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目をつむりていても吾を統ぶ五月の鷹

『寺山修司の俳句入門』 (光文社文庫)

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹―寺山修司の出発点は俳句である。高校時代より、後の広汎な表現活動の萌芽を感じさせる完成度の高い作品を作った。本書は、単行本初収録作品を含む寺山の俳句についての「文章」「発言」を網羅したはじめての画期的な試みである。寺山ファン、俳句愛好者のみならず、これから俳句をはじめようとしている方にも絶好のもの。

第一章 俳句とは何か

寺山修司の俳句には嫉妬する。それは還暦から俳句を作り始めた私の後悔からか?違うような気がする。青春時代に俳句という短詩形式に出会って、青春を表現出来たことにだ。いまどんなに私が頑張っても青春俳句は作れない。

寺山修司の俳句は、青春俳句なのだ。だから戦後俳句派にも恐れもせずに物申す。三十代の俳人への言葉は、今読むと若さゆえかなと思ってしまうことが年寄りな証拠だった。今の政治がどうなろうと、女の子と恋愛はするし、流行の音楽や映画について語る。ただそこに俳句がないだけだ。寺山修司の俳句以外は。

そうしたすべての青春よりも俳句が優先された。寺山修司には俳句しかなかったのかもしれない。しかし、それが強みになるという青春時代だったのだ。まだ芝居にも映画にも目覚めていない寺山修司の俳句時代。そこで表現することが出来たから、後の表現形式のステップとなったのだ。

だから、何より二十歳で「俳句絶縁宣言」というのが眩しすぎる。

第二章 俳句の方法 

二十歳で「俳句絶縁宣言」はしたけれど批評家として俳句雑誌に掲載された俳句評論だった。

寺山修司が俳句文壇を改革しようとしていたことは、この章を読めばわかる。大岡信のやり取りで、寺山修司は通行人だという論があり、寺山はそれを受けて漂流の思想を語っている。俳句の根本にあるのは、定住することではない。それは俳句文壇でのうのうと生きることではない。

通行しないやつは墓地に眠るだけだ。  
(『寺山修司の俳句入門』「Ander Dogたち」より)

そういえば映画『アンダードッグ』は寺山の脚本だったが、寺山がやりたかったことは、日本舞踊にジャズを合わせておどるんじゃなく、ボクシングをジャズをバックにダンスするような、そういった創作ダンスだったのだ。

この一文から「日本舞踊」の改革はしないで、外部の改革だけを付け合わせただけの前衛だと厳しいことを言う。それは俳句世界でも戦後世代が桑原武夫の第二芸術論を踏まえて前衛俳句なども作られたが、それから暫くして定形の生活俳句になっていく。

寺山の俳句論は、俳句は韻文の詩であって呪術的なものだとする。そこに伝統などはない。芸術としてもっと難解になればいいという(そこは私は疑問だが)。

もう一つ例えを上げると、川柳がどんどん前衛俳句に近づいて区別しにくくなっている。それは社会を批評する川柳と社会詠の俳句と区別がつきにくい。川柳は批評ならばもっと大衆的誰でも詠めるようにすべきだという。川柳に芸術性はいらないと。そして、俳句は芸術性を極めるべきだと。

面白いのは中村草田男を評価しているのだが、彼は遅れてきた「ドン・キホーテ」のような存在だと見ている。俳句の私性(散文の自我ではない)から反社会を生きながら、そこに自然を見出していく。中村草田男の保守性は、「ドン・キホーテ」のように感じるらしい。それも面白い見方だ。

だから俳句のリアリティについて、写生というだけではなくフィクションのリアリティも求めていくものだということ。それは寺山が「アカハタ」を売らなくともアカハタを売る青年の俳句を書けるということだ。

第三章 序文、跋文(ばつぶん)

句集や歌集の序文や跋文はその作家の師匠筋の人や関係者が書くことになっているという。そのことが文壇の閉鎖性や保守的なものの考えになっていくようである。それでも寺山修司も序文、跋文を書いているのだが。たいてい、その作家のことよりも己の詩論や思想を開示するようだ。『川端芽舎句集』で虚子が載せた序文は「花鳥諷詠真骨頂漢」の八文字。


第四章 師、結社、句会の仕組み

高校生時代から俳句を始めた寺山修司が高校生と共に作った結社(彼らはグループと呼んでいる)、句会(全国規模の高校生句会のようだ)を載せた章。青春時代そのものだった。戦後世代に噛みつく。グループ内での俳句についての議論は、面白い。恋愛俳句の可能性とか。それだけで胸キュン!。

疑似参加しているような気分になれる。寺山君の言うことは高尚すぎて。あと俳句雑誌に投稿して入選句とその批評も出ていた。なるほど寺山修司を評価していたのは、草田男、秋元不死男、橋本多佳子。

このグループはけっこう俳句界にも知れ渡っていたらし。それはそうだよな、グループ内で鍛えた作品を投稿していたのだから、レベルが高い。なんとなく俳句に一気にのめり込んだあとに卒業すると覚めてしまったのがわかる気がする。

しかし、それがマルチ作家としての一歩だったのだ。俳句だけに飽き足らず、その後、短歌、芝居、映画と才能を開花させていくのだから。

第五章 俳句の細道

俳句雑誌に掲載したエッセイやインタビューなど。最初に俳句を始めたきっかけとか尊敬する俳人の追悼文など。なによりもやり玉に上げているのが俳句結社のヒエラルキーだった。


第六章 寺山俳句百句

目をつむりていても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹  

吾を「われ」と読ませず「あ」と詠んでいるところがポイントか。吉本隆明『言語にとって美とは何か』に人類が最初に喋った言葉が「あ」とか「う」とかだったということが書いてある。その原初の呪術的言葉(言霊)を五月の鷹に持っていくのが神業的な俳句だと思う。そして、それが青春俳句なんだ。

母は息もて竈火創るチェホフ忌

寺山修司の母との関係は厳しいものがあったという話だが、ただ寺山修司の俳句は虚構性の中のリアリズムというような。やはり下5の「チェホフ忌」が何よりキーポイントになるのだと思う。竈火は呪術性を醸し出している。

花売車どこへ押せども母貧し

これを投稿した時に秋元不死男に「菊売車」と添削されていたのだ。でもあくまでも「花」で押し通したのだ。この花は「桜」じゃないから無期俳句なのかな?

わが夏帽どこまで転べども故郷

これは好きな俳句。実景を俳句にしたようだ。ただ故郷が効いているんだよね。そこにすべてがあるような。ただ自句解説でこの俳句は暗いものはなく、青春時代の明るい俳句だと言っている。

かくれんぼ三つかぞえて冬となる

こういう単純な言葉でもって呪術性を表現できるのは、やっぱ天才なのかもしれない。

もしジャズが止めば凩(こがらし)ばかりなり

ジャズよりも凩だよね。凩の音が聞こえてくる感じ。

別の蝉鳴きつぎ母の嘘小さし

母の嘘は付きものなのか?ジーンと刺さった。

車輪繕う地のたんぽぽに頬つけて

こういう写生句もつくれるのだった。総じて明るい自然俳句の魅力。

春怒涛十八番目がわれを呼び

大した自信家だよな。これが高校生の創る俳句か?

螢きてともす手相の迷路かな

手相の生命線と運命線が悪いので手相変えの人手相を変えてもらおうと家にあった柱時計を売ったというエピソード。映画でも柱時計売りのモチーフがあった。結局、その柱時計は結核の臭いがすると言って売れなかったそうだ。

ランボーを五行飛び越す恋猫や

これ恋愛俳句かな。寺山の場合フィクションだと言っていたけど、なんか胸キュン!だ。

森で逢びき正方形の夏の蝶

夏の蝶の俳句も多い。小さい蝶じゃなく大きな蝶。

法医學・櫻・暗黒・父・自瀆

新興俳句の影響を受けた句なのか。旧字を使うのは呪文みたいなものなのか?わからければわからないほど呪術的なのがいいと言っていたから。暗黒だけど、目で見る俳句。無音の感じがいい。


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