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断層というより地層かな

『日本断層論 社会の矛盾を生きるために 』中島岳志(NHK出版新書)

性、植民地、炭鉱──
昭和の闇を生き抜いた精神の軌跡!
植民地という原罪、中央の論理で容赦なく切り捨てられる坑夫たち、消費され踏みにじられる女性……一枚岩とされた戦後日本に走る数々の断層に鋭く注目し、それらを克服しようとしなやかな思索を重ねてきた森崎和江。末端労働者や女性たちの苦悩、谷川雁や埴谷雄高など戦後知識人の素顔を、孫世代の論客が聞き出していく。格差社会と言われる今、なおも存在する様々な断層に苦しむ人たちに向けて。
目次
第1章 「前と後ろからピストルでねらわれている」―植民地という原罪(安部磯雄の影響;「朝鮮人を尊敬しなければダメだ」 ほか)
第2章 「私には顔がなかった」―「日本」への違和(学徒動員から終戦へ;「日本でどう生きていこうか」 ほか)
第3章 「無名にかえりたい」―サークル村から闘争へ(石炭って何だろう?;「弟の仇を討とう」 ほか)
第4章 「侵略と連帯は紙一重」―朝鮮との再会(『第二の性』と『第三の性』;朝鮮半島との再会 ほか)
第5章 「ほんとうの日本に出会わなきゃ」―土着、辺境、いのち(露天商の後を追いかけて;排泄とエロス ほか)

ETV特集「森崎和江 終わりのない旅」を観て興味を持った。中島岳志の森崎和江のインタビューで、彼女の半生が語られる。日本統治下の朝鮮から引き上げてきた時の日本にたいしての絶望感。それは森崎和江に原罪というような罪の意識を与えた。そのなかで日本(人)ということと私という在り方について疑問を持つようになったという。

それは妊娠して子供がお腹にいるのに「わたし」という一人称を使う言葉しかなく、子供を夫との協力関係で生む(ラマーズ法的な)ということを成し遂げる。それは女の出産が自然ではなく、産婦人科のシステムの中に組み込まれてしまうあり方、例えば切開手術をしたり麻酔で出産させられたりと女だけが背負わなければならい苦痛がある。中絶ということも女一人の問題として、その中で日本の買売春という暗部があるのだ。それは従軍慰安婦問題もからゆきさんも繋がっている問題だとする。

女性が虐げられている社会の中で日本の居場所を見つける。鉱山労働に従事する炭鉱婦やからゆきさんの聞き書きを確立させる。それは権威的になりがちな男社会の組織の中で、男は対抗する組織を作るが中央集権的な組織になりやすく、彼女は中央ではなく辺境の旅を通して、その中で強かに生きる女性を描いていく。その中で子供を産み育てる中で、観念としてではなく実地として人の愛や苦しみを分かち合っていくのだ。

炭鉱労働者がドスを持って殴り込んできたが、酒を酌み交わして話し合いをしたとかいう豪快なエピソードも。そしてサークル村で谷川雁との共同生活の中で見出した男の権威性と共産党との関わり。安保闘争の時も彼女は筑豊の炭鉱のことしか見ていなかったという。中央ではなく、筑豊から朝鮮、沖縄、北海道、インドへと旅を続けて人間を見つめてきたのだ。

筑豊の炭鉱は『青春の門』で吉永小百合が炭鉱婦の役をやっていたから少しはその姿が伺われる。ただ吉永小百合だから理想的な母親像になっていたが。炭鉱の世界の暗黒さは映画に出来ないかもしれない。



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