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胡蝶の夢は光源氏の夢か

『源氏物語 24 胡蝶』(翻訳)与謝野晶子(Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第24帖「胡蝶」。三月。六条院は自然が織りなす美しさに溢れていた。源氏は中国風の船を池へ浮かべて女房たちを乗せた。多くの高官が集まり歌い踊り、夜遅くまで楽しんだ。玉鬘の美しさに心奪われ、求婚する男も多かった。源氏が交際について悉く口を出すので玉鬘は憂鬱だった。とうとう源氏は玉鬘への恋慕の気持ちを打ち明けた。親代わりと思っていたが、やはり本当の父とは違うと悲しくなる玉鬘だった。

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前半のお膳立ては、秋好中宮が『源氏物語 21 乙女』の六条院四季の間が完成して引っ越してきたときに秋の紅葉を籠にいれて和歌を春の間の紫の上に贈ってきた。この歌が、

(秋好中宮)
心から春まつ園はわがやどの紅葉を風にのつてにだに見よ 
(紫の上の返歌)
風に散る紅葉はかろし春の色の岩根の松にかけてこそ見め

『源氏物語 21 乙女』

とミニュチュアの「岩根の松」に結んで贈ろうとしたのだが、光源氏がそれを見て、秋好中宮の和歌を小癪に思えて紫の上にちょっと待て、春になってからその素晴らしさを詠めばいい。今は龍田姫の機嫌を損ねないようにしようという、前提があったのだ。

それで春になってその祝に舟を出し管弦楽や乙女たちの踊りを披露する宴を開催したのである。秋の間とは池を通じて繋がっているという。秋好中宮は秋の間からその催しの音しか聴くことができない。中宮は勝手に出歩けないという理由らしいのだが(中宮は六条御息所の法事だったようだ)。

そして、その法事に紫の上から春の花と和歌が届く。

(紫の上)
花園の胡蝶をさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ
(秋好中宮の返歌)
胡蝶にもさそはれなまし心ありて八重山吹を隔てざりせば

『源氏物語 24 胡蝶』

六条御息所の法事にこんな和歌を捧げたら怨霊が出てきてもおかしくないのだが。それに紫式部も中宮の歌を「いまいち」と言っているのだ。それはお前が書いたのではないのか?と思うのだが、なんかこのごろ紫式部の顔出し(文章だが)が多いのが気になる。メタフィクション的なんだけど、それは紫式部だと強調することによって『源氏物語』が一人の作者から書かれたと読まそうとするのではないかと思うのだ。

とくにここの描写の絢爛さは、後に紫式部がこれ以上書いてははしたないといいながら、十分はしたなく豪華さを演出している。それは光源氏のプライドなのだが、そのへんの実際の描写と語り手の地の文に落差を感じてしまう。

「迦陵頻(かりょうびん)」という舞いが音楽だけ聴こえてきてという。「迦陵頻」という短歌があったのを思い出した。

とほき世のかりょうびんがのわたくし児田螺はぬるきみず戀ひにけり  斎藤茂吉

迦陵頻は仏の鳥で桃源郷に住むような鳥だが、田んぼの田螺と比べているのだ。勿論、田螺の方は斎藤茂吉だろうが面白い短歌だ。

物語は光源氏の思惑とは反対に女性同士はけっこう仲がいいようなのである。前世代はけっこう怨念合戦とかあったのに第二世代はシスター・フッドの時代なのか?

夏の間の玉鬘も紫の上とのやり取りがあるようで夕霧も実の姉だと信じている。しかし、ここで問題が起きてくるのは光源氏が自分の娘のように育てたのが、返って宮廷内の関心を引いて求婚される。頭の中将の息子や光源氏の弟(異母兄弟)など。それでいて本人も玉鬘に女として興味があるのだ(あとで変態行為をするわけだが)。

理想の女に育てる為と言っても男を満足させる女房としてだから、そのへんのギャップが問題化されてくるのだ。

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