政治家の見本となってもらいたくない人だった
『シィエスのフランス革命: 「過激中道派」の誕生』山崎耕一 (NHKブックス 1281)
シィエスはもともと僧侶出身なので、保守的思考だと思うのだが、フランス革命でも上手く立ち回り生き抜いてきた人なのである。政治的判断は優れていた人なのだろう。彼一人を中心に見ていくことによって、フランス革命の変化が伺える人物だという。聖職者でありながら平民に落とされていた境遇が機を見て生き残る方に付くことが出来たという。最後はナポレオンとも組むようになるのだから、強かに生き抜いた政治家と言ってもいいのかもしれない。
『第三身分とは何か』で聖職者、貴族、平民(ブルジョアジー)という階級社会で、それはブルジョアの中でも都市と地方のような対立があり、産業ブルジョアジー(ジロンド派)と商業ブルジョアジー(山岳派)に区別される。その前に特権階級(貴族〉の下に第三身分が従うのはおかしいとして、シィエスは、第三身分とは?すべてである(全てを決める権限がある?)とし、それまでは無視される存在であったが、何かを決める存在を手に入れるのだとしたのが、フランス革命の発端として『第三身分とは何か』というパンフレットが1987年ベストセラーになった。
産業ブルジョアジーは都市部の工場従事者とか賃金労働者だが、商業ブルジョアジーは工場経営者や農業ブルジョアジーと考えれば地方の保守的な者たちなのだ。第三身分の者の力が強まると貴族らはみずから特権を返上するものも現れたが、それは実利的なものはそのままに名誉的な特権にすぎなかった。そのことから国民議会を作って、彼等は貴族から権利を奪ったのでその恐怖が恐怖政治を生んだということだった。
当時は税金を治める者が国民(選挙権を持つもの)であって、女性や子供は含まれない。彼等は選挙によって代表を選び彼等が法律などを決めていくのだ。その統治権を強く握っていたいのは権力を持つもので、国民を従わせるという保守的思考が、ルソーの『社会契約論』とはちがって、人間の自然状態の自由を認めるよりも管理していく方向性を求めていくのだった。
国民を従わせるための憲法とかいう考えがこの時のシィエスの考えにあったようである。そのためにはナポレオンとも組むという、日本の政治状況も利害関係によって、生き残り戦術をする党や風見鶏のような者がいるのは、そういう前例があるからだろうか?過激中道派はほとんど最後にナポレオンと組む反動政治(王権的な)なのだが、それまではのらりくらりと鞍替えするどっかの議員みたいでトップに駆け上がっていくのだった。政治家の理想像なのかもしれない。