検閲は徐々になされる
『戦争と検閲―石川達三を読み直す』河原理子 (岩波新書– 2015)
「生きてゐる兵隊」で発禁処分を受けた達三。その裁判では何が問われたのか。また、戦後のGHQの検閲で問われたこととは? 公判資料や本人の日記、幻の原稿など未公開資料も多数駆使して、言論統制の時代の実像に迫る。取材し報道することの意味を厳しく問い続けて来た著者が抑えがたい自らの問いを発しながら綴る入魂の一冊。
石川達三についてよりも(『生きている兵隊』はまだ読んでいないので)検閲というシステムの話が興味深い。日露戦争の後に(「日比谷焼き討ち事件」が契機となった)新聞法ができたときに小新聞はほとんど潰れていった。自由民権運動がまだ盛んな頃でそういう小冊子とか多かったのだと思うが政府に楯突く言論を弾圧した。そのとき「平民新聞」なんかも潰れていくのだが、大手メディアとされる大新聞が危機感を持たなかった。いわゆるエロ・グロ・ナンセンスを売りにする大衆紙が潰れて、大手新聞は発行部数を伸ばす(中小の新聞は淘汰されたので大新聞は儲かった)。権力側に忖度するのだ。
そういういかがわしい新聞もあっただろうけど(夢野久作はそういう新聞記者だった)やっぱ発行部数とか経済的な理由によるものだと思う。権力に慮るメディア体質はこの頃からできていた。そして戦時に突入して大本営記事ばかりになる。戦後もすぐには新聞法は解除されなかった。GHQの検閲があったから。それで今度はGHQに忖度する。その体質が新聞法がなくなっても大手新聞にはあるのだと思う。その例(悪習)が記者クラブで中小のメディアを排除するシステムだ。ネット社会になって大新聞が衰退していくと共に権力はネットを監視しはじめる。
検閲はある日突然なされるものではなくて、徐々に政府が圧力をかけて、メディア側も企業だから自主検閲するようになるということだ。今に通じる話でもある。あと記者クラブ。大本営と変わらない慣習だよな。なんで続けているのか。
関連本『生きている兵隊』石川達三