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シン・現代詩レッスン59

吉野弘『I was born』

現代詩のアンソロジーを探して、中西進『詩をよむ歓び』を図書館から借りてきた。詩と共に中西進の解説。この詩では、母性の尊さを問うが、それは『万葉集』の研究者らしい詩の読み方なのかもしれない。母性について、考えてみたいのは、今の時代子供を産むことが合理的なことなんだろうか?と思うからだ。非合理なことでも本能として備わっているのかもしれない。その不合理なことを詩は讃歌としてみせる。それは蜉蝣のようだった。

I was born

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

  或る夏の宵、父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらにやっていく。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

吉野弘『I was born』

散文詩か。エッセイのように読ませるが言葉の意味を問う詩になっている。吉野弘が人気なのは純粋さなのだろう。その純粋さもちょっと違うんではないかと思ってしまうのは嫌な大人になったからだろか?

父との散歩とは?あまり経験が無かった。中学生の頃だと反抗期だと思うが、随分と従順なのだと思う。また父と妊婦を見るという気恥ずかしさがあったので英語の話題にしたのかもしれない。理知的な親子像がここにはある。セックスについてはまだ語れないのかもしれない。

「生まれ出ること」について、ここでは赤ん坊のことを言っているが詩を生み出すということも含んでいるような気がする。それがI was bornなのだ。つまりここで詩の秘密について、それは自己本意で生まれないということなのかもしれない。

──I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね──

吉野弘『I was born』

自分の意志ではない詩の言葉。なるほどと思う。どこか父との問答も儒教的に思えてくる(孔子的な父)。

蜉蝣の娘

生まれてこないほうが良かった
娘はそう口走る
説明もなしに母は頬を叩いた

やどかりの詩

──蜉蝣という虫はね生まれてから二・三日で死ぬんだそうだが それなら何のために世に出てくるのかと そんなことが気になった時期があってね── 

吉野弘『I was born』

お前は蜉蝣の娘なんだよ。これから生む機械となって沢山の子供を産んで国家に貢献しなければならない。「産めよ増やせよ」の世界なんだよ。お前の御託なんて蜉蝣のようなもんだ。馬鹿な蜉蝣さ。

やどかりの詩

この論理に騙されるなと思ってしまう。蜉蝣は幼虫時代もあったはずだし、蜉蝣が蜉蝣であるための最終形態を言っているわけで、それは言語上のまやかしで生物学的には意味がないことである。つまり譬え話を人間でしているのだが、この擬人法は正しくはないのだ。父の論理は蜉蝣(これも喩えならば詩ということなのかもしれない)に喩えて別のことを言おうとしている。

──友人にその話をしたら ある日 これが蜉蝣の雌だと言って拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口はまったく退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしりと充満していて ほっそちした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えたるのだった。淋しい 光の粒だったね。

吉野弘『I was born』

この友人の話が実際にあったのかは問わないが、あまりにも人間的な叙情性に則った見方ではないか?先に蜉蝣の寿命は幼虫時代も入れると一年から半年で通常の虫に比べ極端に短いということはないらしい。また昆虫は人間と違い多産の卵を産み落とすのは、その中で二、三匹成虫になれば子孫は残せるからだった。人間とは構造が違うのに強引過ぎるだろう。そこにはある意図が隠されている。

母さんは蜉蝣なの?違うでしょ。その喩えは間違っている。蜉蝣だって、幼虫時代はあったんだよ。真っ暗な世界で翔び立つことを夢見ていたんだ。まさか産む機械となるとは思わないで、天下に自由に翔び立ってやりたいことを夢見ていたはずなんだ。母さんはこの狭い現実しかみえないから蜉蝣のようだなんて言うけど、蜉蝣の夢を考えたことはある?無数の可能性としての夢があったんだよ。それがわたしの生きるということ。母さんのようにならない人生を送ること。

やどかりの詩

〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を産み落としてすぐに死なれたのは──。

吉野弘『I was born』

父の最後の言葉を持ってくるための喩え話だった。でもお前の母は、蜉蝣なのか?あまりにも強引に結びつける父の論理だと思う。

そんなことあってから間もなくことだった。母は死んだんだよ。わたしの代わりに。そしてお前を産んだのさ。これも母さんの意志だろうかね。

やどかりの詩


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