シン・短歌レッス75
小野小町の和歌
この歌も『古今集』の「恋三」なのだが、七夕の歌だという。小野小町は情景の写生があまりないというか、それまでは夢の歌だからと思っていたが、この歌もそうだった。「秋夜長」を「秋の夜の名のみなりけり」というのは『万葉集』からの類歌だという。
上の歌は相聞になっている。
相聞で詠み人知らずなので民謡的な歌なのだろうが、小町は相手がいたわけでもなく、恋を妄想していたのである。同じような「秋夜長」の歌は『万葉集』にも数多くある。『万葉集有』ではないが、『百人一首』で有名な人麻呂の歌も「秋夜長」の歌である。
『万葉集』の歌は、漢詩『芸文類聚』の七夕の項にある牽牛と織姫の歌だという。
「名のみなりけり」は業平の「都鳥」の歌にも見られるように、小町の妄想は文学的でさえあるのだ。
それが『新古今』になると小野小町は古歌のアイドルとしてもてはやされ、凡河内躬恒などがその返歌というような歌を詠んでいることから、アイドル歌人としての小町の力量がわかるというものだ。
平成歌合
今日の「平成歌合」は女性歌人五番勝負から。当然小町も出てくるだろう。
正比古の歌の本歌は
江戸時代の歌人の歌だった。どこからこんな歌を見つけてくるのだろう?
これは右の方は小町らしさがあるが上手いから正比古だろう。左は写生というか絵のような写生の『古今集』か?当たり。左は伊勢だった。伊勢も三十六歌仙の一人だった。女性歌人としては、小町、伊勢、和泉式部あたりかな。
詞書に源実(さねみ)との別れの場面での歌らしい。源実がわからんが、小町ではないな。左は素直な歌だ。右は達観しているので正比古だろう。当たり。左は白女(しろめ)だと。どういう人だ?白拍子の人なのか?
夢対決だからどっちかが小野小町なんだが、最初の方だな。右は複雑すぎる。小町は単純な歌の中に複雑さがあるんだよな。当たり。まあこれはやったから当然か。
「時雨」対決だけど「恋五」だから恋の終わりだった。左の方が直後という感じで、右は回想という感じか?左の方が素直なんで『古今集』かな。当たりだけどこれも小野小町だった。まだ「恋五」まではやってなかった。
この小町の歌は贈答歌で小野貞樹に宛てたもので、「今はとて」の裏に「秋はつ」という言葉が隠されているという。
「秋」に「厭き」を掛けているのは小町から始まったという。「はて」は果ての意味で「死ぬ・終わる」。仏教で言う「厭離」だという。これは女体に溺れる男が欲望から遠ざかるの意味で、小野貞樹に取っては痛い言葉というわけだった。その小野貞樹の返歌。
右はなんとなく記憶にあるような感じがする。野火の燃えるのを見て恋五だから、もえつきて「末黒(すぐろ)」っていうのも女子が使うかな?左正比古、右古今集。当たり。右は伊勢だった。この回は全勝。小野小町はやっている時だったからな。続いて春歌十番やるか?
春上対決。新年か?上句はほぼ同じで下句が違う。左は対位法だが、現代人ぽい。右の佐保姫が古今集だろう。外れた。佐保姫とか出してくるとは、正比古は侮れない。左は正岡子規が「歌よみに与ふる書」で批判した歌だった。あまり上手いとは思わないよな。在原元方だった。洒落みたいなものだと。よくわからんが。
先程と同じで上の句は同じで下の句が違う。これは複雑な方が正比古なんだよな。左が古今集で右が正比古。当たり。左はやったかもしれない。文屋康秀は六歌仙だった。でも『古今集』では人気がなく4首しか取られていない(その内2首は息子疑惑。)。爺さんだからか?たまたまこの歌が爺さんだからと言って他も爺さんではあるまい。
右は情景の見事さで左は音楽的なイメージか?産声はちょっと今ぽい感じがする。左正比古、右古今集。当たり。源当純は古今集に一首のみだがストラヴィンスキーが曲を付けていると。
右は左を複雑にしたような感じだ。わざわざ少女子というのは野暮な気がする。若菜で暗示しているのではないのか?左古今集、右正比古。当たり。左は少女子の歌だそうだ。右はその少女を待ち構えている若者の歌だという。
「佐保姫」は前に正比古は詠んでいるから二回詠むことはあるまい。左古今集、右正比古。違った。またもや正比古だった。佐保姫がそんなに好きなのか?「佐保姫」は春の女神。右も春の女神の衣が風に揺れているのを詠んでいるという。在原行平だった。
柳対決。右のほうが観念的だ。新古今集風ではあるんだけど、古今集の時代は写生に徹したと考え左は古今集、右は正比古。違った。右は僧正遍昭。白玉に囚われたがこっちも写生だった。僧正遍昭は上手いな。六歌仙の一人だった。
その僧正遍昭に贈った歌対決。情緒があるのは右だから古今集か。左はアイロニーの歌だから正比古。これまた違った。左は惟喬親王だった。この人は要注意人物なのだ。
桜対決。左は擬人法か右は写生だ。写生を古今集とたいのだが今まで外しているからな。左が古今集右が正比古。当たりだけど根拠がなかった。左は承均(そうく)法師で法師が詠みそうな歌ではあるな。右は「見ながら」「皆ながら」「身ながら」の掛詞。
これも桜対決。左の方が意味を汲み取りやすい。右は恋人を絡ませているから古今集か。左は正比古。違った。左は病気で閉じこもっている女性の歌だという。藤原因香(よるか)朝臣という女官の歌。右はその返歌だという。これは病気だという詞書がないとわからないよな。右が返歌だと分かれば自ずと答えが出るということか?
またも桜対決。左の方がわかりやすい。右は人が死んだのか?左が正比古右が古今集。当たりだが「しなければ」「などいない」というような意味だった。「し」は強調の意味だった。ほとんど全滅に近いな。難しすぎるから、「うたの日」もやる気が失せてしまったではないか?それは言い訳か?
うたの日
「七夕にかける願い」どうせダメ元だから難しい題の方。
「百人一首」は
♪二つのコメント一つ。やっと「百人一首」だと認知されたようだ。
映画短歌
映画短歌は『川っぺりムコリッタ』。
『百人一首』
自分で書きながら意味がつかめん。願いはムコリッタの他は無心みたいな気持ちか?