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映画館は世界に開かれた窓という

『キノ・ライカ 小さな町の映画館』(2023年/仏、フィンランド/カラー/1:2/1h21)監督・脚本:ヴェリコ・ヴィダク 出演:アキ・カウリスマキ、ミカ・ラッティ、カルッキラの住人たち、ジム・ジャームッシュ


アキ・カウリスマキが仲間たちと 人口9000人の町に映画館を作った
フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキが暮らす町カルッキラ。首都ヘルシンキから車で1時間の小さな町で、彼が仲間たちと映画館を作った。朝7時から夕方5時まで作業を続ける様子と、町に暮らす人々の反応。彼の映画にも出演した個性豊かな面々による映画讃歌。

閉鎖された鉄工所に映画館を作って、そこが街のコミュニケーションの場にしようという映画監督のアキ・カウリスマキの映画館作りのドキュメンタリー。日本でも若松孝二監督が名古屋に作った映画館の映画(ドラマ)があった。

映画館が外との窓だということ、それは今の時代には難しいことで、もしかしたら映画館が内側の窓かもしれないと考えてしまうが、アキ・カウリスマキの考える映画館はコミュニティの場としての街の中心にある映画館。それは鉄工所が閉鎖された場所だから人々をつなぎコミュニティの場にしていく。そうだ、日本でも夕張炭鉱のあとに遊園地などで人を招くのではなく、映画祭という文化事業で人を招くという試みがあった。

映画を語る場所として、「映画館とは何か?」をつきつけたアキ・カウリスマキの問いは映画批評家アンドレ・バザン『映画とは何か』に通じるということだった。それは監督が『極北のナヌーク』とブニュエルの映画(タイトルは失念)で映画のドキュメンタリーと創造世界の二つの違った映画を見て、ゴダールのあとを追いながら一日に四本も映画を観たことで映画の魅力に取り憑かれる。

例えばそこは酒場も兼ねてロカビリーのロックが演奏される場所だったり、映画の中で流れるフィンランドに恋した日本の歌手が日本語でフィンランドの歌をノスタルジックに歌うとか、それは失われた故郷というものなのかもしれない。

映画館が世界の窓になるという考えは映画祭とか思えばそういうことなんだとわかっているが、なかなか孤独に映画を見るものには出来ないことであった。そうした試みに参加することなく過ごしてきたのだが、かつてのように映画好きな者と語り合ってみたいというのはあった。というか映画の見方を教えてくれたのは映画研究会に所属している者とバイトで知り合ったからだったのを思い出す。


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