで薄く出来ないで半切りになった状態を言う。
祖母に鍛えられた鬼嫁が、姑のイジメに合う話。姑は保険の外交員だったので、出来合いのもので済ませ、めったに包丁を使わない。包丁を研ぎもしない。それが今の一般の家庭だと思うのだが、祖母に鍛えられた鬼嫁は毎日(3日おきに)十円を包丁の下にして砥石で研ぐ。そしてお正月のハムを薄切りにしていたところに息子が手を出しつまみ食い。
そのとき息子の指を切ってしまうのだ。それから流産して、姑に台所を占領されて文化包丁になった。描き方は上手いんだけどジメジメ感が残る。その後に離婚するのだが、息子に対する母親の気持ちなのか?ちょっと怖い話。
先日観た映画『ロスト・ドーター』に共通しているのは母親失格ということ。映画では母親が修道院女みたいでそれから逃げて学位を取って自立しようとしたのだが、娘二人を母に人質に取られていた。
りんごの皮
時子という中年女性の語り。愛人といるところを弟がやってくる。「入場券」の話を医者である愛人としているところを聞かれたのか?で始まる。ベッドでするようなエロ話だった。
時子はカツラを着用しており、それが入場券になるのだ。美人を装うこと。プライドの高い人生を送っている。
戦後両親が広い家を買った。その留守番を弟と二人ですることになる。浮浪者が勝手に入り込んで焚き火をするからと父に言われた。駄々広い部屋の中で弟二人、電気も暖房もなく震えていた。そこに男が二人やってきて、前の持ち主だから開けろと。仕方なく弟が開けて、刀を持ち出す。闇屋だった。弟にりんご2つを投げる。
そのりんごを食べた時の感触、恐怖感、男たちに臭い(弟も含めて)、男たちは女がいることを知りながらりんごをくれたのだ。弟との共犯関係か?
そして弟が借金を申しでるが、断る。姉とは別の道に進んだ弟の家に行くと家族4人分の魚を焼く臭い。それは姉が入り込む余地がない家だった。
部屋に戻り、りんごの皮を剥く。切れないように長く。それを口にくわえて窓を明ける。月が輝いている。白い剥いたばかりのりんごを投げつける。獣性。この描写をしたいが為の短編だった。かつらが浮いているお化けのような女。これはホラーだ。
酸っぱい家族
飼い猫がオウムをくわえてきてその処理の仕方に、夫のサラリーマンが責任を取らされる。狭い庭に埋めるのは気持ち悪い。ゴミ出しには近所に知れたら厄介だ。それで大手出版社に勤める夫が外に持ち出し、どこに捨てるか思案する。
さっさと庭に埋めてくればいいのにと思う。さもなければゴミ出し。持ち歩くサラリーマンの心情がわからない。どっちつかずの性格らしい。その話の展開で、思い出したの話が「酸っぱい家族」のする臭い。これはけっこう酷い話だった。
大手出版社に勤める以前の小さな出版社で使っていた写真屋との関係。企業間では、こういうずぶずぶの関係というものがあるのか?賄賂まがいの金を受け取って仕事を回す。そのうちそれが娘になった。貧困の構造なのか?戦後にはそういうことも有りえたのかもしれない。サッチモの「素晴らしい世界」より「テネシー・ワルツ」なのだ。
たぶん進駐軍の中で歌う江利チエミの「テネシー・ワルツ」なのだろう。捧げものとしての「テネシー・ワルツ」。戦後のこういう話は、リアリティがある。
耳
父親が神経症的(ヒステリー)になる短編。獣性化の一つ。もともと神経質なサラリーマンだったがその背後に母親の厳格な躾(理由なき怒り)があった。
弟が中耳炎になって、片方の耳が難聴になる。それから耳に関することで叱られることが多くなる。弟は身体的欠損によるハンデによって兄の道を辿る事ができずに踏み外した。その弟への上から目線と家族に対する上から目線。
家族が留守にあら捜しをしてしまう。娘の部屋を詮索するときにピアスの針を踏む。
天眼鏡で家の細かい所を観察するうちに、細部ばかり気になり回りが見えなくなる。それを虫除け(楠という名前だった)と思うのだが、かえって虫を見出す。神経症の症状を言いあわわしている。
息子の部屋からエロ本を見つける。娘の部屋を詮索しピアスをする娘を問い詰める。これは今では問題行動だが、父権性の家では父の権限だけがルールなのだ。父親が化け物になる家庭内ホラー。
花の名前
花の名前を知らない夫が妻を華道に通わせ、その生花の名前をメモしていたが、中年になってバーのマダムから電話があり、それが花の名前だった。
ほとんど気持ち悪い小説だと思うのは、喧嘩した後のセックスとか、浮気女を卑下して、頭のいい女の対立軸に馬鹿な女の構図がある。なんかこれほど水商売の女を嫌う理由ってなんだろうと考えてしまう。たぶん接待でそういう女と対峙しなければならず、その方面で男の上司を挟んでの接待術とかあったのかもしれない。向田邦子の水商売女嫌いは異様な感じだ。
ダウト
父の死。父の吐く吐息の獣性じみた生臭さ。それは悪なのだがそれを肯定しないと生きていけない。生きていけないことはないのだ。豊かな幸せを得られない。だから嘘がある世界。癒着とか他人を引きずり下ろすとか。
大企業にありがちな自己肯定の倫理性なき論理。それでも怯えている。その対立軸に親戚を爪弾きされた従兄弟がいる。自由気ままな男が許せないと思いながらも自身の不正を見てしまった男。不正=父性ということか?
これもよくわからん。