まめな夕霧でも物の怪には勝てない話
『源氏物語 39 夕霧一』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)
「夕霧」というキャラ名がもうすでに付けられていると思ったが、この帖によって初めて和歌がでてきたのだ。それまでは役柄で呼ばれていたのは主役級ではなく脇役としていい人を演じていた。それは光源氏の陰としてだろうと思う。この帖は光源氏は登場しない。そこで初めて主役をゲットしたのだが、冴えない役だった。夕霧の形容詞「まめな人」は当時は褒め言葉ではなく、機転がきかず官僚的な人というような言葉だったようである。その「まめな人」が雲居の雁との間で墓穴を掘ることになるこの部分はまさに喜劇的で面白い。『源氏物語』のこういう喜劇的な部分も見逃さないようにしたい。
ただ前半は落葉の宮との関係も上手く築けずに悲劇を招いてしまう。良心に則って行動したのに悪しき方向に行ってしまったのは物の怪の仕業なのか?
一条御息所が落葉の母上として登場してくるのだがいつの間にここにいたんだという母上だと思ったら夕霧に柏木の笛を託したのが一条御息所だった。てっきり柏木の母上だと思っていたのだ。
一条御息所は朱雀院の側室(更衣)だが愛人的存在であり、六条御息所と似ているのかもしれない。娘には院の娘としてプライドを持ってやってほしいと願っている母親なのだ。だから娘が間違ったことをするのが許せなく病気になってしまったりする。柏木との結婚も降嫁でありよくは思っていなかった。自立した皇女としてやって貰いたかったのである。だから柏木の心配の種だったのかもしれず夕霧なら欲情にならずに面倒を見てくれると思ったのかも知れなかった。しかし、そのようにはならず落葉の宮とは霧が立ち込めてしまう。それが夕霧だった。
ちなみに夕霧の和歌は柿本人麻呂の和歌を踏まえているのだという。
この和歌は人麻呂が夫を失った皇女のために従兄弟である皇子の代筆の和歌で、夕霧としては博学なつもりだったのだが恋文になってしまった。魔が差したということなのか?
そして夕霧は落葉の宮の閨に闖入して衣服を引きちぎってしまうのだ。手引した女房も不用心すぎたのかな?こんな悲惨な結果になるとは思っていなかったのだ。落葉の宮から抗議の和歌も届いたりして。
すごすとと帰っていった夕霧であったが、その後に一条御息所の物の怪の祈祷をしていた僧侶が夕霧の朝帰りを目撃してしまう。世に末法とはこのことか。僧侶も黙ってればいいのに考えもなく一条御息所に告げ口をしてしまう。一条御息所は病が重くなるわ、娘と一悶着で、夕霧に手紙を出して真相を伺う。その前に夕霧の方から謝罪のつもりだったのか落葉宮へ手紙が届いたのだが落葉宮は読もうとせずに母上が読んで頭に血が上ってしまったのだ。
その手紙を今度は夕霧が読まずに雲居の雁が読んでしまう。この行き違いは上手いというか、完璧に喜劇仕立てになっている。当事者の思いを他所に良からぬ方へ展開していくのだから。雲居の雁の描写も子だくさんで女はこんなに大変なのにという紫式部の嘆きまで聞こえてくるようで。夕霧は六条院の花散里のところから来た手紙だと誤魔化すのだが。そういえば花散里は夕霧の朝帰りをむしろ喜んでいた風で、その母君(花散里は実母ではないが夕霧の面倒を見ていた)の違いも面白い。最悪なのは一条の御息所がその心痛で亡くなってしまうのだ。もう物の怪のせいにするしかないだろう。どうする夕霧?