尼になった弁は、中の君の存在を希薄にする
『源氏物語 50 早蕨』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)
「早蕨」の題名は、冒頭から阿闍梨が山菜を中の君に送ってきた和歌のやり取りからである
たいして重要な歌にも思えないが匂宮の手紙が見事な字で香りも素晴らしいものだったのに、こちらは字も下手で田舎の野草なのである。ただ後に京(宮中)に行く命運にある中の君には宇治(故郷)の想いを残していく伏線にもなっている。
薫は中の君を上京の使命のために宇治に来ていたが大君のことが忘れられず、さらに中の君が大君に似てくるので、匂宮のものにさせるのを後悔する。
京では夕霧が六の君と匂宮を結婚させようとしたが中の君を迎えたので諦めて代わりに薫の妻にしようとした。しかし薫の中では大君が忘れがたく拒否するのである。
この帖は中の君の性格と運命を描いているが大君の影のようなセットのような存在だった。薫の物語にしてみれば大君の代わりかと思うのだが姉妹を愛する物語は過去にもあるようで、中の君の悲劇はそれらと比べられるという。
しかしここでも笑いを取っているのは尼になった弁(女房)だった(寂聴さんを連想する)。薫(中納言)とのやり取りを見るとこちらのほうが主役級か?このやり取りを見ると弁と薫との間に肉体関係もあったのか?とも読めるほどで、尼になって宇治に残るのだ(大君の死の責任は自分に一端があると思っている)。その一方で大輔の君という女房は白々しい歌を歌いながら中の君に付いて宮中に行くのである。そうした侍従たちの欲望を紫式部がえげつなく描いているのは興味をそそる。