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狂ったのは世界なのか?彼女なのか?僕なのか?

『僕の狂ったフェミ彼女』ミン ジヒョン【著】/加藤 慧【訳】

韓国でドラマ化・映画化決定!
初恋の人がフェミニストになった⁉ 
「愛」も「権利」もゆずれない、2人の戦争のような恋愛が始まる。

主人公「僕」の視点で描かれる、フェミニストの彼女の姿。
そこには、今を生きる私たちの「現実」が詰まっている──。

本国では「『猟奇的な彼女』のフェミニストバージョン」といわれ、台湾版刊行時には「キム・ジヨンが結婚前にこの小説を読んでいたら人生が変わっていたかも」とキャッチコピーがつけられた、今をいきる、あなたのための物語。

〈あらすじ〉
就活を前に不安な僕を癒してくれた、愛らしい僕の彼女。毎日のようにベッタリで、付き合って1周年を迎えた。そんなとき僕は、1年間の海外インターンシップに行くことに。遠距離は不安だけど、彼女なら安心だ、待っていてくれるはず――。しかし、出国当日。空港にいたのは、涙ぐむ彼女を抱きしめる僕ではなく、別れのメールをもらってメンタルが崩壊した僕だった。

 そんな初恋を引きずりながら 大企業に就職し3年目を迎えた「僕」ことスンジュン。周囲はほとんど結婚して、「まだ独身なの?」とからかわれることも多い。結婚する女性を選ぶだけなのに、なかなか結婚への意欲がわかない。そんなある日、初恋の彼女と出くわした! 心がまた動き出す……ところが、彼女はこともあろうにフェミニストになっていた!

出版社情報

日本より過激な?フェミニズムの社会現象を伝えた韓国文学のラブコメ。それは、韓国の方がより男尊女卑の差別が激しいからである。日本人(これも人それぞれで男尊女卑の日本人は別)から見ると笑い話に思える男尊女卑も文化によるものだろうか?

彼は「フェミ彼女」を「男尊女卑の文化」に教育しようとするが逆に教育されるというパターン。理解できない溝があるとしたらそれが文化なのかもしれないと思った。それは、同時に観たNetflix『サンクチュアリー聖域ー』を観たから。ここではアメリカ帰りの帰国子女の記者が、見事に日本の相撲文化に教育される様子が描かれていた。それは喜劇でもなくリアリティある物語として。この落差を考えていきたい。

「狂う」というコトバが示す相手を狂気として捉えると笑えない現実的な話になるが、コメディとして読めばいいかと。

またコメディ(喜劇)として読めないのなら辛い話ではある。闘争の先に合意点があるのだろうか?


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