狂ったのは世界なのか?彼女なのか?僕なのか?
『僕の狂ったフェミ彼女』ミン ジヒョン【著】/加藤 慧【訳】
日本より過激な?フェミニズムの社会現象を伝えた韓国文学のラブコメ。それは、韓国の方がより男尊女卑の差別が激しいからである。日本人(これも人それぞれで男尊女卑の日本人は別)から見ると笑い話に思える男尊女卑も文化によるものだろうか?
彼は「フェミ彼女」を「男尊女卑の文化」に教育しようとするが逆に教育されるというパターン。理解できない溝があるとしたらそれが文化なのかもしれないと思った。それは、同時に観たNetflix『サンクチュアリー聖域ー』を観たから。ここではアメリカ帰りの帰国子女の記者が、見事に日本の相撲文化に教育される様子が描かれていた。それは喜劇でもなくリアリティある物語として。この落差を考えていきたい。
「狂う」というコトバが示す相手を狂気として捉えると笑えない現実的な話になるが、コメディとして読めばいいかと。
またコメディ(喜劇)として読めないのなら辛い話ではある。闘争の先に合意点があるのだろうか?
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