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「鼻がないのは」われわれであった。

『笑いの方法 あるいはニコライ・ゴーゴリ』 後藤明生(電子書籍コレクション)

学史の教科書では「内向の世代」と分類される作家・後藤明生。その作品は常に「笑い」を携え、私小説的色合いをもかもしつつ、常にフィクションのようなノンフィクションのような、生真面目と不真面目を自在に行き来するような、とぼけた、それなのに深い、という独特の世界を構築しています。没後14年、長らく待たれていた選集の刊行がついに、キンドルで実現しました。代表作をはじめとして、まさに後藤本人の人生をたどるような味わい深い中短編、更には未刊行の作品もまじえ、生前からのファンはもちろん、新たな読者にもきっと満足していただけることと自負しております。今回の企画は後藤明生の実子である長女・元子が独立レーベルを立ち上げて実現したという経緯もまた、エポックメイキングであることと感じています。

◉なぜ悲劇は喜劇となるのか?
「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出て来た」とドストエフスキーは語った。そのゴーゴリの〈笑い〉を方法論的に解説し、現代文学の問題として捉え直す――。著者が19歳のときに出会い、20年以上も拘泥し、翻弄され、格闘しつづけてきた、帝政ロシア時代の小説家・劇作家の迷宮的作品世界を、新たな文脈で解き明かそうと試みたエッセイ風の作家論。1982年、中央公論社より刊行。同年、第1回・池田健太郎賞受賞。

マルクス主義的批評家ベリンスキーは『鼻』の八等官コワーリョフはロシアのどこにもいる人物で、彼の俗物性への諷刺劇(社会的な批判)とした。しかし後藤は笑いは「何故?」(喜劇の本質は原因)ではなく「何故」だかわからないから滑稽なのだという。

鼻が無いロダンの「考える人」は笑える。あるいは、「モナリザ」の鼻がなくなったら?

『外套』のアカーキイは現実レベルにおいてはメロドラマ的な悲劇である。ゴーゴリはそこからとんでもなく滑稽なものを作り上げた。それは題材それ自体にあるのではなく、作り方「語り」の方法そのものにある。「語り」こそが平凡な素材(悲劇)を、喜劇にしている。

「「日常」そのものが、グロテスクであり、迷路であり、両目を開いたまま見ている悪夢であり、ワンダーランド(不思議の国)なのだということなのである。」 

「カフカは夢と現実とを溶解させる錬金術に初めて成功した人だと思います」

後藤明生はクンデラのその意見にもほぼ全面的に賛成した。ただ、一つだけ異議を申し立てるなら、「初めて」という部分、このカフカについての言葉は、そっくりそのまま、ゴーゴリに当てはまると。

後藤明生は読書によって教養や知識を得るとかではなくて、文学作品のなかをパロディ、現実世界を異化させていく文学世界として生き続ける、そのために、また自分も作品を書いている、連作のように、と。それはセルバンテス→ゴーゴリ→カフカ→後藤明生と繋がれていく文学それが文学だ、と。

(2015.3.15)


第一章:墓碑銘

後藤明生がソ連作家同盟の招待でソ連旅行の折にゴーゴリの墓参りをする。そこに聖書から引用された立派な墓碑銘(ゴーゴリがくしゃみをするだろうと後藤明生は書く)と誰が添えたのかわからい印象的な墓碑銘にはこう書かれいた(勿論それはロシア語だが、ここでは後藤明生の翻訳を載せておく)

「わたしの苦い言葉を人々は笑うだろう」

これ以上ないゴーゴリの文学観を示しているという。

笑うものは笑われる。笑うことは笑われることだ、とわたしは思った。それがゴーゴリの笑い地獄なのだ

カフカが書いた「生の恥辱」とゴーゴリの笑いとが、同じものであったことを、わたしはその十二年間で知ったのである。

第二章:笑いの方法

『鼻』八等官コワーリョフの鼻が突然消えて、床屋の言わん・ヤーコヴレヴィッチの元に出現する。何故と問うよりも原因不明のまま物語は前に進んでいく。

後藤明生が考える喜劇は何故だからわからないから、喜劇になる。ゴーゴリは人間そのものを喜劇として描いた。つまり現実そのものが謎なのである。

「鼻」の舞台の正確さ。ペテルブルクの「ネフスキー大通り」周辺(『ネフスキー大通り』という小説も書いていた)。ソ連革命時代には「十月二十四日大通り」とかえらた。そして、現在は元の名前に戻したようである。まさに、ゴーゴリ『鼻』そのもののストーリ(ストリートだけど)だ。ゴーゴリが散歩していた通りは「ゴーゴリ通り」に変えられているという皮肉。

ペデルブルクという都市がある日突然首都になったり首都でなくなったり、名前を変えられたりしているのだった。ペデルブルクという都市の物語でもある。

素材の変形。『外套』。ロシアの寒さは外套なしでは済まされない。外套は、極寒の地ロシアでは人間そのものになっていく。その外套を奪われたアカーキーは、けっして誇張されたものではなく、人間性を奪われてしまったのだ。そして幽霊となっていく。

『外套』の基本ストーリーは喜劇的なものではない。むしろ素材は悲劇的なストーリーだった。それをゴーゴリは語り(文体)によって喜劇に変えた。

ゴーゴリが題材を求めてプシーキンに手紙を出したのは有名な話で、題材さえあればゴーゴリはそれを喜劇仕立てにすることが出来た。実話ならでは、その中に滑稽なもの(喜劇性)を見出すことができた。

ゴーゴリは純ロシア的な題材があれば、そこに必ず喜劇的な世界が発見できると考えていた。これは文学の本質的な話だと後藤明生はいう。

これはロシア・フォルマリズの考えに近い。

関係のグロテスク。ゴーゴリの喜劇は人間関係のグロテスクさを描いて笑いにする。それはベリンスキー(ソ連の革命思想を元を作った文芸評論家)の手紙によって、それまでゴーゴリの文学を支持してくれたのに、イデオロギーによってゴーゴリは批判される。かつてのゴーゴリはどこへ行ったのかと。

ゴーゴリの笑いのリアリズムは、イデオロギーの笑いにあるのではなく、現実そのものだった。そして、ゴーゴリも文学を奪われて死んでいくのである。それが『外套』である。

そしてドストエフスキーは言った。

われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から出てきた!

夢のリアリズム

ほとんどカフカ『変身』についてだった。そしてゴーゴリとの共通性から、後藤明生が『外套』から『挟み撃ち』を書くに至る。その過程にあるのが本書である。

ゴーゴリの戯曲『芝居のはね』は七年前に書かれた戯曲『検察官』の非難に対する解答であった。ゴーゴリは批評に対する反論を政治的にすぐには出来なかった。それで再び戯曲『芝居のはね』でお返しした。

それはゴーゴリが文学の中で自己内対話するからである。問題を解答としてよりも問題として文学で提示するのだ。その中にロシア的人間とは?というゴーゴリが書き続けて来た文学の問いがある。

ベリンスキーは批評家としてゴーゴリを支持していた。それはゴーゴリの笑いを諷刺劇(社会的な批判)として彼のイデオローグの中で読んでいた。勿論それは批評としては正しいかもしれないが、ゴーゴリの作品からゴーゴリの政治性を断定するものだった。

最初からゴーゴリは笑いこそが我がロシアの中にある人間性だと感じていた。滑稽な姿は、そのまま彼にも当てはまるしロシアの民衆にも当てはまる。それは階級闘争のドグマではないのだ。

ソ連がスターリン主義になり、批評家たちが一斉に御用学者になった。その批判から生まれたのがロシア・フォルマリズの構造主義批評だ。後藤明生は、その思想を評価する。

ゴーゴリの中のキリスト教的なものへの信仰心は、それはある部分ロシアの闇の部分ではあるが、避けられない必要悪としてあるリアリティだった。

日本のロシア(ソ連)文学理解もスターリン主義的なものから逃れられずそんなところからゴーゴリ理解が始まっていた。また小林秀雄『ドストエフスキーの生活』でベリンスキーの手紙に触れて、作家であるゴーゴリと批評家であるベリンスキーの見解の違いについて、ベリンスキーのゴーゴリ理解の足りなさも指摘するが、ゴーゴリも歩み寄りがなかったする。

後藤明生はそんな小林秀雄の批評は違うのだという。最初からベリンスキーは自身のイデオロギーによって解釈していたし、ゴーゴリは何も変わっていなかった。歩み寄ることも出来ないのだ。政治的に無知だったということもあろう(苦手で考えないようにしていた)。「人に語れない思想」というもの、文学がなによりゴーゴリの表現方法であったのである。

小林秀雄のゴーゴリに対する分析的な批評は、後藤明生のゴーゴリにはなんら必要がないことであった。それは小林秀雄がゴーゴリを批評の中に閉じ込めようとしているのに対して後藤明生は開かれた文学(小説)として、ゴーゴリの笑いを自己の問題とするからだ。


第三章:ペテルブルグの迷路、第四章:さまよえるロシア人

このあたりからエッセイ的に語らる文学についてはゴーゴリの回りをぐるぐる巡るエッセイ的考察で、それまでの繰り返しが多い。そしてゴーゴリも批評に対してぐるぐる回り続けた人であったということ。その喜劇性を「笑い地獄」と名付けた。「蟻地獄」のようにその罠にハマった人は逃れることは出来ないのだ。

ゴーゴリの「笑い地獄」のペテルブルグからカフカのプラハの「迷宮」へ。後藤明生は書いてはいないが、それがペテルブルグの幻想と繋がっていくような気がする。西欧化に対する憧れと土着のロシア人の対立。日本の文明開化の頃と同じ混乱を持っていたのだ。

例えば江戸→東京への混乱。永井荷風や泉鏡花の懐古(浅草界隈)趣味とモダニズムが闊歩した銀座とプロレタリア運動の混乱は『東京詩集2』の詩人たちに伺われる。特に萩原朔太郎に注目する。

第五章:方法としての喜劇

大江健三郎『小説の方法』ロシア・フォルマリズムや構造主義について、大江健三郎が学んだこと。シンクロスキー「異化」、トドロフ「文体論」、バシュラール「想像力論」「トリックスター論」、バフチン「グロテスク・リアリズム」

バフチン「笑うー笑われる」の関係は後藤明生が注目してゴーゴリの「笑い地獄」だいう。『鼻』の八等官は、「鼻なし道化」であった。想像できない事件が起きると、それを理解できないまま物語が進んでいく(喜劇の方法)。

ゴーゴリの現実に起きたこと。ベリンスキー事件(イデオロギー批評)での評価の転落。ゴーゴリは作家生命を絶たれた。あるいは『検察官』の酷評。

例えば安全だと言われていた原発が爆発する。それを信じようとしない官僚たち。そして、日本人。アメリカのニュースで知ることになる。それでも信じない人たち。

この日本の政治状況は、統一教会事件でも明らかにされる。もはや我々は何を信じたらいいのか。次々に打ち消されることによって「鼻なし八等官」と同じ憂き目に出会っている。
ゴーゴリ『鼻』の現代的意味は我々には無関係ではあり得ない。

「鼻なし八等官」を白痴や病人扱いする世論(批評)。そうして彼は消されていく(日本の官僚でも自殺した人がいたが、まさに彼は「鼻なし八等官」だったのだ)。

「私小説」の可能性。太宰や安吾は「道化」になった。しかし彼らの道化は小説のための「道化」ではなかった。私小説の破滅型と批評された。同時代の批評性の不在で彼らを理解する人が少なかった。しかし、作家の中に彼らの「道化」方法が役立って行くのだ。例えば太宰治→高橋源一郎。それはゴーゴリからドストエフスキーに開かれていく文学なのだ。

ドストエフスキーが描くおかしな人間の夢は、悲劇ではなく喜劇であるのだ。ゴーゴリ『外套』から出てきた万年九等官のように。それは彼に取って「生の恥辱」そのものであった。

話があっちこっち飛びながら(実際は後藤明生の方法論の地図なのだ)、大江健三郎『小説の方法』への共感。

大江健三郎の「鼻なし八等官」は、トルストイ『戦争と平和』のピエール、大岡昇平『野火』の主人公である。彼らは我々の常識を「異化」し続ける。異化は解決は出来ない問題提起型文学なのだ。

後藤明生の異化問題。朝鮮引き上げ者としての不条理感。それは消費される物語としてお涙頂戴のドラマにしたくない。
カフカの「グロテスク・ファンタスティック」はどんな人にも起こり得ることなのだ。その答えのない文学の迷路であり、笑いは例えばセルバンテスの「ドン・キホーテ」の異化の方法であった。前世代には英雄だった人が白痴扱いされる。

後藤明生は『小説の方法』を通して大江健三郎と対話する。

噂の中の「口裂け女」。これは喜劇なのか?「口裂け女」の構造は泉鏡花の小説の中にある幽霊たち。現在の我々はマスクで口を隠されいるのだ。その中に「口裂け女」がいてもおかしくない。いや、マスクを外して「わたしはキレイ」と追いかけてきたら、われわれはそれが口裂け女でなくとも逃げ出すだろう。

例えば赤ちゃんにすぐさわるオバサンがいるから、そいうのを注意したいバッチが欲しいとTweetで流れてくる。オバサンには悪意などあろうはずはないのだが、ウィルスがいるかもしれない魔女なのだ。前世紀の常識が通用しなくなっている現実。







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