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在日マジック・リアリズムという幽霊奇譚

『万徳(マンドギ)幽霊奇譚;詐欺師』金石範(講談社文芸文庫)

初期作品の「鴉の死」、長篇『火山島』をはじめとして常に“幻のふるさと”韓国・済州島の地を描くことにより己れの“存在の危機”を表現し続ける在日の作家金石範。深い谷間の奥の観音寺に住みついた1人の飯炊き小坊主の世の常識を超えた仏心の“聖性”を描く「万徳幽霊奇譚」と架空スパイ事件の“主謀者”とされた若者の悲劇「詐欺師」。痛烈な諷刺と独特のユーモアの“稀有なる人間像”の創出。

映画『スープとイデオロギー』を観たあとに済州島四・三事件の本が積読だったことを思い出した。金石範という作家(ほとんどが読めない名前、キン・セキハンなのか?キム・ソクポムなのか?)、日本では在日作家として無視しまいがちだけど『火山島』というまさに済州島四・三事件を描いた長編小説なのだ。それが最初は文藝春秋に発表されたがそれきりで後に岩波から再発されることになる。今はそっちも絶版なので、図書館で探して読むしかないだろう。

それでもデビュー作『鴉の死』と『火山島』をつなぐ済州島四・三事件の小説が『万徳幽霊奇譚』なのだという。最近でもクオンから(韓国文学を扱う出版社)『満月の下の赤い海』が出版されているので、興味がある人は読んでみて欲しい。それにしても『火山島』は文庫になって、いつでも読まれるようになっていてもいいものなんだが、その辺りに在日作家に対しての冷たい扱いがあるように思える。

万徳幽霊奇譚

その対パルチザン焼却作戦の結果、連日連夜燃え上がる黒鉛は、遠く海上150キロメートルの済州海峡を渡った本土の木浦の儒達山のてっぺんでも上れば背のびををしなくても見えたに違いないのだ。事情に疎い外国人が遠く海上の客船のデッキから望見しながら、てっきり漢拏山(ハルラサン)が蘇生して大噴火をはじめたものと驚いたかも知れない。あるいは事情に明るいアメリカ人の方は軍艦のデッキの上で、うむ、なにも驚くことはあるまいて、あの天を焦がす噴煙は華山の爆発じゃないんだ。あれは、ふうむ、あれは、昆虫どもの住んでいる島が燃えているだけなんだと、パイプをななめににくわえ、この東洋の一隅の一孤島にまで昆虫駆除のためにやってきたといわんばかりの口吻でいうかも知れないのだ。

済州島四・三事件をマジックリアリズ的に描いた小説。万徳という愚者の寺男が事件に巻き込まれて幽霊となって出てくる短編。虫けらのように殺された村民の煙がアメリカ兵の艦隊から見えたが、火山の噴火でないから大丈夫だという。
虫けらを焼いているんだから、と。

「万徳」という男が主人公なのだが、済州島出身のこの男には、もともとは名前がなかった。「万徳(まんとぎ)」というのは孤児として寺に置かれたときに住職が付けた名前だった。それまでは「犬糞(ケートン)」と呼ばれていた。

幼子が神に召されないように、酷い名前をつける風習ということだ。しかし寺ではそういうわけにも行かないので「万徳」と名付けてが、北海道へ徴用された時に日本人ならば名前がないのはおかしいとされて、「万徳(まんとく)一郎」と名付けられた。名前のこだわりは、金石範自身にも係わることなのだろう。冒頭でかなりこだわって書かれいるのだ。

観音寺(済州島に実在する寺だが本作との関係は不明)に拾われ名付けられた万徳は、寺の下女でありながら寺の実権を握るソウルぼさつさま(実際は万徳を折檻するのを生きがいとするような女性)との関係が喜劇的にマジックリアリズムの手法で描かれる。

万徳は釈迦の教えを馬鹿正直に実践する愚者として、例えばシラミ一匹焼き殺すのもはばかれて、再び自分の汚れた襟元に返す青年だった。寺は警察隊の宿舎としてパルチザン狩りの本部として徴用され、そこの歩哨として万徳は仕事を与えられた。

しかし、万徳に生前優しくしてくれたパルチザン狩りで死刑になった夫に抗議して自殺した若妻を弔う為に山を降りた。そこで捕まってパルチザンだと疑われて処刑されたのだ。それから万徳は幽霊として彷徨い、観音寺に戻ってソウルぼさつさまに会いに行くが警察署長がそこに眠っており、万徳の幽霊を非常に恐れて、そうるぼさつさまがお祓いをすることになった。

ソウルばさつさまは万徳の母を思い出させる人ではあったが、警察の仲間で万徳を死刑にさせたことを知るのだ。それで観音寺を丸々焼き払うことにした。しかし、ソウルぼさつさまに対する複雑な感情、その櫛の匂いはかつての母を想像させて助け出す。ソウルぼさつさまは万徳の幽霊が放火したと証言するのだが、信じてもらえず伝説になっていく。

一つの伝承として書かざる得ないこととして、在日作家としての距離があるような。リアリズムより寓話性。

詐欺師

この小説も主人公の名前の説明から始まる。白東基は、日本生まれで、それが東という位置を表し、韓国?で夜警をしているが好景気の日本で豊かな生活をしたいと望んでいる。済州島四・三事件から二十年後(1968頃か?作品は1973年作)の高度成長期の日本と軍事政権下の韓国。

済州島四・三事件でも警察の下部組織である西北青年会という右翼グループが活躍していた。李承晩の親衛隊、いわば政治を右翼政権が握っておりその下部組織として自警団のような右翼グループがあった。

白東基の従兄弟バウイは済州島出身でバウイのおっ母さんは1949年のパルチザン殲滅作戦の「帰順工作」を経験していた。パルチザンを帰順させるために村人を人質に取りながら惨殺していく。帰順者はボロボロになりながら山を降りてきた。そして島民の3分の2に人工が減った。この経験から韓国政府に恨みを持つ者は息子達を北朝鮮に送り出した。

その北朝鮮で育った息子がゲリラとなって韓国に潜入してきたというデマを考えて、白東基はバウイのおっ母さんから大金をせしめようと考えて実行する。バウイを見た夢がどこまでも真実らしくその詐欺を形作って、真実らしく思えた。

白東基はその金で日本に密航するつもりでいたのだ。しかし、その詐欺はバウイのおっ母さんに後を付けられてバレてしまう。しかし北朝鮮のゲリラ(共匪)ということで警察はただの詐欺事件では済まされなく、「北傀武装共匪浸透事件」として取り扱うことになった。

白東基は主犯というよりも大物首謀者として逮捕されたのであった。それを信じたのは警察でもなく白東基でもなかったのだが、でっち上げは警察のお手の物ということになり、牢獄内でも噂が立ち始めて彼は大物首謀者として振る舞うことの心地よさを味わってしまうのだった。

白東基はドン・キホーテのようでもあるが、彼本人が正直に自白したにもかかわらず、共匪の首謀者という話が独り歩きしていく。これが1973年というのが面白い。海の向こう側ではありそうな幽霊譚だった。




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