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AIに対する神学的問いは『未来のイヴ』の中にある

『未来のイヴ』ヴィリエ・ド・リラダン、(翻訳) 高野優 (光文社古典新訳文庫 )

「神をも恐れぬ不気味な科学に警鐘を鳴らす」という文学的伝統から一歩前進し、機械が完璧ならば人間との違いはどこにあるのか、人はそれに愛すら抱きうるのかという問いに踏み込んだ作者の革新性には驚かされる。後世の多くのSF作品に大きな影響を与えた傑作を、読みやすい新訳で !

魅惑的な美貌と肉体を持ったアリシアを運命の恋人としたエウォルド卿は、やがて彼女のあまりの軽薄さに幻滅してしまう。絶望の淵にあった彼に手をさしのべたのは、エジソンだった。偉大な発明家はついに、アリシアを完璧に模した肉体に高貴な魂をそなえた機械人間を生み出すが......

リラダンが象徴主義としてアンドロイドを精神のない人型ロボットとして描くのだが、エジソンは「フランケンシュタイン」博士のような存在で人智を越えようとする。

それは女性が人間性としての精神を欠如した存在であるから、形としての美的虚像(ヴィーナスに喩えられる)を作って、そこに電気でもって動かせばアンドロイドになるという。

リラダンの女性蔑視だが、この時代全般にそういう思考だったと思われるのは、マン『魔の山』でも女性は男を誘惑する魔女として描かれる。キリスト教的なアダムとイヴの神話がそもそもそのような概念を作り上げたのだろう。

ほとんどエジソンの取説のようなアンドロイドの仕様書なのだ(その部分が冗長に感じられるのは理科系ではないからなのか?)が、それは精神について語るほどのキリスト教的な神秘主義を帯びてくる。「エヴァンゲリオン(福音書)」的に読めるのは、エピグラフでの文学的引用をするので、それに沿って(象徴的に)過剰解釈していくのだ。ほとんど『新世紀エヴァンゲリオン』だなと思ったのは、ゲンドウ=エジソン、ユイ=アリシア、綾波レイ=アンドロイド、さらにキリスト教神学世界の感情な解釈性を引き起こす「エヴァンゲリオン」は精神汚染という人類補完計画。

それはパスカルやスピノザの言葉から神性の言葉を引き出すのに似ているのかもしれない。その精神性は過剰な解釈という象徴性にあるのだった。

つまり各章にある文学(ファウストやボードレールや聖書からなる)が導いていく過剰な読み込みによって、それが象徴として文学という幻想を生み出すのだ。言葉は神が人間に与えた最初の精神だった。その幻想はアンドロイドの精神性というよりも過剰な読み込みによって本人以上の理想像になるのである。

理想=幻想がこのアンドロイドの核心なのである。何故ならそれは人間を模倣するものであり、同一性という概念なのだから(神の模倣が人間であり、その模倣がアンドロイドなのだ)。そこに近代人の不幸が詰め込まれた物語になっているのではないのか?神秘主義的なSFとしてはディックに近いのかな。人間の精神を追求した内宇宙SFという文学SFというような。


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