チェーホフからブレヒトへの『三文オペラ』
『三文オペラ』ブレヒト (著), 谷川道子 (翻訳) (光文社古典新訳文庫)
チェーホフの喜劇からベケットの喜劇を繋ぐ感じ。風刺劇になっているが、ドタバタ喜劇。これは、クルト・ワイルが曲を付けた歌の効果が大きい。1920年当時はラジオとメディアの時代が到来したことで、実際に演劇を見られない人もクルト・ワイルの曲を聴いていたのだろう。それがジャズや流行歌となって民衆に広がっていった。ボードビル的といえばそうなのかもしれない。だから挿入歌の意味は大きい。オペラというよりミュージカル。日本語で歌っている「三文オペラ」があった。現代風なアレンジで面白いです。
元はイギリス作家ジョン・ゲイ『乞食オペラ』のリメイク。こんなところも映画的だ。『乞食オペラ』は18世紀のイタリア・バロック宮廷オペラの風刺劇だったのを、20世紀初頭の産業革命期のロンドン・貧困街を舞台とした(ディケンズの貧困街に近いのかも)。
ヤクザの親分メッキースと警視総監ブラウンは、ボーア戦争で知り合った元軍人(「大砲ソング」)。だから貧困街の親分と権力の癒着があるのは、資本主義経済の内幕を暴いているとも言える。現在でも軍事国家とギャングの繋がりとか。だからメッキースは貧困街のギャングでありながら捕まらない。
その硬直した社会にあって地下酒場や裏社会で生きる女性たち。ヒロイン・ポリーはブルジョア市民階級の娘、恋のライバルのルーシーは警視総監ブラウンの娘。ヒップホップのギャングスターに憧れる反抗期の娘たちの構図?それともうひとり重要な女性は娼婦ジェニーなのだ。ジェニーはメッキースの娼婦だが、心までは奪われていない。だからメッキースを裏切り密告するのだし、メッキースの逮捕に一役買う人物だった。
ラストは女王の恩赦で釈放されるというご都合主義的な結論なのだろうか?メッキースは貧困街のヒーローでもあるわけだった。
ブレヒトというと「異化作用」。烏賊ホテルとか出てくるからではない。「匕首伝説」なのだそうだ。貧困街のヒーローは権力をものともしなかったが、その裏で繋がっていた。メッキースの体現するのは権力と結びついた悪であり、それは成金になっていくブルジョア階級に繋がっていく。しかし、民衆の最下層のルンペン・プロレタリアートの萌芽もあるのだという。それを託されるのが女性たち。
娼婦はアウトローだが成り上がり思考はないので、縦の関係よりも横の関係を作る。一種コミューン的開放感。女同士の連帯感。ブレヒトとの関係性の中で出てくる女性たちの活躍。ブレヒトの妻ヴァイゲルとクルト・ワイルの妻ロッテ・レーニャの共同作業。
映画『三文オペラ』