シン・現代詩レッスン95

黒田三郎「道」

『黒田三郎詩集』(現代詩文庫)から「道」。現代詩の道のりも迷子状態で、とりあえず(現代詩文庫)から読んでいけばいいのかと。最初に「荒地」派をやろうと思った。



道はどこでへでも通じている 美しい叔母様の家へゆく道 海へゆく道 刑務所へゆく道 どこへも通じていない道なんてあるだろうか
 それなのに いつも道は僕の部屋から僕の部屋に通じているだけなのである 群衆の中を歩きつかれて 少年は帰ってくる

黒田三郎「道」

短い詩だけど、これはなかなか方向性としてはいいのではないか。シュルレアリスムにかぶれて迷子になるところだったが、なるほど「僕の部屋に通じているだけの」道なのか?多分、これも先行する道があったのだと思う。

それは高村光太郎「道程」ではないだろうか?「僕の後ろに道は出來る」という童貞青年っぽい道ね。多分、そのアンチなのではないか?

黒田三郎の道に反することは、高村光太郎の道に賛同することなのか。詩人の分かれ道。どっちも行けないで、第三の道はないのか?

まず「美しい叔母様の家へゆく道」が間違って「ナジャ」の道へ迷い込んでしまったのだ。「海へ」行く道も遠いのだ。刑務所も精神病院も行きたくないと思えば引きこもるしかないのであろうか?どうせ「僕の部屋に通じている」道ならば。ここで悪魔の囁きなんだ。「きみの部屋に地下道を作ればいいのではないか?深層心理という奴だよ」と。このディオニソスが!

でもとりあえず外に出ていかねば今日の食料もなかった、ということなんだが。ブルトンは労働よりも自由を讃歌したのだが、生活は秘密主義で詩とは別のものとしたという。シュルレアリスム(シュークリーム)の甘い罠か。シュープリームスの模倣は日本ではキャンディーズになるのだった。ミキちゃんという一番目立たない子がセンターになったキャンディーズの「罠」が好き。「しくじり先生の歌」なのか?



ぼくの道にたえずあらわれる落とし穴
高村光太郎の道程か
黒田三郎の道か
分かれ道は中島みゆきだった

やどかりの詩

やどかりの道とか書きそうになった。短い詩で今日は勘弁。中島みゆきの「わかれうた」(こっちが正式タイトルだった)を聴きたくなったので。


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