短歌レッスン72
啄木短歌
北海道は啄木に取ってふるさとよりなお厳しい場所だった。それは東京とはべつの厳しさがあるようだ。人恋しさを求める啄木に取って、単身で乗り込まなければならない孤立の土地なのだ。「さいはて」と「さびしき」の間にある「雪あかり」を見出す描写が見事だという。
「うたの日」お題
「「ん」ではじまる歌」「妙」「えぐ味」「水」「髄」「伊賀/甲賀」「がちょう」「うぶ」「分数」
すでに8時だった。徹夜したから眠い。今日はまた夜の回だな。
模範10首
今日は福島泰樹『中也断章』です。この短歌は中原中也の伝記物語を短歌として読んだもので、二人称的に中也に呼びかけるように歌われているという。福島泰樹の語り手は中也の背後にいるような感じだ。
「黒帽子黒マント」という中也のトレードマークのスタイルで登場。その登場の仕方が黒南風というのが劇画的。「あれなにならん」の問いかけがヒーロー的。
「ゆくのだよ」という呼びかけ。大正の三月という時
「見殺しの桜」は現代から見たのか?戦時中のような情景のような気がする。そして新幹線という高度成長時代。時代の移り変わりをここでは詠んでいるような。
「頑是ない」はよくわからない。「こころね」も「洗濯物」と一緒くたにしてしまう。
住所を読むのは寺山修司風。
「文藝の徒」が「鶯」になる不思議。
君と二人だけの世界観。
「火炎太鼓」というと『鬼滅の刃』を思いだす。感情オーバーというか、劇画調なんだと思う。それと対比して白雨の「胸乳」。「白雪」でも良かったんだけど、そこまでするともろ漫画か?
「飛ぶ蝶」と「富永太郎」。中原中也の友人。特にフランス象徴詩は彼の影響を受けたという。「けるかも」は詠嘆の助動詞「かも」を重ねより強調させた。「しかど」が難しい。「しか+ど」で過去形の逆説だと。蝶を見つめていたけれども、富永太郎は死んでしまったなあ、ぐらいの意味か?蝶は富永太郎の象徴なんだと思う。
「うたの日」
今日も不投稿でした。出来ないことはないんだけど、寝てしまった。ちょっと引っかかることがあり、短歌で大きなうたを無理に詠んでないないか?ということだった。説明すると長いので、カット。引き籠もり状態にあるということだ。
結果
結果だけ見ていこう。
子供の短歌だから興味があまりないんだけど、その指先を「黒猫」が目を見開いて見ているという日常詠か?「んな」という言葉にならない言葉。
「白妙」という言い方は、読みは「しろたえ」で古語だな。白いマフラーとは?「飛行機」の比喩はマフラーが飛行機雲に見えたということなのだろう。
一字のお題は、結構自分の思うようなうたに出来るとどこかに書いてあったな。「妙」から「しろたえ」を導きだす、この作者の感覚か。「妙」は仏教用語で素晴らしいという意味だそうだ。「微妙」しか思いつかなった。「微妙」も仏教用語では「みみょう」で繊細な奥深さを言っているのだが、現代語ではネガティブな意味になっている。
「うたの日」で特定の人がトップになるのは、その人のうたがわかるからなんだが、彼女の場合は「大人」がキーワードのように思える。「大人」になることの切なさ。
「水」はいろいろ比喩的に使えたと思う。この歌は水分が果ててぼたゆきになっているというものだろうか?ちょっと意味的に苦しいのは、大きなことを歌おうとしたからだたと思う。最初の「世界」だよな。そこからちょっとウソっぽい。実感としてあるのかもしれないが、強引すぎる感じがする。
これは上手いかな。日常詠なのに社会詠にもなっている。ありきたりかもしれないけど、こういう視線だった。別に世界という言葉を出さないけど、世界のことを歌っている。でも、これよく読むと「Amazonの箱」のことを擬人化して言っているのだ。そこも、なお上手いのかな。
こういうお題は難しい。お題を出さないで意味的処理したのが上手いのかな。
無理に作ろうとするとこんな形にするしかない。
「マザーグース」はガチョウだったのか?「グース」が「ガチョウ」の意味なんだ。「毒」を隠してが効いているのか?
これは意味がよくわからなかった。「ラテアート」というのはラテにミルクで絵を描くことだった。でもそれが「うぶ」とどう繋がるのか?「あわ」みたいなことなのだろうか?たぶん、この人も「火の鳥」というキーワードを持っているのだろうな。
今日は反省して自分のうたを読もう。
いまいちだな。
世界になっている。日常を詠めない。この題詠は難しい。
全く出来てない。
もうこんなうたしか出来ない。
これは駄目な例だった。没にしようかなと思ったが上げる。いまさらかっこ付けても。今日は絶対投稿する!
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