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光源氏は鬼なのか人間なのかそれが問題だ

『源氏物語 05 若紫』紫式部 , (翻訳)与謝野 晶子(Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第5帖「若紫」。源氏は病にかかり、祈祷を受けるため訪れた修験僧の家で藤壺に似た可愛い女の子・若紫を見初める。聞けば藤壺の兄の子である。引き取って未来の妻にしたいと尼に申し出るが断られてしまう。ある日藤壺が実家に戻って来た。この機会を逃すまいと源氏は遂に想いを遂げる。藤壺は懐妊し宿命の恐ろしさに煩悶する。尼が亡くなり、源氏は若紫を引き取った。段々なついてゆく若紫を一層可愛がるのであった。

Amazon紹介文

角田光代訳「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集4、5、6」は分厚ので電車の中や外では電子辞書で読んでいる与謝野晶子訳は小分けで出ているので便利です。

ただ与謝野訳は和歌が翻訳されていない。橋本治に言わせると『源氏物語』の和歌こそが女官が目上のものに対等にもの言える口語体なのだと。口語体は言い過ぎですが、和歌で比喩で気持ちを象徴させる裏読み的なものがあるのは事実だと思う。それを特に感じたのは「桐壺」で桐壺が亡くなって母親の元へ遺体だけが返される時に詠んだ母親の和歌に現れていると思う。ここでは違う巻なのでやりませんけど。そういう意味では光源氏の和歌と女官の和歌のやり取りは、けっこう重要だと思う。

その前に気になった与謝野晶子訳で、若紫が光源氏にさらわれる描写で、光源氏が若紫に言うセリフで

「私だって宮様だって同じ人ですよ。などであるものですか」

(翻訳)与謝野 晶子『源氏物語 05 若紫』

と訳している。この訳は伊勢物語の「芥河」である男(在原業平)が姫(藤原高子)と暮らしていたのに鬼が来てさらわれたとされる部分を連想させる。でも後から考えると鬼だったのはある男のほうで姫をさらってきたのを兄たちから取り戻されたということを芦原業平は鬼(に食べられた)と言っている。

「鬼」という言葉を出すことで『伊勢物語』の関連性が伺えるのだが、はて?角田訳ではその言葉でてきたのか?と探したら

「父宮ではありませんよ。でも、私もまた近しくしてもらっていい人間だ。こっちにいらっしゃい」

角田光代訳『源氏物語』「若紫」

意味は同じなのだが受け取る印象が違う。「鬼ではない」というのと「人間だ」という意味の違い。原文にあたってみなければわからないですけど、与謝野晶子は『伊勢物語』を意識した訳ではないのかと。

角田訳では「父宮」の代わりと印象付けているのは、光源氏のロリコン疑惑に対する言い訳でしょうか?You Tubeで古文の先生とかの解釈を見ると、光源氏の内面を理由付けとしている(父親代わり、後ろ盾のない同じ境遇)。しかし犯罪者を断罪するのは、犯罪者の内面よりも世間の見方なのだと思う。それは光源氏が頭の中将に言えない隠し事だということで明らかだろう。何かと隠し事が多い光源氏は謎の男というよりも、欲望を隠しだてしてしまう欲望まみれの男の業としての面白さかもしれない。

角田訳はそのようにして読めば、人間の暗部に踏み込んだとも言えなくない。

若菜のタイトルになった和歌。

生(お)ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき

『源氏物語 05 若紫』

それを盗み見(聞き)した光源氏の和歌

(光源氏)
初草の若葉のうへを見つるより旅寝の袖も露ぞかわかぬ
(尼君の返し)
枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ

山を去る時に光源氏が送った和歌。どこまでも大げさな和歌だった。涙が滝のようなとは漫画的。僧都の冷静な返し。

(光源氏)
吹きまよふ深山おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな
(僧都の返し)
さしぐみに袖ぬらしける山水にすめる心は騒ぎやはする
(再び光源氏)
宮人に行きて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく
(僧都の返し、光源氏を優曇華に譬える)
優曇華(うどんげ)の花待ち得たるここちして深山の桜に目こそ移らね

尼君にダメ押しの手紙も届けさせる光源氏。

(光源氏)
夕まぐれほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわずらふ
(尼君の返し)
まことにや花のあたりは立ち憂きと霞むる空のけしきを見む

その後に藤壺との逢引があり藤壺を妊娠させてしまう。そんなことはおかまえなしに若紫に対する心情が募る。

手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草

光源氏が若紫をさらってきた後の和歌の内容は不気味すぎる(角田訳では藤壺の身代わりとして、まだ寝ることはできぬがという意味)。それにあどけない和歌を返す若紫。

(光源氏)
ねは見ねどあはれぞ思ふ武蔵野の露分けわぶる草のゆかりを
(若紫の返し)
かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ

あな、恐ろしや。


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